梅干し難民
子供の頃、私は梅干しがあまり好きではなかった。
ところが、小4の時におたふく風邪になった際、食べられるものがお粥のみで、その時に祖母が漬けた梅干しをおかゆに崩して食べた。
ああ、あの衝撃をなんと喩えたら良いのか?
1番しっくりくるのは、目がカッ!と開いて、目からビームが出て視界がパァッ……っと広がって世界の色が鮮やかになったというか、とにかく、その時に世界が変わったのはいうまでもなく。
ただ、今考えると、祖母は料理は上手いと言われていたが、いわゆる大人向けの料理で、味覚がまだ不完全な子供にはその味が分かりづらく、子供の頃祖母が作ったもので美味しかったものは?と言われると「ブリの刺身」と「ブリの照り焼き」とブリ大根」と答えてしまうくらい、あまり思い出がない。
余談だが、書き初めの長い半紙をくらいのブリを、祖母が風呂場で新聞紙を広げ、解体ショーのように手際よく解体していたのを手伝った思い出である。
ブリの刺身と照り焼きとあら煮を伯父の家に年始の挨拶に来る人に振舞っていた。
祖母は梅の季節になると梅酒と梅干しを毎年作っており、小学生の頃には梅酒作りの手伝いをしていた。梅干しは4〜5年に一度作る程度だったので覚えておらず、赤紫蘇を天日干しにしてつくる「ゆかりのふりかけ」も好きで。
閑話休題。
そんなこんなで梅干しに衝撃を受けた。
そこで、自分の好みを模索して行った中、祖母の味を超える梅干しが現れた。
私の同級生のお母さんのお姉さんという方が、個人的に漬けている梅干しだったのだが、お姉さんの嫁ぎ先には梅の木がたくさん植っており、春は梅の花を愛でる人が近隣からやってきて、夏は梅の実を使って梅酒と梅干しを大量に漬けるというもので、大きな梅干しは果肉が柔らかく、塩の結晶がキラキラとまるでスワロフスキーのビーズのように綺麗についていた。
お茶漬けも、お湯だけでとても美味しいのである。
私が好きなのは梅干し半個分に鰹節のパックとお湯を200ml入れてゆっくり飲む「ぶし湯」で、寒い日の朝はこの「ぶし湯」でからだが暖かくなっていた。
大人になってからも数年に一度その梅干しをいただいていたのだが、15年ほど前、その女性(おばさま)が、年齢から梅干しを作るのが困難になっていた、と。その時すでにお歳は85。確かに、重いものを持つには大変。そのまま施設に入居してあっという間に身罷られた。
困った。
こんなことなら作り方を聞いておくんだった!!
それで、自分なりにネットや図書館、地域のカルチャーイベントなどで作ってみた。作ってみたんだよ!?
でも、あの味の再現ができない。
なぜ?ホワィ?
そんなこんなでコロナ禍の自粛などが始まって用なくポロポロとイベントが再開してきた2021年だったか。
我が家はお米屋さんを利用しているのですが、そのお米屋さん、全国の美味しいお米を探し回り自店で販売。その他にも美味しいお米の地域の特産品を販売するイベントも行っていた。
ある日のイベントで来ていた和歌山の梅干し。
梅だけでなく、海も近いので魚も山のものも豊富。
その中のひとつが手作りの梅干しで、「昔ながらの作り方なので、今の減塩には程遠い塩っぱさです」
と。
お米屋さんのお米のご飯とその梅干しを入れて握った梅おにぎりで「ああ!!」と声が出た。
これ!この梅干し!!
それからイベントの度に必ず梅干しを買っていたのが、昨年、「梅干しと梅コーラを作るイベント」がお米屋さんで開催された。
実は自分で何度か梅干しを作ったのだけれど、どうにもうまくいかない。
それならコツを聞いてその場で作れたらこれ以上のものはない。
それで作ったら、まあ、これが美味しくて美味しくて。
なんでこんなことわからなかったの?ってくらい教えてもらって難しくなくて、それでとても美味しかったの。
なんかね、年取ってきて、こんなに梅作り楽しくて。新たな発見でワクワクして、え?こんなに楽しくていいの?ってなってる梅仕事。
どれだけ楽しかったかっていうと、楽し過ぎて写真を撮り忘れてた事とか。もーう!なんで写真撮らないの?!と自分にツッコミを入れた。
今年もお米屋さんで梅干し作りのワークショップが開かれるけど、別で梅の販売もあるようで、今回は梅を買うだけで家で梅干しと梅酒つくるぞ!と今からワクワクしてます。