ある傷を負った少年との再会 【カラモジャ日記 24-04-05】
乾燥した飢餓の大地に、集中的豪雨が降り注ぐ。ついにカラモジャにも、恵みの雨をもたらす限定的雨季がやってきた。僕たちはイギリス人に負けないくらい、天気の話をする。雨は僕たちの生命線だからだ。
雨は基本的に喜びの種だけれど、一つだけ厄介なのが副産物としてうまれる道路状況の悪化だ。未舗装路は豪雨によって秩序を失い、深い凹凸がところどころ思い出したかのように現れる。
そんな不規則な凸凹をかわしながら、僕たちは支援対象者が暮らすコギリギリ村に入っていく。
今週から僕たちは、支援対象住民の家々を回って、一年間のプロジェクト成果を測るための調査を始めた。それと同時に、久しく農場に顔を見せていない住民を訪問し、励ますための対話も行っていく。どちらかというと後者の方がメインだ。
炎天下の中、村の中を隅から隅までかけずり回って、住民と個別に対話を行う。これは結構骨が折れることだけれど、プロジェクトの中でも大切な時間の一つだ。
基本的に調査はウガンダ人スタッフだけで十分遂行できるけれど、僕もよくこういった対話に参加する。プロジェクトを動かすためには、村人一人ひとりが何を感じ、何を考え、どんな暮らしをしているか、自分の手足を動かして理解(しようと)する必要があるからだ。
それは僕がウガンダ駐在時に自分自身に課した最も基本的なルールの一つだった。今月で駐在3年目になるけれど、そのスタンスを変えるつもりはない。
しかし、この日は少しばかり予定が詰まっていたので、対話パートはウガンダ人スタッフに任せて、僕は挨拶だけしながら住民の家々を回っていた。
* * *
「ステラ、久しぶりじゃないか」しばらく農場に来ていなかった支援対象者の一人を発見した僕は興奮気味に言った。「最近、どうしているんだい?」
「家族の農地の方が忙しくてね」とステラが言った。
「でも、もう1ヶ月は顔を見ていなかった。ずいぶん探していたんだよ」
「私を探していた?本当に?」とステラは尋ねた。
「本当だよ」と僕は言った。
彼女は農業グループの中でも数少ない、英語の読み書きができる住民だった。しかしグループの内紛によって、彼女はしばらくの間、活動から遠ざかっていたのだ。
「みんな君を待っているよ」
「本当にそうかしら?」
「もちろんだよ。グループは君を必要としている。君がグループに戻ることは、グループにとっても重要だし、君にとっても重要だ」
炎天下の立ち話、額からは汗が滴り落ちてくる。
その時だった。
僕は、ステラの影から僕のことを見つめる子どもたちの目線を感じ取った。全裸の赤ん坊を抱えながら粘り気の強い鼻水を垂らす少年。栄養失調でポッコリとお腹だけが膨らんだ少女。しかし、僕と最初に目が合ったのは、その脇に立っていた松葉杖の少年だった。
すぐに思い出した。「僕は君のことを知っている」。
そうだ、僕は彼のことを知っている。僕はゆっくりと彼に近づいた。
* * *
2023年6月。一年前のこと。
コギリギリ村を訪問した僕は、村人と木陰で談笑を楽しんでいた。村に外国人が入ってくるなんて豚が出産するくらい稀なことらしく、物珍しさにたくさんの野次馬が集まってくる。その中に、まだ10歳にも満たない松葉杖の少年がいた。彼は僕らの農業支援に参加する住民の弟だった。
彼のことが気になったのは、ただ松葉杖をついていたからではない。ズボンの下に隠れた彼の左太ももは、異常なほどに膨れ上がっていたからだ。そこには、複雑な固定具とテーピングがなされていた。
僕は話をしていた住民に尋ねた。「彼はどうしたんだろう?」
「撃たれたんだよ」と村人は言った。
「撃たれた?」
「政府軍兵士の発砲さ」
「それは、つまり、どういうことだろう?」僕の頭にはみるみる混乱が広がっていく。
「牛の窃盗団と政府軍の兵士の小競り合いだよ。牛を盗んだ悪名高い窃盗団を狙って政府軍は発砲した。その流れ弾が、彼の左太ももを直撃したんだ」
「まさか、そんなことが……」僕は言葉に詰まった。
「あるんだよ」と村人は言った。
「整理させてほしい」と僕は言った。「つまり、ある時牛の窃盗団と政府軍がこのあたりで小規模の戦闘を始めた。それは銃弾が交わされるようなインテンシブな戦闘だった。そして、政府軍が乱射した銃弾の一つが、ただこの地域に暮らしていただけの彼に命中した。そういうことかな?」
「そういうことになるね」
カラモジャでは窃盗集団が家畜の強奪や村々を襲撃し、略奪・殺人などに手を染めている。その治安を維持するという目的で政府軍の兵士が大量に派遣されている。彼らは時に、突発的な戦闘を始める。
そして、何の罪もない住民が傷つく。『二頭のゾウが争う時、傷つくのは草』というアフリカのことわざを僕は無意識に思い出していた。傷つくのはいつだって、何の罪もない住民だ。
「それで、政府軍はもちろん補償してくれたんだよね?」と僕は聞いた。
「そんなわけないだろう」と村人は苦笑いした。「よくあることだよ」
諦めの空気が漂う中で、誰もが弱々しいため息を吐くしかなかった。よくあることであっていいはずがないのに。僕の心の中では、言葉にならない言葉たちが暴れていた。
「家族・親戚がお金を出し合って、彼を隣町の病院に運んだ。それである程度の治療を受けられたんだよ」
僕はもう一度、彼の複雑な治療のあとが残る左太ももを眺めた。
「ひどい」と僕は言った。本当にひどい。
沈黙、沈黙。僕はその場から、僕(僕たちの組織)に彼の治療費を支援してくれないか?という懇願の雰囲気を感じ取った。誰も口にしなかったけれど、みんなが心ではそう言っていた。
僕は最後まで、そのことに触れなかった。支援対象者の家族だからといって、特別扱いするわけにはいかない。他の支援対象者の家族にも、障がい者、慢性疾患患者、また栄養失調の子たちはたくさんいる。僕には少年だけを支援するという選択ができなかった。
少年は終始無言で僕のことを見ていた。僕は悔しくてたまらなかった。それと同時に、僕は何かに対して怒っていた。深くて、強い、行きどころを失った感情が、心にこびりついて残った。
* * *
2024年4月。約1年ぶりに、僕は彼と再会した。
「久しぶり」と言って僕は少年に近づいた。彼は何も言わなかった。
「足の具合はどうだろう?」と僕は言った。彼は何も言わなかった。
「ステラ、彼の足の具合はどうだろう?」と僕はそばにいたステラに訊いた。
「あぁ、親族がお金を出し合って、こないだも病院に行ったと聞いたよ」とステラが言った。
「回復してきているのかな?」
「そう思うわ。最近は片方の松葉杖だけでも歩けるようになったらしいからね」
「よかった」と僕は言った。本当によかった。
一年前に少年と会った時、僕は何もできなかった。僕はそのことに負い目を感じていた。でも、今だって何も変わっていない。相変わらず僕にできることはない。
「彼の怪我はね、政府軍の兵士が乱暴に銃を発砲したせいで……」とステラが語り始めた。
「その話は知ってる。僕は一年前に彼と会ってるんだ」と僕は彼女の話を遮った。同じ話を聞くのがただ辛かった。
「元気に過ごしてるかい?」と僕はもう一度少年に話しかけた。
「……」無言。やはり少年は言葉を発しなかった。
その日は忙しい1日だった。住民の世帯を回ってから、農場を見に行き、その後また別の村に入る。後の予定が詰まっていた僕は、足早に次の住民の家に向かうしかなかった。
あっという間に時間が流れていった。でも僕の心の中には、常にあの少年がいた。彼はなぜ無言なんだろう?怒っている?悲しんでいる?諦めている?
直接的にできることは何もなかった。でも、僕たちにはやらなければいけないことがある。それはこの地域の人々が銃を握って略奪をしなくても、平穏に暮らせる社会をつくることなのだ。
この地域には暴力が溢れている。でもその暴力の根源には、食料という人間として最低限の生活ができないという厳しい生活状況がある。戦いたい人なんていない。彼らは生き残るために、悪に手を染めるのだ。
だから。僕たちは、地元の人たちが自らの手で食料を確保できるようにと、農業プロジェクトを開始した。それはまだまだ道半ばだと思う。困難もたくさんある。それでも、僕たちは決して諦めてはいけない。
必要なのは銃ではない、食べものなんだ。
松葉杖の少年は、最後まで一言も言葉を発さず、ただ僕の目を見つめているだけだった。僕のほうも、彼に対して伝えられる適切な言葉が見つからず黙り込んでいた。
それでも、彼の姿を目にした時から終始、僕はずっと同じことを感じていた。
「少年が生きててくれて、よかった」
僕にはまだ、カラモジャでやるべきことがたくさんある。
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