ダイバーシティを「多様性」以外の意味で訳せますか?
世の中には、言葉の定義を今一つ理解されていない状態で使われている言葉が多数ある。定義が曖昧の状態で使用される言葉なので、その言葉の意味は話し手と受け手によっても解釈の仕方が異なる。そんな一つの言葉の解釈の相違により、話し手と受け手によって交わされている会話は徐々に食い違っていくものだ。
例えばダイバーシティという言葉。昨今、耳にする回数が増えた言葉であり、一度は自分の口から、ダイバーシティという言葉を発したことのある人も少なくはないと思う。そんなあなたに「ダイバーシティってどういう意味ですか?」と突然質問を投げかけたら、それに対する回答を即座かつ簡潔に言うことができるだろうか、おそらく難しいのではないか。
これは、なんとなくダイバーシティという言葉のざっくりとした意味だけを理解し、会話の文脈の中でなんとなく使われていたり、企業の組織目標として取り上げられているためとりあえず言ってみたり、といった文脈において使われていることが非常に多いと感じる。
一方で、そもそも定義に正解がない言葉も存在すると僕は思う。ダイバーシティもその類の言葉の一つだと認識している。
新語時事用語辞典ではダイバーシティをこう定義している。
【新語時事用語辞典より】
ダイバーシティ(英:diversity)とは、ビジネス・経営・人事といった話題において「雇用する人材の《多様性》を確保する」という概念や指針を指す意味で用いられる語。ダイバーシティは、単に「多様性」と訳されることも多々ある。
おそらく大多数のダイバーシティという言葉をなんとなくの定義で使っている人は「多様性」という感じ、みたいな捉え方だろう。ちなみに僕もこんな感じの捉え方だ。
しかし、こないだ友人とダイバーシティについて話していた際に、友人が思うダイバーシティの定義を聞いて、おもしろい捉え方だなと思った。
それは、「自分の価値観とは異なる価値観の存在を認識しながら、自分の価値観とその異なる価値観との違いになんとも言えない『気持ち悪さ』を感じること」だという。友人はさらに「左脳では理解している価値観のはずなのに、右脳では理解できていない価値観が混在している状態」と付け加えていた。
それを聞いてとても納得している自分がいて、自分でもびっくりしたが、これも一つのダイバーシティの定義であり得ると思ったのも事実だ。
もう一つ具体的な言葉を挙げるとすると、アイデンティティという言葉がある。
広辞苑によると、以下のように書かれている。
【アイデンティティ[identity]とは】
❶ 自己が他と区別されて、ほかならぬ自分であると感じられるときの、その感覚や意識を言う語。自己同一性。自我同一性。
「━の喪失」
❷ 組織体で、それを他と区別し特徴づけるもの。独自性。
「企業の━」
おそらく大多数の人は「自分の中に一本通っている自己認識のこと」のようにザックリと定義しているのではないか。
しかし、これもまた友人によるアイデンティティの捉え方になるが、アイデンティティとは「これまでに自分が出会ってきた人たちと、自分との違いの境界線のこと」と言っており、これもまた非常に納得する捉え方だなと思ったのだ。
上述した、ダイバーシティとアイデンティティはあくまでもほんの一例中の一例であり、言葉の定義が曖昧かつ、人によってその言葉の意味の捉え方が異なる言葉は非常に多い、というより、しっかりと自分の中でその言葉の意味を噛み砕いて咀嚼し、言語化せずに使用している人が多い気がする。
もちろん日常での会話中に飛び交う言葉すべてにおいて、一つひとつその定義を言語化するのは疲れてしまうので、そうするべきだとは言わないが、少なくとも、よく使う言葉出会ったり、よく耳にするような言葉だけでもその定義を自分の中でしっかりと言語化、定義付けをすることは、人と会話のコミュニケーションをする上で必要な準備であると思っている。