子供の命とムゼイの命
ムゼイという言葉を聞きなれている日は多くないと思う。まずは、この言葉について説明するところから始めようと思う。
ムゼイ自体は、年長の男性を指す言葉であるが、父や、祖父、兄や叔父など大人になった男性に向けて使う言葉だ。オリジナルはスワヒリ語からきているが、ウガンダに入ってきた言葉は形を変え、ムゼイ単体で使用されるようになっているようだ。
はじめに
アフリカに二年住んでいた時、日本だと治るような交通事故でも死を覚悟していた。目の前で子供が車に轢かれたこともあった。片腕の孤児に、施しを求められたこともある。ミリタリーポリスの威嚇射撃を遠巻きに見たこともあった。
その時、自分は、命を失う出来事が近くに滞在しているように感じていた。
子供の命
これは、およそ一か月前の話
土曜日の昼下がり、PokémonGoのカイリキーDayに勤しんでいた自分は、遅めの昼ご飯に、生魚をキメようと思い立って、回転寿司を食べた。
その後、少し離れた公園まで自転車で足を延ばし、ワンリキーを捕まえつつ、ゴーリキーに進化させたり、カイリキーに進化させたりしながら公演をうろうろしていた。
1時間くらいたって、1月の3時を過ぎた昼下がり、気温も徐々に下がってきていた。そろそろ疲れたから切り上げて帰ろうかなと思っていたタイミングで、散歩していたであろうおじさんにいきなり声を掛けられた。
「助けてくれませんか」
政令指定都市のはずれにある平和な公園で、ソンナコトアル?
と思いながらおじさんにのこのこついていく27歳児。
公園の端にある調整池の中にポツンと小学5~6年生くらいの少年が一人立っていた。
おぼれているわけでもなく、身動きが取れないようで、ただただ、佇んでいたのである。ポケモンを捕まえている間に、周囲で子供が数人遊んでいたのは認識していた。
しかし、そんな完璧なタイミングで池に落ちて、助けを待つなんてシチュエーションがあるのだろうか。
ここまで書いてきて嘘くさいと思うかもしれないが、紛れまない事実なのである。この後おじさんと、近くにいたおばさんと池のそばまで降りていき、周辺に落ちていた木の棒でその子を池の岸まで引っ張り上げた。
そこまではよかった
別に自分を英雄と思っていない。どちらかといえば、酒を飲んではわめき散らかし、服装にも無頓着。蛮族一歩手前だと考えている。
あっヤバイ滑ると感じた。
次の瞬間、靴の裏についた泥、学校のプールの床のような素材の調整池の岸まわり、ちょうどよく斜度のある岸、すべてがかみ合ったのだろう、生まれたての小鹿のごとく、太古のサルの時代の記憶を思い出したがごとく、なすすべもなく4足歩行で、するすると、調整池の中に吸い込まれていったのである。
私が
そこからはもう寒いのなんの、水をかけどもすすまない、貴重品もすべて身につけていたため、水浸し。
これは、死ぬのかと思いながら大声で笑う始末。
人間、理解が追い付かないと笑うと聞いたことはあったが、言い訳させてほしい。
この時の自分は違う。紛れまなく違うのである。
笑うことで周囲のおじさんやおばさん、少年達を安心させるために取った、最善の行動だと考えている。
「ミイラ取りがミイラになる」そんな言葉が頭をよぎった。
そんな中で、池に落ちた少年の友達が、自分に向けて必死で棒切れをつかむようにと差し出してくれている。この時、ぼんやりと頭の中で死ぬのか、うんうん、とか考えてた。
いやいや、待てよ、死ぬなら寒いところで死ぬのは嫌だな
と、わがままなことを思って、少年の差し出す木の棒につかまり何とか現世に帰ってきたのである。
ずぶ濡れのまま、普段は早く隕石落ちないかなとか言っているくせに死に場所を選びたがるなんて、とんだ茶番だなと思って苦笑いしてしまった。
助けてもらった後、あまりの恥ずかしさに、こんな経験ができて運がよかった。寒中水泳なんて死んでもやりたくなかったから1月の寒空の中、水に入るなんて君たちのおかげだよと精一杯強がった。
1人の少年の命を救ったはずが、いつの間にか命を救われてしまっていた。
ムゼイの命
ようやくここで、写真のウガンダ人のおじいさんの話である。
最近知ったウガンダの話で、ウガンダ西部に位置する月の山脈のどこかに魔法魔術学校があるっていうハリーポッターシリーズの設定を知って、ぜひ入学させてくれという話。
さて話を戻そう。
これは、ウガンダに住んでいるムゼイの話です。結論から述べると、彼はすでに御隠れになってしまったらしい。らしいというのは自分が直接確認したわけではなく彼の娘がFacebookで投稿しているのを見たので、まあ、そうなのだろう。
自分にとって彼は尊敬すべきムゼイであり、そこにいる意味をくれた、言葉で表せないほどの恩人になる。そんなムゼイは、若いころに私が済んでいたブタレジャに移住してきてたと聞いた。たくさんの子供を農業で育て、若いころにはインド人の商人とも交流があり。とても魅力的な人だったと彼の長男が言っていた。
自分は、スワヒリ語や、ブタレジャの言葉は、少ししか話せないため、ボディランゲージや、長男に通訳に入ってもらいやり取りをしていたことを思い出す。
あれは多分2015年の暮れだったと思う、初めてムゼイに会ったときは、白いカンズーという民族衣装を着ていたことを覚えている。彼は、いきなり私に対してハグをした。
初めて会った異邦人の若者に
自分はその行為にとても感激をしたことを覚えている。当時、自分が何でこの土地に来たのかということを全く見出すことができずに、悩んでいた。
その時、彼のハグが自分はここにいてもいいのかもしれないと考えるようになった。
その意味では、彼との出会いが今の私を形作っていることは間違いない。
そんなムゼイもどこか遠くに行ってしまった。だからこそ彼のことを思い出してみたくなった。
久しぶりにムゼイに会うと、「日本に帰ってしまったと思ったよ。」と言ったり、日本への行き方を聞いてきてくれた。日本に連れて行ってくれと。
会うたびに、食事を勧めてくれた。そういえば警察に拘留されていたこともあったような。
そんなどこにでもいるウガンダのおじいさん
2019年に2年ぶりに、ウガンダに戻ることができた。
その時にもちろん、ムゼイに会いに行った。
そこまで何回も会いに行ったわけではないが、以前に比べると家でずっと座って客人お相手をしている様子しか見なくなった。
自分の記憶が正しければ、前にウガンダに住んでいた時は、もう少し頻度多く町の方へ足を運んでいた、そんなように思えた。
彼の長男から聞いていた彼の話で
昔はすごかった。
今は、身体がむくんで痛みが激しい、だから、国中の医者に連れて行っているんだ。
この間は、200キロ以上離れた大きい町の病院まで連れて行った。
そんな話をしてくれた。
それを聞いて、再び会ったムゼイに対して、もう寿命なのかもしれないと安易に思ってしまった自分がいた。
いくらお金がかかっても周りの人たちは、彼に生きてもらいたいと思っていたようにみえた。決して裕福ではないのに。
彼の長男は、自分よりも年上だが、父親のことを頼りにしているように見えた。
きっと、ムゼイはみんなに信頼されているのだと自分は感じた。
最後に
不思議なことに、子供の命を救った日、興奮で眠ることができなかった。
いや、正確には人の命を一つ救うのはこんなものかという、葛藤にも傲慢にも似たよくわからない気持ちと、初めての経験が原動力となり、心が沸き立っていたのかもしれない。
対照的に、ムゼイの死はなんだかとてもさみしく、心がツンとしたような気持ちになったが、すぐに受け入れることができてしまった。
この違いは何だろうかと考えた。
たぶんこういう結論だろう。
知らない人とはいえ、前者は間違えなく、強烈な死という現実が、目の前まで現れたこと。まるで死神が現れたかのように
後者は、1万2千キロ離れた場所で大切な人が亡くなってしまったという、現実だけど、現実感に欠く出来事だからなのではないだろうか。
でも、よく考えてほしい、今日の夜、歩道を歩いていて自動車が突っ込んでくれば、そこで終わりなのだ。
別に、良く生きてほしいとか一生懸命生きろなんて、歯が浮くようなことをことを言うつもりはない。
だからこそ自分は、死という存在が、思っているよりも身近にあることを、思い出す。