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それを思い出に変えられたら。旅する心構え、の話

ベトナムのハロン湾でクルーズに参加したとき、同じテーブルになった日本人の社長さんからもらった言葉が、とても印象に残っている。

その社長さんは、京都で会社を経営しているというおじさんで、新たに受け入れるベトナム人の女性とともに、船に乗っていた。

あるとき、観光ツアーに組み込まれているのか、船内で真珠の販売が始まった。

葉笠をかぶったおばさんが、テーブルを回りながら、真珠のネックレスやペンダントを売り歩くのだ。

やがて僕らのテーブルにやってくると、おばさんは僕に狙いを定めたらしく、次々に真珠を差し出しては、買わないかと勧めてくる。

最初は60万ドンのネックレスを勧めてきたが、僕が買う気のないことがわかると、50万ドン、40万ドン……と、どんどん安い品物を売りつけてくる。

30万ドンのペンダントまできたところで、僕ははっきりと断ることにした。

「結構です」

真珠売りのおばさんは、それでもしばらく頑張っていたけれど、そのうちにテーブルを離れていった。

すると、そのやり取りを面白そうに眺めていた社長さんが、こんなことを言った。

「買ってあげてもよかったんじゃないの……?」

でも……と、僕は言った。

「とくに真珠を欲しいとは思わないし、買っても困るだけで……」

その僕の言い訳……というか正論を聞いた社長さんは、少し考えてから、こう言った。

「お金に真面目なのもいいんだけど、旅なんて、あのとき騙されて馬鹿なもの買っちゃったなぁ……とか、そういうのが思い出や経験になるんだと思うけどなー」

そして、それに続けて社長さんが言った言葉が、不思議と心に響いた。

「たとえばさ、誰にもぼったくられないように……って身構えて旅するのも悪いことではないけど、まあ少しくらいぼったくられても仕方ないかな……くらいの気持ちで旅するのもいいと思うよ」

確かに、そうかもしれない……と思っていると、社長さんは最後にこう付け加えた。

「それを思い出に変えられたら、さ」

あるいは、その瞬間、ベトナムを旅する気持ちが、ふっと楽になったのかもしれなかった。

たぶん、僕はそのときまで、社長さんの指摘のとおり、ぼったくられないように……とどこか身構えながら、ベトナムを旅していたのだ。

その2日前の夜、ハノイの空港に降り立ち、旧市街のホテルまでタクシーに乗ったときもそうだった。

迷った末、空港内のカウンターでタクシーを頼むと、料金が60万ドン、約3600円だった。

こんなものかな、と思って料金を払い、タクシーに乗り込んでから、スマホで調べてみると、一般的な相場は40万ドン、約2400円だという。

失敗した、と思ったけれど、すでに遅かった。

そのタクシーに揺られながら、旅の始まりから何をやってるんだろう……と、悔しさと情けなさがないまぜになった気持ちで落ち込んだのだ。

でも、よく考えてみれば、ぼったくられたといっても、たかが1200円ほどのことだった。

深刻に落ち込むほどの金額ではないし、それもひとつの経験として、笑い話に変えてしまえばよかったのだ……。

社長さんからもらった言葉をきっかけに、ぼったくられないように……ではなく、ぼったくられても仕方ないかな……という軽い気持ちで、僕はベトナムを旅することにした。

すると、旅の何かが変わった気がした。

あえて言えば、ほんの少しだけ、旅の自由度が増したように思えたのだ。

ニンビンという町では、駅前で声を掛けてきたタクシーの運転手に、必要以上に値切り交渉することなく、すぐに乗ることができた。

再び戻ったハノイでは、バイクタクシーの運転手に、巧みにぼったくられてしまったけれど、笑顔で別れることができた。

それまでの僕だったら、旅人として失格だ……なんて、また落ち込んでいたかもしれない。

でも、僕はこう思えるようになっていた。

大切なのは、ぼったくられないことではなく、たとえぼったくられたとしても、心地良い気持ちで旅を続けることなんだ、と。

ベトナムで、より楽しく旅することができたのは、あの社長さんからもらった言葉のおかげだった。

もちろん、できることなら、ぼったくられたくなんかない。

でも、ぼったくられないように……と常に身構えていたら、いざぼったくられてしまったとき、その分だけ気持ちも落ち込んでしまう。

だけど、ぼったくられても仕方ないかな……くらいの気持ちで旅すれば、ぼったくられてしまったとしても、心楽しい気持ちを失うことなく、旅を続けられるはずなのだ。

もしかすると、あの社長さんも、若い頃にどこかで、ぼったくられてしまった経験があるのかもしれない。

それが思い出に変わったいま、僕にそっと、「旅する心構え」を教えてくれたような気もするのだ。

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手塚 大貴
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