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本朝三字経

釈本:本朝三字経余師略解
著者 青木可笑 解
出版者 静観堂[ほか]
出版年月日 明6.9

我日本 一称和
我が日本、一に和(やまと)と称す。

地膏腴 生嘉禾
地は膏腴(こうゆ)にして、嘉禾(かか)生じる。
*地味が肥えていてよい五穀ができる。

人勇敢 長干戈 
人勇敢にして、干戈(かんか)に長す。
*干戈ー武器一般のこと。

衣食足 貨財多
衣食足り、財貨多く。

昔神武 闢疆域
昔神武、疆域を開き、
*神武東征のことを言う。

一天下 創建国
天下を一つにし、国を創建す。

有国風 曰和歌
国風あり、和歌と曰(い)う、

辞婉麗 可吟哦
辞(ことば)、婉麗にして吟哦(ぎんが)す可(べ)し。

如神功 犯矢鋒
神功の如きは、矢鋒(しほう)を犯し、
征三韓 成附庸
三韓を征し、附庸(ふよう)と成し、

収貢物 討不共 
貢物を収めて不共を討(とう)す。
*神功皇后の熊襲征伐と三韓征伐のことを言う。

仁徳仁 皇弟賢
仁徳は仁、皇弟は賢、

互遜位 及三年
互いに位を譲りて三年に及び、

弟自殺 仁徳伝
弟自殺して仁徳に伝わる。

帝矜民 察炊煙
帝、民を矜(あわれん)で炊煙(すいえん)を察す。
*炊飯の煙が上がらないことで民の困窮を知った故事。

曆天文 百済来
暦、天文、百済より来る。

五憲法 聖徳裁
五憲法、聖徳裁す。
*十七条の憲法をもって聖徳太子が朝礼を定めたことを言う。憲法が通蒙・政家・神職・儒士・釈氏で分かれていたので、五憲法と称す。

至文武 文学盛
文武に至りて文学盛んとなる、

設大学 教徳行
大学を設けて、徳行を教え、
*大宝元年に大学寮を開いたこと。

始釈奠 祭先聖
釈奠(せきてん)を始めて先聖(せんせい)を祭る。
*釈奠(せきてん)とは孔子とその門人を祀る祭儀、儒教儀礼を整備したこと。

日本紀 三十卷
日本紀、三十巻、

九百年 舎人選
九百年、舎人の選なり。
*舎人親王、自らが編集を総裁した日本書紀を奏上した。

仲麻呂 聘于唐
仲麻呂、唐于聘(へへえ)して

称朝衡 友李王
朝衡と称し、李王を友とす。
*阿倍仲麻呂は唐へ招聘され、詩の大家李白を友とする。

在異域 其名芳 
異域に在って其の名芳し。

孝謙時 詔万民 
孝謙の時、万民に詔(みことのり)して、

読孝経 孝道新
孝経を読ましめ孝道新しくなり。
*孝謙天皇の時代に吉備真備が孔子を始めとする儒教の聖人を祭る朝廷儀礼である釈奠の整備にも当たったことを言う。

桓武朝 有対策
桓武の朝、対策有り、

試人才 挙巨擘 
人才を試みて、巨擘を挙げる。
*桓武天皇が対策という試験を行い優れた人材を登用したこと。

弘仁人 有非常 
弘仁(こうにん)の人、非常有り、
*弘仁(こうにん)とは嵯峨天皇の即位の元年であり、この時に人傑が並び出たことを言う。

釈空海 小野篁
釈の空海、小野篁(おののたかむら)
*真言宗の開祖と有名な文人。

菅名家 出菅公
菅名家にして菅公を出(い)だす、

公文学 冠日東
公の文学日東に冠たり。
*日東ー日本の雅称。

紀貫之 古今集 
紀貫之、古今集。

順和名 所不及
順の和名、及ばざる所なり。
*源順(みなもと の したごう)日本最初の分類体辞典『和名類聚抄』を編纂した。三十六歌仙の一人。

書道風 及佐理 
書は道風及び佐理、

併行成 三蹟美
併せて行成、三蹟美あり。 
三跡(さんせき)は、書道の能書家として平安時代中期に活躍した小野道風藤原佐理藤原行成の3名を指す。

清与紫 才女子 
清と紫(し)とは才女子、

著源氏 作双紙
源氏を著し、双紙を作る。

道長奢 不修徳
道長奢にして徳を修めず、

藤氏盛 至此極 
藤氏盛ん、此処に至って極まる。

博学名 江匡房
博学の名があるは、江の匡房(こうのまさふさ)、
*江匡房とは大江匡房(おおえ の まさふさ)のことで藤原伊房藤原為房とともに白河朝の「三房」と称された。

義家学 察雁翔
義家学んで雁の翔けるを察す。
*藤原義家は源頼朝の祖先。後三年の役でが乱れ飛んでいたのを見て、それを見た義家はかつて大江匡房から教わった孫子の兵法を思い出し、清原軍の伏兵ありと察知し、これを殲滅した雁行の乱れが有名。

平重盛 可謂仁
平重盛は仁と謂う可(べ)し、

事父孝 事君純
父に事(つか)へて孝、君に事(つか)へて純、

憂君父 忘其身
君父(くんふ)を憂いてその身を忘れる、

平氏亡 失斯人
平氏の滅びるはこの人を失わばなり。

源頼朝 執朝政
源頼朝、朝政を執り、

皇綱解 将権盛
皇綱を解て、将権盛んなり。

東鑑者 鎌倉史
東鑑は者、鎌倉の史、

述事実 見蔵否
事実を述べ、蔵否(ぞうひ)を見(あらわ)す。
*東鑑ー吾妻鏡のこと。蔵否(ぞうひ)ー善悪のこと。

北条氏 有泰時
北条氏に泰時有り、

克其欲 去其私
其の欲に克ち、其の私を去る、

有国風or定式目 寓箴規
国風有り、箴規を寓(よせる)。
式目を定め、箴規(しんき)を寓(よ)せる。
*北条泰時が御成敗式目を定めたことを言う。箴規(しんき). 戒めのこと。

後醍醐 親執政
後醍醐、親(みずか)ら政(まつりごと)を執(と)る、

雖南遷 皇統正
南遷すと雖(いえど)も、皇統正し。

正成賢 能用兵
正成賢(けん)にして能く兵を用い、

盡精忠 如孔明
誠忠を尽くして公明の如し。

子正行 尋北征
子の正成、次いで北征し、

父子志 雖不成
父子の志成らずと雖(いえど)も、

同天地 存美名
天地と同じく美名を存(そん)す。

尊氏興 以詐力 
尊氏興るや詐力を以てす、
*足利尊氏が後醍醐天皇に謀反を起こし室町幕府を開いたこと。

及其乱 骨肉食
其の乱及んで骨肉食む。
*観応の騒乱において弟の直義と戦を交えたことを言う。

六十州 終分裂
六十州も終に分裂し、

相杭衡 戦不輟
相抗衡(あいこうこう)して、戦輟不(いくさやまず)。
*抗衡(こうこう)互いに張りあうこと。 対抗してゆずらないこと。

至信長 殆平治 畿平治 殆小康もある
信長に至りて殆ど平治、
*信長が天下を取り天下が収まったことを言う。畿は殆の異字、小康は平治と同じだが、信長によりかろうじでまとまったことを言う。

満招損 罹簒弑
満は損を招いて簒弑(さんし)に罹る。
*本能寺の変において明智光秀が信長を殺した三日天下を言う。

秀吉智 雖無比
秀吉の智は、比(たぐい)無しと雖も、

厚税歛 耽奢侈
税歛(ぜいれん)を厚め、奢侈に耽り、
*税歛(ぜいれん)租税をとりたてること。税の徴収。太閤検地で租税の取り立ての規則を定め、聚楽第などで奢侈に耽ったことを言う。

好戦伐 役多士
戦伐(せんばつ)を好み、多士を役す、
*二度の朝鮮出兵をさす。

其家亡 無孫子
其の家滅びて孫子(そんし)無し。
*豊臣家が二代で滅び断絶したことを言う。

積善家 有余慶
積善の家は余慶有り、

積不善 有余殃
積不全は、余殃(よおう)有り。
*徳川家康が天下を取ったことを指す。余殃(よおう)とは先祖の行った悪事の報いが、災いとなってその子孫に残ること。余慶はその反対。

憂労興 逸予
憂労は起こり、逸予はほろぶ、
*憂労とは心配苦労をするものの事、逸予とは気ままに遊び楽しむこと。苦労して努力すれば栄達し、怠ければ滅びると説く。

愼厥畢 無不康  愼厥終 靡不康
厥畢(そのおわり)を慎めば、康(やす)から不(ざ)ること無し。
*畢は終の異字、康はやすらかを意味する漢語の仮借。はじめを顧みて終わりを慎めば万事の事はうまくいくと説いている。

盛衰理 人事彰
盛衰の理(ことわり)、人事なること彰かなり。
*人理ー人としてそうあるべき道理。人間としてふむべき道、ここでは国家や一族の盛衰は天の定めではなく人の行いで変わりえると説く。

読之者 冀勿忘
之を読む者は、冀(こひねが)はくは忘れるなかれ。
*冀(こひねが)はくはーお願いですから。なにとぞ。の意味。ここでは志や今まで書かれてきた正道、誠の道を忘れないでくれと訴えている。


原文コピペ用
我日本 一称和
地膏腴 生嘉禾
人勇敢 長干戈
衣食足 貨財多
昔神武 闢疆域
一天下 創建国
有国風 曰和歌
辞婉麗 可吟哦
如神功 犯矢鋒
征三韓 成附庸
収貢物 討不共 
仁徳仁 皇弟賢
互遜位 及三年
弟自殺 仁徳伝
帝衿民 察炊煙
曆天文 百済来
五憲法 聖徳裁
至文武 文学盛
設大学 教徳行
始釈奠 祭先聖
日本紀 三十卷
九百年 舎人選
仲麻呂 聘于唐
称朝衡 友李王
在異域 其名芳 
孝謙時 詔万民 
読孝経 孝道新
桓武朝 有対策
試人才 挙巨擘
弘仁人 有非常
釈空海 小野篁
菅名家 出菅公
公文学 冠日東
紀貫之 古今集 
順和名 所不及 
書道風 及佐理 
併行成 三蹟美 
清与紫 才女子 
著源氏 作双紙 
道長奢 不修徳 
藤氏盛 至此極 
博学名 江匡房
義家学 察雁翔
平重盛 可謂仁
事父孝 事君純
憂君父 忘其身
平氏亡 失斯人
源頼朝 執朝政
皇綱解 将権盛
東鑑者 鎌倉史
述事実 見蔵否
北条氏 有泰時
克其欲 去其私
有国風 定式目とも 寓箴規
後醍醐 親執政
雖南遷 皇統正
正成賢 能用兵
盡精忠 如孔明
子正行 尋北征
父子志 雖不成
同天地 存美名
尊氏興 以怍力 以詐力とも
及其乱 骨肉食
六十州 終分裂
相杭衡 戦不輟
至信長 殆平治 畿平治 殆小康とも
満招損 罹簒弑
秀吉智 雖無比
厚税歛 耽奢侈
好戦伐 役多士
其家亡 無孫子
積善家 有余慶
積不善 有余殃
憂労興 逸与亡
愼厥終 靡不康 愼厥畢 無不康とも
盛衰理 人事彰
読之者 冀勿忘

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