旅人にとって大切な、3つの姿勢 〜沢木耕太郎『飛び立つ季節―旅のつばくろ―』
どんな旅人も、やがて老いていく。そのとき、その旅人は、どのような旅をすることになるのだろう。いや、すれば良いのだろう……?
沢木耕太郎さんの新刊『飛び立つ季節―旅のつばくろ―』を読み終えたとき、その答えを見つけられた気がした。
前作『旅のつばくろ』から2年、この作品もまた、日本各地を旅したエッセイを集めた1冊だ。
東北へ、あるいは伊豆へ、九州へ。沢木さんは日本各地を、興味の赴くままに旅する。
しかし、あのユーラシア横断の旅を描いた『深夜特急』を愛読してきた人は、こんなふうに思ってしまうかもしれない。
沢木さんもずいぶん年を取っちゃったなぁ、と。
もちろん、旅する土地が異国ではない、ということはある。それでも、その旅の節々に、年齢による変化を感じるのだ。
たとえば、伊豆を訪れた沢木さんは、バスで天城峠を越える。その道行きに物足りなさを感じながらも、ループ橋から「絶景」を眺められたことで、こんなふうに思う。
私はバスに乗っていたからこそ、あの感動を味わえた。
今回は、それでよしとしよう……。
(83ページ)
かつての若き沢木さんなら、それだけで納得はしなかっただろう。
あの『深夜特急』の旅で、「ここではない、ここではないのだ」と貪欲に旅を求め続けた沢木さんは、「それでよしとしよう」と思える地点に辿り着いたのかもしれない。
でも、と思う。
確かに沢木さんも、年を取ったのかもしれない。でも、その旅人としての姿勢は、何も変わっていないのではないか、と。
そう感じたのは、『深夜特急』の頃と変わらない、3つの大切な姿勢に気づけたからだ。
そしてその3つは、すべての旅人にとっても、大切な姿勢であるように思える。
1つめは、会津若松を訪れた旅に垣間見ることができる。沢木さんは、そこから会津柳津という町へ、ほぼ1日かけてまで足を延ばすべきか迷った末、行くことにする。
行くか、行くまいか、迷ったときは行くにかぎる。なぜなら、すべては移動によって始まるから、だ。
(181ページ)
そこにはかつて、アジアからヨーロッパへ、ユーラシアの大地を移動しながら、いくつもの出会いと別れを繰り返してきた旅人の、変わらない姿が見られる。
常に移動すること。それは沢木さんにとって、人生における大切なテーマなのだろう。その移動が、インドの乗合いバスではなく、日本のローカル線だったとしても。
2つめは、ある朝、日光へ行くことを決め、特急列車の「日光号」に乗るため、新宿駅へ急ぐシーンから気づかされる。駅のホームへ駆け上がった沢木さんは、出発時間ぎりぎりに、列車に乗ることに成功する。
これが私の旅のスタイルなのであり、あえて言えば、これが私の旅の楽しみ方でもあるのだ。
家から新宿まで、すでにそれもひとつの旅。
(162ページ)
なんでも面白がること。思えば『深夜特急』にも、次の町へ行く乗合いバスへ乗るために、ザックを背負って懸命に走る沢木さんの姿があった。そうして走るのも、すると不思議に間に合うのも、それらを面白がってしまうのも、すべて変わっていない。
3つめは、たまたま訪れた上野駅で、16歳のときの東北一周の旅を思い出すシーンからわかる。その改札口を眺めたあと、沢木さんはこんなことを思うのだ。
私は、地下鉄の乗り場に向かいながら、もし、いま、あの改札口から秋田に向かうことにしたら、どんな旅が待っているのだろう、と思ったりした。
(37ページ)
そして沢木さんは、本当にその改札口から、秋田へ旅に出ることになるのだ。
新たな旅を夢見ること。その姿勢は、『深夜特急』の終着地であるロンドンで、旅を終えるのではなく、旅を続けることを選んだかのようだった沢木さんの姿と、ぴたりと重なる。もしかしたら、いまも、「ここではないどこか」を目指し続けているのかもしれない。
常に移動すること。なんでも面白がること。新たな旅を夢見ること。
きっとこの3つは、すべての旅人にとって、大切な姿勢なのだと思う。
そして沢木さんは、『深夜特急』の頃から変わることなく、この3つの姿勢のまま、旅をしている。
だからこそ、この『飛び立つ季節―旅のつばくろ―』は、読者に、あるいは旅人に、教えてくれるのだ。
常に移動して、なんでも面白がって、新たな旅を夢見れば、人は何歳になっても、素晴らしい旅ができることを。
この1冊に描かれた、日本をめぐる小さな旅のはるか向こうに、あの『深夜特急』の旅がちらついて見える瞬間がいくつもあった。
もうあの旅へ戻ることはできないけれど、たぶん、ぜんぶ繋がっているのだ。
『飛び立つ季節―旅のつばくろ―』に収録された、あるエッセイの冒頭に、こんな一文がある。
朝、起きて、窓の外を見たら晴れていた。そこで、久しぶりに旅に出ることにした。
(158ページ)
何が「そこで」なのかはよくわからないのだけれど、この一文を読んだとき、思った。
まさにこれが、沢木耕太郎なんだ、と。
それはかつて、インドのデリーの安宿で、「ある朝、眼を覚ました時、これはもうぐずぐずしてはいられない、と思ってしまった」若き沢木さんと、不思議なくらいに重なるのだ。
あの『深夜特急』の旅から半世紀近くを経ても、多くの旅人が憧れた沢木耕太郎のまま、いまも沢木さんは、旅を続けているような気がする。
あるいは沢木さんも、世界が落ち着いた暁には、また異国の地を歩き始めるのかもしれない。
そのとき、どんな旅の世界を見せてくれるのか、ひそかに楽しみでもある。
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