HSPと尻尾切り。
折り合いをつけるという、最強の処世。
自分の人生を生きるということは、自分が主体となって在る様。
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、自分の感情や欲、自意識にも呑まれない 自我 を確立すること。
適切な自我というのは、強すぎも弱すぎもない、適切なバランス。
折り合いというと、メジャーどころで、フロイトが提唱した精神分析はまさに。自我との関係性、社会に生きるため、折り合いをつける事が示されています。
自我の対他的・対自的のバランスは、心理士の先生方にお任せするとして、私が専門とする感覚や嗅覚から得られる刺激や影響による心理から考察・実感するに、結局のところ、軸とブレが課題かなと思うのです。
HSPは、特に外に向きやすい傾向があります。
いやでも、他者の感情も含めた外的な刺激に気が向きやすいです。囚われる。
感受した刺激を、感情に落とし込んでしまい
「感じた感情を、考えて追いかける。」
そんな「癖」も、あるかと思います。
そう、刺激を感受して、それに心が揺れたら、感情に色濃くそれを映し味わい、必要以上の情報を取り入れて傷んでしまう。
折り合いをつけるって、すごく難しく、大人な作業に感じられるかもしれません。
しかし、単に 尻尾切り。
手離し、諦めるだけ。
それ以上に深追いしない技術だと思うのです。
諦めるというと、後ろ向きな印象ですが、そこに命を注がないという最強であり賢い在り方。
どうにもならんこと、自分でどうこうできない事は、ちょん切る。
それは、軸となるのは単純な感情コントロールでなく、今ここの精神。
感覚器、いわゆる五感に意識を集中し、感情には意識を移さないこと。
感覚器を優位に、五感を働かせて意識を集中させると、頭や心は黙ります。
折り合いをつけるために、ロジックをこねくり回す・ああでこうで、と、頭で順を追うと、間違いなく堂々巡りで、いつのまにか感情に呑まれてしまいます。特に、内的な感情という刺激にも敏感なHSPは。
抑圧するでもなく、誤魔化すでもなく、正当化するでもなく、ちょん切る。
一回、その渦を手離します。
感覚器を優位に、五感をフル稼働させるのは、「黙らせるため」。
その上で、一度、区切るのです。
で、コレを技術に落とし込むには、反復すると同時に,軸・センタリングと、ブレ・グラウンディングをしっかりする。
この言葉の意味をスピリチュアル界隈の意味で解釈するのですが、なんだかいろんな秘技があるようで。
でも、私の考えとしては、瞑想やマインドフルネスと私の専門である嗅覚・アロマで落とし込めると考えます。
裏稼業で、気をみる・読んで、薫りにすることもあるのですが、その際、センタリングかグラウンディング、或いはその両方なのか、足りないものはリーディングした香りや香料でわかります。
軸があるか,ブレてないのか、そういう事もニオイでわかってしまう。
そんな事せずともご本人が薄々気づいているものですが、そのチカラ加減と言いますか、バランスの調整にはアロマはとても良いです。
何せか、無意識に影響するのが嗅覚なのでね。
で、五感に集中する事で、黙らせることもポイント。
同じように、ウェルビーイングやメンタルヘルスに、瞑想やマインドフルネスが良いとされるのは、そういうこと。
結局のところ、瞑想と呼吸は非常に密接ですので、そこに意識の焦点を合わせる事で、「黙らせる」。
折り合いをつける技術って、数多にあるとは思うんですが頭や感情が動けば動くほど、納得がいかないのが常。
要は、黙らせることは、しがみつかない事。
「行雲流水」
コレが、一番シンプルでいて、真髄かなと思います。