「偏愛、万歳。」のはじまり、と自己紹介
夜分遅くにこんばんは、そしてはじめまして。
このnoteを書こうと思い立ってから月日が流れに流れ、何を書けばいいのかも全く定まらず、相棒は優しいから督促等も今のところ、いただいていないが、さすがに何か書かねばということで、現在完成系が完全不透明ながらタイピングする両手をカタカタ動かしております。
「一般人」なんです、私
取り急ぎ、自分という人間のプロファイルを完結にまとめます、一言で表すと「一般人」です。
もう少し噛み砕くと、日本人という約1億3千万人の集団の中では、世間一般的には”まとも”とされる経歴、キャリアのレールの上をとりあえず25年間歩いてきたという感じです。
さらに噛み砕くと、小学校、中学校は地元の公立の学校に通い、高校受験にて大学付属の私立に入学し、そのままエスカレータ式に大学まで進み、大学で1年間の留学を挟み、計5年間かけて大学を卒業し現在の会社に就職しました。
現在は損害保険会社にて営業の仕事をしており、週5日サラリーマンとして社会の歯車活動に精を出し、
貴重な週末は友達と飯を食べたり、温泉に行ったり、フットサルをしたりしています。
以上が自分のプロファイルとしては十分な内容だと思います。
先に述べた「一般人」という表現のニュアンスが少しクリアになったのではないでしょうか。
そうなんです、こんな有名インスタグラマーとか人気Youtuberが話すような語り口調で、さもたくさんの方がこの文章を読むことを前提としているような自己紹介になりましたが、私は紛れもないただの「一般人」です。
何かに突出している等のエッジの効いたコンテンツは持ち合わせておりません。
相棒からのお誘いを受けました。
では何故そんな「一般人」の私がNoteを今書いているのか。
単純に相棒に誘われたからです。それだけです。笑
少し、相棒とのことを書きます。
相棒とは大学が同じでしたが、学部も違い、同じコミュニティには所属していませんでしたが、大学3年の時に受講していた留学生向けの選択英語の授業がたまたま同じで、その授業をきっかけに知り合いましたが、かといって特に仲良くなるわけでもなく、とりあえずFacebookを交換するだけの関係でした。
頻繁に会うようになったのはお互いが大学を卒業してからで、相棒がサーフィンに誘ってくれたのがきっかけで、そこから今では毎週末、当然のように東京のどこかで集合するまでになりました。
そんな相棒からある日突然、「メディアを一緒にやらないか?」とのLINEを頂戴したのは記憶に新しいが、なんのことか分からずとりあえず相棒が待つ某シーシャ屋に急いで向かい、何を企んでいるのかを聞きに行きました。
まあ、返事なんて大層なものなんてなく、ただおもろそうだがらやると答えました。
↓俗にいうWhat we doとかWho we are的なやつ↓
何に関するメディアなのかは相棒の方のNoteで説明してくれてるので、私の方では詳しく述べることはサボります。→相棒のNote
一言だけで紹介すると「偏愛主義者」にフォーカスし、掘り下げていこうと思ってます、以上です。笑
メディアの紹介をサボる代わりに、私が相棒からの「偏愛主義者」にフォーカスしたメディアに対して、おもろそうと思ったのかの要因分析をしてます。
おそらく要因は大きく2つあって、①副業的な意味でのメディア運営に興味があった②偏愛主義者という「一般人」である自分とは正反対の領域にいる人の生態に興味があった、だと思います。
一つ目の①副業的な意味でのメディア運営に興味があった、から掘り下げていくと、現在私は本業として損害保険会社に勤めており給料をもらっていますが、昨今の日本では終身雇用の終焉であったり、老後2000万円問題等からも顕著なように、明らかなサラリーマンとしてのライフモデルの変換機に差し掛かっていると、個人的に思っており、思ってはいるものの特に何も行動せず、自分はこのまま今の仕事を続けていて本当にいいのだろうか、大丈夫なのだろうかと不安を垂れる「一般人」なのです。
そんな何をしていいのか、何かをするにもタイミングがわからない、最初の一歩が踏み出せないといったところに、「メディアを一緒にやらないか?」とLINEを貰ってみてください、そんな魅力的なオファーを断る「一般人」はいない気がします。
二つ目の②偏愛主義者という「一般人」である自分とは正反対の領域にいる人の生態に興味があった、について掘り下げると、冒頭から連発している「一般人」というワードについてだが、相棒はこのワードからは大きく逸脱していると思っています(色んな意味で笑)。
私にはない行動力、発想力、バイタリティがあり、とても「一般人」と呼べる枠に収まりきっておらず、今回我々のメディアでフォーカスする「偏愛主義者」にも近いニュアンスを感じるような人間なのです。
他方で私は「一般人」でいることに窮屈さ、不安、物足りなさを常々感じてはいるものの、この枠から飛び出すことが出来ず、心が満たされていない日常を過ごしています。
では私と対局の領域に存在する「偏愛主義者」の生態はどのようになっているのか、彼ら・彼女らの心は果たして満たされているのか、
単純に自分とは異なるモノ(ヒト)に対する興味から、願わくば自分が「一般人」から抜け出す手がかりでも掴めたらという少しの下心もあり、
彼ら・彼女らを追うことにしました。
そろそろ日もまたぎそうなので私の一本目のNoteはこの辺で終わりにします。また書きにきます、おやすみなさい。