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瀬戸内海行き当たりばったり旅~広島をみっちり楽しむ~ 第11話

3年間で大きく変わった「平和」を改めて考える


平和記念公園を訪れるのも3年ぶりになる。もちろん当時はコロナ禍真っ最中で人通りも多くなかったが・・・。

(2021)

3年後の平和記念公園はツアーの旗を持った添乗員が、外国語でインバウンド客に何かを説明していた。日本語しかしゃべれない私には何を言っているのかさっぱり分からなかったが、外国人観光客が真剣なまなざしで話を聴いていたことは書いておく。

慰霊碑から望む原爆ドーム。中央の石室には原爆で亡くなられた方の名簿が入っていて、今年(2024年)は4100人の方が追加されたという。

石室の上を覆うように建てられたアーチ状のものは原爆犠牲者の御霊を雨露から守るため・・・。と建築家の丹下恵三氏がデザインした。

そういえば・・・。太平洋戦争の激戦地だった我が故郷・沖縄にも平和祈念公園があって、その中には平和の礎という石碑がある。礎には沖縄戦で犠牲になった方の名前が刻まれていて、毎年6月23日の慰霊の日(※)には夜明けから多くの遺族が祈念公園を訪れている。場所は違うが、想いは同じだろうか。

黙とうを済ませて、平和記念公園の資料室へ。ここも3年前と比較してみると・・・。




なんと中でチケット購入の列ができるほどの大賑わい。3年前はスムーズに入れたのだが・・・。しばらくして私の番。チケットを購入し、今回は2回目ということで、

音声ガイドを借りた。日本語のガイドは男性と吉永小百合さんが担当されている。


中はあまり写真を撮れる空気ではなかったので撮っていないが、私は原爆犠牲者の遺品のコーナーを見て、胸の詰まる思いがした。音声ガイドを合わせて、吉永小百合さんの朗読を聞いていると、原爆が落とされる前は普通に生きていたし、戦争の中でも生き抜きたかったんだろうなと実感。犠牲者の無念が遺品を通じて語りかけている気がした。

爆心地へ

平和祈念公園の傍らに建てられているのが島内科医院。一見して普通のクリニックかと思いきや、実は原爆の爆心地である。

長崎の原爆の爆心地は公園が整備されており、モニュメントも建てられているが、この島内科医院は街中にあって、ここが爆心地であったことは入口の傍らにある銘板が示しているぐらいである。ここにも外国人夫婦らしき方が添乗員の説明を聴いていた。原爆ドームを比べると、建物も建て替えられているし(※2)あまり目立たない場所ではあるが、行ってみる価値はあると思う。

(※)=日本軍の司令部が壊滅した日=6月23日を沖縄県は慰霊の日としているが、実際は散発的な戦闘は続いていたと言われている
(※2)=原爆の爆風によって建物は全壊している。この辺りにある広島平和祈念公園レストハウスが原爆投下後も現存しているほぼ唯一の建物である。


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