『日本幽囚記』を読んだきっかけの1つが、みなもと太郎先生の漫画『風雲児たち』です。
『日本幽囚記』を読んだきっかけの1つが、みなもと太郎先生の漫画『風雲児たち』です。
作者のみなもと太郎先生がお亡くなりになったのが、残念です。
(ちなみに、『風雲児たち』の存在を知ったのは、漫画『落第忍者乱太郎』の作者のインタビューからです。)
「ゴロヴニン事件」だけでなく、大黒屋光太夫らのロシア漂流、レザーノフ来航等、江戸時代の日露関係の出来事について聞いた時、私は『風雲児たち』を連想するのです。
読み返したら、中川五郎治(次)さんの視点で描かれているところが特に良いです。
この人は、ロシア人の日本襲撃の際に拉致されて約5年ロシアに囚われて、その間、囚われた他の日本人は亡くなって、やっと帰国できるかと思えば日本に捕まったロシア人のために交渉役にされて・・と色々と大変な目に遭わされていたのです。
しかしながら、『日本幽囚記』では、日本側から良いように言われていないのです。
釈放された後、日本側から、捕まった先で名前を変えたことについて、「君のような人が変名しても意味ないんじゃね?」的な感じで突っ込まれたり。
ロシアで外に出なかったことについて、「外に出て見聞してくればよかったのにー」
みたいなことを言われたり。
大変な苦労をしてきた人に対して、ひどい事言うなあと思ったのですが、
『風雲児たち』を読んでいなかったら、自分も『日本幽囚記』の中の人たちの視点でしか見てなかったかもしれない、と考えさせられました。
それに、
『日本幽囚記』しか読んでいなかったら、彼が種痘法を日本にもたらし、自身も種痘を行って人命を救った偉大な人だとは知らずに、一生を終えていたかもしれない、とも思いました。