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カエルの鳴き声と共に思うこと
今年もこの季節がやってきた。
我が家は水田地帯の一角にある為、田んぼに水を張るこの時期になると、夜カエルの大合唱が始まる。
毎年定番のカエルの鳴き声。
これを聞くと同時に、梅雨の訪れを感じると共に、今年がもう折り返し地点であることを実感する。
今回の旅のテーマは「季節の変化と感受性」
カエルの鳴き声と共に考えたこと、思ったことを書いてみたいと思います。
水田がある暮らし
サムネイルの写真は自宅前の水田の写真。
私の自宅は「市街化調整区域」となり、自宅前の一帯は住居が建てられなくなっている。
しかし自宅迄のエリアは、許可が取れれば住居の建築が可能となっており、最近家が猛スピードで増えてきている。
このような地域を敢えて選んだわけではないが、住み始めてからもう7年ほど経ち、何て言うか愛着が生まれてきている。
それゆえか、田んぼが潰されていく様子を見てると、何とも言えない気持ちになる。
とは言え、まだまだ周辺は水田の方が多く、例年通り水田に水が張られ、夜にカエルの鳴き声が響き始めると何だかホッとする。
「今年もこの時期が来たか」
それと同時に、時間の加速も感じる。
もう一年経ったのかと思うと同時に、今年も折り返し地点だなと少し気が引き締まる。
時間は待ってくれない。
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都市部と田舎の違い
私は若い頃から引っ越しが多く、今の住居に辿り着くまでかなりの回数引っ越しを続けてきた。
それこそ東京から沖縄まで、両極端の環境を経験してきている。
地域、環境によって感じる「場の雰囲気」は千差万別で、目を閉じれば何となくその感覚を思い出すことができる。
「住めば都」とは言え、やはり良い環境は良いし、あまり良くない環境はやはり良くない。
その基準として、近くに自然があるか否かはかなり影響している気がする。
私は建物ばかりの場所より、自然が身近な場所の方が身体もメンタルも元気に感じる。
人工物に囲まれていると、何か身体が重い。
都市部と田舎の違いはまずそれだと思うが、決定的な違いは「四季の感じ方」ではないかと思う。
そこに自然の循環があるか否か。
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「土地」とは誰のものか?
映画「すずめの戸締まり」で、このような台詞がある。
かけまくしもかしこき日不見(ひみず)の神よ。
遠つ御祖(おみや)の産土(うぶすな)よ。
久しく拝領(はいりょう)つかまつったこの山河。
かしこみかしこみ謹んで、お返し申す。
元々、土地というものは誰のものでもなかったが、弥生時代に稲作が始まったことから「土地という概念」が生まれたと想定される。
それが即ち争いを生み「ここは私のものだ」という所有欲になったのだろう。
平和で長く続いたとされる縄文時代との大きな違いは、おそらくそれだったのではないか?
誰のものでもなかった土地が、いつしか誰かのものとなり、それが売買されている。
そこにいる生命も人間次第で消え失せる。
しまいには生きているだけで「二酸化炭素を発しているから」という理由で、税金が取られる世界になるかもしれない。
人間以外の生物からすれば、おそらく人間は頓珍漢な悪魔にしか見えないだろう。
そんな悪魔達が自分の「取り分」を増やす為に、あの手この手で土地を売ったり買ったりしている。
土地に在る生命を全部コンクリートで埋め立て、空き家は放ったらかし。
あなたが地球を司る主だったとしたら、いつまでこのゲームを許しますか?
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昔は夏になると鷺が遊びに来ていました。
まとめ 自然と共に生きる
日本は唯一、除草剤の「ラウンドアップ」が使用されている。
日本は唯一、人類に使用されたことがない「レプリコンワクチン」(自己増殖型)が秋から使用される。
原爆の被害を受けたのは日本だけだ。
挙げていけばキリがない程、日本は実験場だ。
でもこういう話しは、何故か受付ない人が多い。
まるで「私の夢の世界を壊すな」とばかりに、どんなことについても悪い意味で「肯定する」
事実に気づいてしまった人間からすれば、そんな人達を見てると、まるで悪い夢でも見ているような気持ちになるだろう。
でもわからなくもない。
人は目の前に危機が迫らなければ、明日も今日が続くと思ってしまう。
家を買うときは「買ったときの」高揚感がずっと続くと思う。
何でもかんでも「そんなもんだ」と自分を言い聞かせ、したくもないことをする。
見たくないものは見ない。
何故そうなったのか?
私は、本来繋がるべき「自然」と切れてしまったからだと思う。
今私達の多くが繋がっているのは「スマホ」であり、年配者は「TV」だ。
それがより強まっていけば、どうなるだろうか?
私はまさに人がロボット化していく未来が見えてしまう。
しかし、私はロボットになりたくない。
私は自然と繋がっていたい。
四季の移り変わりと共に自然を感じ、良いこともあれば悪いこともある。
色々不自由なことがあったとしても、もがきながら幸せを追求していく。それが「生きる」ということ。
私はそうやって生きていきたい。
今年も後半分、突っ走るぞー。
そして今夜もカエルの鳴き声を聞きながら、スヤスヤと眠りにつく。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また次の旅でお会いしましょう。
同じテーマをスタエフでお話ししてみました。↓↓