デカルトの欠点

デカルトの方法序説を読んだ。
僕は納得がいかなかった。デカルトは信仰を軽視している。神を理性で証明しようとするところはアホすぎて笑えた。

神は理性で証明できないから、信仰があるのに。そこで疑ったって何にもならないんだよ。

「神は、信じるか、信じないか。」
それだけ。この選択が命の使い方を決める。

どちらが正解とかではなくて、これは信念の問題だ。どっちを選んで唯一の存在なるかということだ。

僕は神を信じたい。とはいえ、僕の神はみんなの言う神ではない。

僕には、昔恋人がいた。とても性格の良い人だった。小学生の頃から好きで、高校になって付き合えて本当に嬉しかった。僕は小学生の頃から、その人になれるように努力した。人を傷つける笑いを取らないようにしたり、優しい言葉遣いにするよう試みたり、色々頑張った。

だけど、別れてしまって、何が残ったろう?君を目指すこととはつまり、君への依存ではないか?君は完璧な人ではない。無論、人間に完全などない。

では、どうすれば僕は成長できるか考えた。尊敬する人を敬っても無理なら、どうすれば…?

答えは神を信じることだった。つまり、この神とは理想だ。今の僕よりもより完全な存在が常にあり続けることを信じるのだ。そうすることで、限界を打破できる。

これが僕には必要だと感じた。でも、デカルトはそれを証明しようとした。理性で!そんなことができたらもとより君は神ではないか?

デカルトの方法では私は限界は越えられず、人間の当たり前を認識することしか不可能だと考える。

私はキルケゴールの信仰の飛躍を支持する

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