カザフスタンの世界遺産は、何もない大草原だった
その朝、ホテルで簡素な朝食を食べながら、そこへ本当に行くべきかどうか、迷っていた。
春のカザフスタンの旅の途中、タラズという小さな町で迎えた朝だった。
何もなさそうな町で1泊してみるのもいいかもしれない……と立ち寄った町だったけれど、そのタラズは想像以上に、何もない町だった。
前の日の夕方、カザフスタン鉄道をタラズの駅で降りても、どうやら観光客は僕一人しかいないようだった。
駅を出て、夕暮れの町を歩き始めても、心を動かされる風景は何もない。
陰鬱な曇り空の下、彩りを欠いた無機質な町並みが続き、どこか沈んだような表情の人とたまにすれ違うくらいだ。
あちこちの家からやたら番犬の吠える声が響き、ただ歩いているだけなのに、気が滅入ってくるような町だった。
とくに何にも出会えないまま、予約していた小さなホテルに着くと、もう日が暮れる頃だった。
狭い部屋でしばらく休んでから、夜の町に出てみても、賑わいらしきものはまったくない。
スーパーマーケットを覗くと、フードコートでは地元の人たちが食事を楽しんでいたけれど、それが逆に町の寂しさを際立たせている気もした。
結局、ホテルの近くにウズベキスタン料理の店を見つけて、ラグマンという麺料理と、一人では大きすぎるピザを食べて、夕食とした。
帰りに別のスーパーマーケットを覗いてから、ホテルに戻ると、何もやることもなく、シャワーを浴びてそのまま寝たのだ。
そして朝、紅茶を飲みながら、パンと目玉焼きに、ハムと野菜だけの朝食を食べているとき、ふと思ったのだ。
このタラズという町を、このまま出発してしまっていいのだろうか、と。
せっかく訪れた町なのに、何ひとつ思い出を作ることのできないまま、この町を離れようとしている。
もしかすると、人生でもう2度と訪れることのない町かもしれないのだ。
どんなにささやかなものでもいいから、この町の思い出を手に入れてみたい……。
そのとき、ふっと思い浮かぶ地名があった。
それは、「コストベ」という名の、シルクロードの遺跡だった。
カザフスタンには、かつてシルクロードの交易で栄えた遺跡が多く残り、そのいくつかがユネスコの世界遺産に登録されている。
そのひとつこそ、タラズの郊外にある、コストベ遺跡だったのだ。
Googleマップで調べてみると、町から20kmほど離れた辺鄙な場所に、確かにコストベ遺跡はある。
ただ、まったく観光地化されていない場所らしく、クチコミもほとんど投稿されていなければ、写真に至っては1枚も載っていない。
次の町へ行く列車の出発は11時頃だから、タクシーに乗って向かえば、そのコストベ遺跡へ行けないこともない。
でも、そんな辺鄙な場所へ行って、もしもネットが繋がらなかったりすれば、帰りのタクシーを呼べなくなるのが不安だ。
それに、ほとんど訪れた人がいないらしいというのも、なんだか気になる。
そんなよくわからない遺跡へ行っても、仕方がないのではないか……。
どうしようか迷ったまま、ホテルをチェックアウトして外へ出ると、昨日とは打って変わって、空は美しく晴れ上がっている。
その澄んだ青空が、僕の心をそっと後押ししてくれた気がした。
せっかくここまで来たのだ、コストベ遺跡へ行ってみよう。
つまらない場所だったとしても、それはそれでいいじゃないか、と。
スマホのアプリでタクシーを呼び、郊外の方へと30分ほど走り続けると、やがてコストベ遺跡の入口に到着した。
変わりなくネットが繋がることを確かめると、僕はタクシーを降り、ひとまず辿り着けたことに安堵した。
そこはとても世界遺産があるとは思えない、質素な家がぽつぽつと建ち並ぶだけの、小さな集落だった。
牧場主なのか、何頭もの牛を引き連れたおじさんが、ゆったりと路肩を歩いていく。
どうやら、その集落から延びる脇道の先に、コストベ遺跡はあるらしかった。
舗装されていないその道に入ると、ステップと呼ぶのだろうか、短い草がどこまでも生えている、春の大草原が目の前に広がった。
道の先を見ると、さっき路肩で見かけたおじさんが、牛たちを自由に放牧させようとしているところだった。
朝の青空の下、周囲を見回しても、僕とおじさんと牛たちのほかには、誰もいない。
鳥の声も聞こえず、虫の声も聞こえず、ただ草原の上を吹き抜ける風の音が耳に届くだけだ。
その気持ちのいい風に吹かれ、草原の中を歩いていくと、小さな案内板が見えてきた。
世界遺産のマークとともに、「Site of Kostobe」と書かれ、ちょっとした遺跡の案内が記されている。
間違いなく、ここが世界遺産のシルクロードにある、コストベ遺跡なのだ。
しかし、目の前に広がっているのは、どう見てもただの草原だった。
歴史的な建物が残っているわけでもなければ、何かが復元されているわけでもない。
こんもりと盛り上がった丘があって、あるいはそこがかつての交易拠点だったのかもしれない……と思えるくらいのものなのだ。
でも、この満ち足りた気持ちは、どうしたことだろう。
かつて沢木耕太郎さんは、「滅びるものは滅びるに任せておけばいいのだ」と書いていたけれど、まさにこのコストベには、遺跡というものの理想の姿があるような気がした。
何も残っていないからこそ、自由に過去を想像できるし、思いを馳せることができるのだ。
果てしない大草原の中の、踏み分け道をゆっくりと歩いていく。
この道が古のシルクロードだった……というわけでもないだろうけれど、1000年以上も前の旅人とほんの少し繋がれたような気持ちになれて、なんだか心地良かった。
やがて道の先に、タラス川の流れが見えてきた。
きっとこの上流に、天下分け目と伝えられる「タラス河畔の戦い」の古戦場があるのだろう。
緑の丘の急斜面を登っていくと、そこには確かに、建物の区画の跡が幻影のように残っていた。
この場所がシルクロードの交易で賑わっていたことを示すのは、緑の草に埋もれつつある、この丘だけのようだった。
丘の上から望むのは、ほとんど地平線まで見渡すことのできる、果てしない大草原だった。
青空は輝き、草は風にそよぎ、大地は春の光に照らされ、遠くでは牛や馬たちが朝を過ごしている。
こんなにも気持ちのいい世界遺産が、他にあっただろうか……。
いや、何もないタラズにあって、このコストベ遺跡もまた、ほとんど何もないようなものかもしれない。
でも、何もないからこそ、心に残る場所もあるということ。
爽やかな風に吹かれながら、そのシルクロードの遺跡は、そんなことを教えてくれた気がした。
カザフスタンを巡った旅でも、とくに心に残っているのが、このコストベ遺跡だった。
もしも、あの朝、別に行かなくてもいいか……なんて思っていたら、あの素晴らしい風景を見ることは一生なかったことだろう。
何も思い出を作れなかったはずのタラズで、気づけば、忘れることのない思い出を手に入れることになった自分がいた。
帰国したいま、カザフスタンから遠く離れた日本で、ふと、あの光景が思い浮かぶことがある。
何もなかった緑の大草原、心地良く吹き抜ける風、大地を歩く自分の小さな足音……。
誰に自慢することもできない、ささやかな思い出に過ぎないけれど、それは僕にとって、カザフスタンの旅の大切なワンシーンになった。