SNSを(ほぼ)やめることについて
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タイトルの通りなのだけれど、SNSをほぼやめようと思う。
例によって思いつきではあるけれど、これまでも段階的にSNSを使う時間、あるいはスマホを手に取る時間を少なくしてきた。
「ほぼ」とあるように、今のところは完全にSNSをやめられない所もあるのだけれど、気持ちとしては、極端な話スマホも手放せたらと思っているくらいである。
それくらい、今の暮らしにはスマホ、あるいはSNSがあるということが、みんながみんなそうではないにせよ、割と一般的になっているし、人によってはスマホもSNSもないと困るという人もいるかもしれない。
自分のことを振り返ってみても、1日を過ごしていると、かなりの回数でスマホを手に取っているだろうし、SNSを見ている時間だって、1日で合計すると、なかなかの時間になっていると思う。
今はというと、SNSは基本的に何か発信する時にアプリを開いて、その時にタイムラインをさらっと見るくらいで、あとはSNSのアプリは開かないようにしている。
とはいえ、そうするようになるまでは、なんとなくSNSを開いては、だらだらとずっと流れてくるものを見る時間がかなり多かった。
SNSは全部が全部ではないけれど、基本的にスクロールすれば、ずっと情報が流れてくるわけで、見ようと思えばずっと見ていられるというか見てしまうものである。
それを楽しめていた時もあったけれど、いつの間にか楽しいというよりは、誰かを羨ましいなあと思ったり、大量の情報に疲れたりということの方が多いと感じるようになった。
まあ、これは向き不向きもあるのかもしれないけれど、僕にとってはSNSがある生活というのを、あまり楽しめなくなってきた。
あと単純に、もっと身軽になりたいと思うようになった。
少食にしたり、モノをいろいろ手放したのもあってか、欲や執着がだいぶ小さくなってきて、欲しいものもないし、さらに所有することにあまり興味を持たなくなってきたので、僕の小さな部屋からはモノがほとんどなくなりつつある。
物質的なものをだいぶ手放してみると、これまで「これがないと楽しく生きていけない」と思っていたモノですら、自分には必要なかったということに気づいたし、そうやって自分が抱え込んでいるもの、もしくは自分を縛っているかもしれないものを、できるだけ手放してみたくなった。
だから生活にあるのが普通であり、必要と思い込んでいたSNSも、ちょっと手放してみたらどうなるだろうという好奇心が、SNSをほぼやめる1番の理由になるかもしれない。
SNSを完全にではなく、「ほぼやめる」としたのは、このnoteもどうやらSNSみたいなので、noteはこれからも続けていきたいし、ラジオ体操に使っているYouTubeもSNSらしいので、完全にやめるということにはならないわけである。
あとメッセージアプリというのかSNSも、個人的にはそろそろやめたいと思っているのだけれど、家族との連絡に使っているので、どうしたものか考えている所である。
僕は今みたいなスマホでもなく、SNSもない、電話とメールとカメラくらいの携帯電話、ガラケーから使い始めた世代である。
そして今に比べて、その時がものすごくつまらなかったというと、そんなことなかったと思うし、携帯電話は連絡をとるためのツールという感じで、とてもシンプルだったし、むしろ今よりも気持ちものんびりしていたと思う。
今はスマホを持っていても電話はほとんど使わないし、メッセージのやり取りがメインになって、メッセージも送ったら送ったで、読まれているか気になるし、読まれているのに何にも返ってこないと、それはそれでソワソワしたりとなんだか大変である。
まあ便利なことは便利なのだけれど、なんだか今となっては、電話とメール、カメラくらいの機能が自分にはちょうどいいのかもなあと思うし、スマホやSNSを眺める時間はもっと少なくして、もうちょっと人生をシンプルなものにしていきたい。