ただ、言葉が好きで その言葉達を組み合わせるだけで 手書きのノートに自分の本当の気持ちが どんどん表現されていく そんな行程が好きだった 10才の頃から書き始めたノートは 膨大な冊数になり その言葉達に沢山支えられてきた。 悲しい時も孤独な時も 言葉達がいてくれたから 踏ん張れた。 寂しさを越えられた。 SNSなんて言葉、いつから 当たり前になったんだろう。 自分の日記を人に見てもらうこと、 当たり前になったのはいつ頃だろう 私は、いつから人の目を意識して 文字を書き始
色んな握手があるけれど、 その人が持つぬくもりや、信頼感が 瞬間的に伝わってくる握手は、 そうあるものではない。 そんな握手をされたら、 そのまま握り続けていたいような 思わず、その手を引き寄せてしまいたく なるような気持ちになる。 男女とか、立ち位置とか、 そういうものなんて越えて、 人と人として「気」が合うことが、 瞬間的に互いに伝わり合う。 そんな握手。 ほんの数秒だけど、二人でとても深い時間を 共有しあう、ステキな握手。 そんな握手をしあえる人は、たくさんなん
会っていて話していて、とても心地のよい人がやっぱりいる。 そしてこれは、ある程度親密になってからでないと確信が持てないことでもある。 私の問題なのか、何度か二人で会って話して時間を共有しないとその確信が持てなかったりする。 出会った瞬間から、隣どうしに座って数分のワークをペアになってやったあの時からすでに、「合う人なんだろうな」という予感はあったものの、今日ほどの確信にはいたらなかったかな。 男女としての複雑で曖昧な微妙な雰囲気も、二人の間にほんの少し残しながらも、完
noteを読んでいると、他のSNSの投稿とは何か違う「やんわり」を感じる。あったかい、ふわりとした気持ちになる。 楽しいことや、小説、写真、不満や、弱音、色んなことが、そのままに書かれている。 生々しい人間の温度を感じる。 だから全部が優しい。 だから、ついまた訪れる。
高校生の頃、うちにキレイな家庭教師 の先生が来てくれていた。 その先生は、大学生活を謳歌してて。 サークルのイベント クラブ貸しきりのパーティー 彼氏と海外旅行などの話を 私に聞かせてくれていた。 おさげの高校生だった私には 大学生活全てが、 キラキラにしか 見えなかった。 さらに、悔しいことに 遊びまわっていても 大学での成績はズバ抜けて 良かったらしい。 国立大を首席でサラリと卒業した。 憧れでしかなかった。 その先生が、ある時 宿題をしなかった私に 「あのね
①もう3週間も前に決まっていた、しかも向こうからの申し出のアポイントだったのに、約束の一時間ちょっと前にLINEで コロナ対策の緊急会議が入ったため、日程の変更をお願いできますでしょうか? って。あなたの会社の中ではコロナ対策の緊急会議ってのは何よりも優先すべきことなんでしょうけど、私には何の関係もありませんが? ②離婚だ何だと、ここ数週間周囲を賑わせてたサラリーマンの友人から、結局別居することになったと聞いた。 で、どこに住むの?っていう私の問いに50歳目前の彼は平然
考えてみたら、これまで、 沢山の大事な人を見送ってきたなぁと思う。 もちろん、自分が立ち去る側で、 見送られたこともたくさんある。 でも、今でも心に残っているのは 見送る側の時のことばかり。 親の都合で転校する子 不始末を起こして退学する子 もっと良い学校へ行くために転校する子 社会人になってからも、同じで 結婚でやめちゃう子 会社が嫌で、辞めちゃう人 キャリアアップでスカウトされて転職する人 理由は何であれ、沢山の大切な人を 見送ってきた。 若いときは 別れ
2014年の8月にここに来てからもう7年。そろそろ地元に帰ろうと思う。この7年で色々経験できた。 部長職、見知らぬ土地、新しい友達、地方、退職、独立、新規ビジネスの立ち上げ、人脈、コロナ、etc 地元を離れて過ごしたこの土地も、思い出深い第二の地元。いつかまた戻って来たい気もする。地方は気楽だ。 しかしいま、この歳で居場所を変え、仕事を変え、また戻ろうとしてる。地元に住み、都会で仕事をする。もう一度それに戻る。どんな意味付けをしたらいいのか。この7年を振り返ったとき、私
あの人に誉めてもらいたい、と思う気持ちだけで頑張れる
わかろうとすることや、わかってもらおうとすること。その行為にはあまり意味はない。虚しくなるだけ。 でも、わかり合える人がいると、その人とわかり合いたくなるもっともっと。困ったな。
国民皆保険で基礎疾患が放置されることもなく、国民の多くが一定以上の健康を維持できているこのシステム。このシステムを誇ることもせず、ただただワクチンの接種率が低いと罵り高齢者を恐怖に陥れている。他国がワクチンを打って到達するレベルは、ワクチンなしの今の私たちのレベルと変わらない。
喫煙可で、テーブルにはレースの飾り。常連さんとの会話からおばちゃんは電話で今日の天気を調べたことを知る。そんなレトロな喫茶店でコーヒーをすすりながら頭を空にしてみる。だいぶ疲れてるな・・・わたし。
いつの間にかキレイになってるでしょ?気づいたら無くなってることあるでしょ?誰かがお掃除してくれてるんだよ?なんでそんな簡単なことがわからないのかなー?大人なのに・・・😢
一年前 足(?)を投げ出した この亀に会ったとき 「まぁ、のんびり行こうぜ」 って見えた。 今見ると 「誰だって(亀だって)新しい所に 飛び込むの、迷うよな…」 って見えてくる。 亀からすれば、 どうぞご勝手にという感じ(笑) 結局、自分次第。 見方次第。 充実してる も、 追われている も、 見方次第。 成長してる も、 苦しい も、 見方次第。 自由 も さみしい も 見方次第 ピンク も グレー も 見方次第 きれい も はかない も 見方次第
今となってしまえばこうも思う。以前のように、数か月に一度くらい会うだけの人でいてくれたら良かった。辛い思いと、幸せな思い出が、私をいつまでもここに閉じこめてしまう。 思えばそれまでの私の人生は、青かピンクかがほんの少し、混じってるのかどうかすらわからないほど、無色に近い濁った乳白色だった。数カ月に一度、会えた時にだけ、ほんの一瞬ステキな色に染めてくれるのがその人だった。月に一度、長い時は半年くらい連絡がないこともあったけど、それでもそんなに辛くはなかった。光り輝く一瞬があっ
40代になって、やっと気付いた。 「人生最後のこと」をやっているのに、 気付かないまま過ぎ去ってることが 何と多いことか! 母の弁当、最後に食べたのいつだろ? 合コン、最後に行ったのいつだろ? あんなに好きだったあの子と、 最後にキスしたのはいつだろ? ってことは、 これからも 「最後だったこと」 が増えて行くんだろうな。 最後に、出張行ったのいつだろ? 最後に、仕事で泣いたのいつだろ? 最後に、あの人と会ったのいつだろ? 「これが最後」なんて分からないから 毎日ヘ