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「車でお遍路」別格10番札所 西山興隆寺(有力者の尊崇を集めた見どころ満載の札所)

こんにちは、旅いこかです。

四国別格二十霊場巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、10番目のお寺は、

仏法山ぶっぽうさん 仏眼院ぶつがんいん 興隆寺こうりゅうじ (通称:西山興隆寺にしやまこうりゅうじ


別格9番札所の文殊院から約40㎞、車で約50分の場所、

山岳霊場である西山興隆寺は、駐車場から本堂まで山中をとにかく長い参道を歩く(石段を上る)が、見どころは多く凛とした空気感に疲れを感じない気がする。

また、名勝もみじの寺といい、紅葉の時期は最高の景色だそう。

朱色の橋が見えてくると、そこにはお迎え童子が出迎えてくれる。そしてこの橋、御由流宜橋みゆるぎばしといい橋板の裏に光明真言が書かれており、無明から光明への架け橋となっているという。

この橋を渡り、次には鎌倉時代作の仁王像が安置される山門(仁王門)へ。
その後、源頼朝が本堂再建の際に物資を運んだ牛が倒れたため、人々が牛に似た石で弔ったという「牛石」や「千年杉の古株」「お楠狸」「勅使門」などを見ることが出来る。

そして文化3年(1806年)に松山藩寺社奉行によって普請されたお城を思わせる築城方式の石積の石垣等を見ることが出来、かつての高僧、天皇家、武士、豪族、藩主、等有力者の尊崇を集め、隆盛を誇っていたことが伺えます。

では、見どころ満載の札所「西山興隆寺」へ参りましょう。

まずはこの御由流宜橋(無明から光明のかけはし)を渡ります


ご詠歌

みほとけの のりのみやまの のりのみず ながれもきよく みゆるぎのはし


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 皇極天皇元年(642年)、インドから雲に乗って日本に来たという空鉢上人により開基

  • 養老年間(717-724年)行基菩薩が御本尊の千手観世音菩薩を彫り安置

  • その後、報恩大師弘法大師、が入山

  • 延暦年間(782-806年)桓武天皇の勅願寺となり、七堂伽藍を整える

  • 鎌倉時代(1185-1333年)初期源頼朝公が本堂を再建

  • 文化3年(1806年)松山藩の寺社奉行により石積みの石垣(築城方式)が完成


大師伝説

ご詠歌は、弘法大師が青年の頃、御由流宜橋みゆるぎばしのたもとで詠んだ詩

「み佛の 法の御山の 法の水 流れも清く みゆるぎの橋」

この橋の裏には経文が書かれてあるところから
無明から光明へのかけ橋となっている

心して渡られよ

西山興隆寺より


寺号について


ご利益

  • 御本尊の千手観世音菩薩
    ・・・災難除け、病気平癒、長寿、夫婦円満、恋愛成就などの現世利益と後世利益


御本尊・ご真言

御本尊:千手観世音菩薩
ご真言:おん ばざら たらま きりく


見どころ

  • 本堂 【重要文化財】
    ・・・文中4年(1375年)建立 本堂ではあまり見ない大師堂によくある宝形造りのような造りで屋根の反りが非常に美しい 御本尊に千手観世音菩薩を祀る 

  • 大師堂
    ・・・本堂と向かい合い、石段を上る少し高い位置に御堂がある 背景に三重塔が見える

  • 宝篋印塔 【重要文化財】
    ・・・源頼朝の供養塔といわれる

  • 銅鐘 【重要文化財】
    ・・・見ることは出来なかったが、弘安9年(1286年)作という

  • 牛石
    ・・・源頼朝が本堂再建の時、材料を運んだ牛がこの地に倒れたため、人々は牛に似た石で弔い、参拝者はその労を口の部分に草を入れてあげ労っている

  • 御由流宜橋
    ・・・上述大師伝説の通り

  • 句碑歌碑
    ・・・歌人などの数多くの石碑がある


写真


次は、別格第11番札所生木地蔵いききじぞうへ参ります。

合掌

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