自分らしさ
性格で損してるよね、と言われた21歳の春。
アルバイト先で、新人教育にあたっていた10歳ほど年上のお姉さんに言われた。
始めてそんなことを言われたもんだから、正直なんて返事をしたか覚えてはいない。
ただ、言われたことを、ゆっくり、自分の中で咀嚼し、理解していると、確かになと思う節があった。
あれから数年、その人とはアルバイトを辞めたあたりから疎遠になり、全く関わりがない。所詮アルバイト先で知り合った人なんてそんなもんだろう。
キミは人に好かれようするのが当たり前のようにできるね。意識してるのか、わからないけど。
そう言われたときに、ふと思い出した。
性格で損している。
好かれようと、悪く言えば他人の顔色をうかがい相手の喜ぶ言葉を紡ぐそんな自分の性格。
自分の気持ちを話すのがあまり得意ではない。趣味を聞かれても濁すし、好きなものを聞かれても誤魔化す。
答えても別になんの問題も害もない。ただ、否定されそうで怖いのだ。他人のイメージする自分であるために、意外だねと言われて笑われることを避けているのだ。
こうなると本当の自分を出すことができなくなる。丁寧で女性らしい言葉遣いを意識してしまうのと同じだ。感じの良い人を演じてしまう、いつも笑顔で愛想よく。これはある種の呪いの言葉だ。
実際はそんなことないのだ。
汚い言葉遣いをするわけでないが、どことなく雑で言い方のきつい、そういう聞こえ方のある喋り方。笑うときだって豪快に笑う。口元に手を添えて品のある笑い方なんてしない。手を叩いて笑う姿はさながらゴリラのようだ。
性格だって明るいタイプでもない、休日は引きこもり読書、絵を書いたり、YouTubeで芸人のネタ動画をみる。わかりやすく根暗だ。
しかし、見た目は派手なのだ。服装がではない、顔立ちがはっきりしている。明るくニコニコしていれば、元気で、活発で、明るくて、そういう印象を与えやすい見た目。
喋れば雑で、雰囲気根暗、笑う姿はゴリラの様。
この対比の中で生きている、自分らしさとは何なのだろうか。
見た目に寄せた作られた性格で、人と会い、距離を近づけていく。近づけば近づくほど、本来の性格が見え隠れし始める。
恋なんてもってのほか。
キミは思ってた人と違ったと言われてフラレるのは珍しくも何ともない。定番のフラレ文句、十八番とでもいうのか。
なんとなく慣れてしまった、癖のように、自分を隠し、出せず生きている。
同じことを繰り返す姿はさぞ滑稽だろう。
そして、本当の自分を受け入れてもらいたいと願う私はひどく愚かなのだ。