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【読書】本を贈る

 この本は、小論集。一冊の本を、一人の著者が書き貫いたモノではない。しかし、ある一つの共通認識がある。それが『本を贈る』ということ。

もくじ
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▹はじめに
 ▹この本を読んで 
▹おわりに
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はじめに

 この本は僕にとって、これからの本の見方を一変させる一冊になった。
今までの本への考え方は、「本=著者の表現」だった。いや、これに間違いはないが、とにかく、安直だった。
 本は著者の表現の現れでも、その表現を支える多くの人がいる。編集、装丁、校正、印刷、製本、取次、営業、書店員、本屋、批評家。これらは、本を介して著者と読者をつなぐ架け橋になっていた。
 そこに人がいるということは、そこに意志があるということ。この本は、本というバトンを繋ぐ人たちが、本に込めた想いを紡いだモノ。それらが10の小論となり、この小論集となった。

『本を贈る』-目次-
本は読者のもの(島田潤一郎(編集者))
女神はあなたを見ている(矢萩多聞(装丁家))
縁の下で(牟田都子(校正者))
心刷(藤原隆充(印刷))
本は特別なものじゃない(笠井瑠美子(製本))
気楽な裏方仕事(川人寧幸(取次))
出版社の営業職であること(橋本亮二(営業))
読者からの贈りもの(久禮亮太(書店員))
移動する本屋(三田修平(本屋))
 眠れる一冊の本(若松英輔(批評家))

この本を読んで

 この本は、上記の目次にもある通り、10人の小論からなる小論集である。その中から特に心に響いた最後の章、「眠れる一冊の本」を取り上げる。

『眠れる一冊の本』(批評家 若松英輔)
 この小論には、若松英輔さんからの現代人に向けたメッセージが記されている。その軸にあるのが、『言葉(コトバ)』だ。

 僕が生まれたのは、お金という社会共通のルールが蔓延る世界だった。お金はあまりにも身近で、時に思考を鈍らせる。今にお金がなければ、お金があった未来のことを妄想して、野心を掻き立て、踏ん張る。とにかく踏ん張る。これが上を向いて歩くということ。口笛を吹いて、悲しみを紛らわせるということ。けして上を向いて空に飛んでいこうとはしない。とにかく、泣きながらでも、歩くということ。

 金銭と言葉は、今と昔で立場が変わってしまった。だが、言葉の力が変わってしまった訳ではないということを、筆者は教えてくれる。以下は、筆者の言葉の引用になるが、これ以上でもこれ以下でもない。僕自身が伝えたい言葉は、あまりない。筆者の言葉で充分で、必要なのはその言葉だった。これからは、一人のnoteを読むのではなく、一冊の小論を読むような気持ちで読んでもらいたい。ならnoteにするな!という気持ちは、読み終えた時まで取っておいてもらいたい。

 金銭は生活に欠くことができない。現代社会では、一定の金銭がないと生活に著しい困難が生じるのはいうまでもなく、金銭の力は人間の人生を大きく左右する。そして時に、金銭で物を買い、大切な人に贈り物をする。
 しかし、昔は違った。人は、全身全霊を込めて言葉を贈った。亡き人に言葉を届けようとしたところに挽歌が生まれ、それが和歌の起源となった。言葉は、私たちの人生に欠くことができないものなのではないだろうか。
 現代人は、言葉の力を信じていない。目に見えるものの力ばかりを信用している。だが、現代に生きる私たちが言葉のはたらきを見失っても、言葉からその威力が失われるわけではない。金銭では、金銭で買えるものしか買うことができないのと同時に、どんなに貯金通帳の桁数を増やしても、お金で買えないものを手に入れられる可能性は高まらない。
 歴史的な名画を買った者は、所有し得た満足感に浸ることはできるのだろうが、描かれた色彩の奥に不朽の美を感じ得るかどうかは保証されていない。また所有者は、その絵を他者に見せないでいることはできるが、誰かが見て、そこにある美に感動するのを封じることはできない。
 本の場合はどうだろう。本を手にすることと、そこに自分の人生を変えるような言葉を見つけるのは同じではない。お金を出せば本を買うことはできる。しかし、どんなに大金を積んでも、そこに己れの人生の一語を見出し得る保証は、まったくない。
 人は、自分が大切にしているものを豊かにもつ者を尊敬する。お金を大切に思う人にとって、経済的に裕福な人はそれだけで敬愛するに充分な理由になる。だが、お金では買えないものに魅せられている人にとって、財産の多少はその人に敬意を寄せる理由にはならない。

おわりに

 いつの間にかできあがってしまった壁を打ち破るのは言葉だ。むしろ、言葉だけがそれをなし得る。

最後に、友達のとある二人の話をする。
あるときを境に疎遠になってしまった二人だ。

今考えると、二人はお互いの心を支えあっていたように思える。

自分の気持ちを塞ぎ込んでしまい、いつも遠慮して一歩引いてしまう。気づいたときには、離れた距離間に絶望して自己嫌悪をする。繰り返すのは自分を戒め、奮い立たせること。それでも、人を想える優しさを持つ人。

思ったことははっきり言う。時にはそれが棘になって反感を買ってしまうが、それでも真っすぐでいたい。ただ一つだけ言えないのは、自分自身のこと。悲しみのこと。苦しみのこと。でも、だからこそ、人を気にかけ、気持ちを察し、心配することができる。義理人情に厚い人。

きっと、ふたりは信頼で繋がっていた。

だが、一つの出来事か、はたまた日常の齟齬か。

そんな二人になかったのは、きっと、言葉だ。
態度と言葉でなる二人の関係は、態度がなくなり次第に言葉も消えた。
言葉を捨ててしまった。

でも言葉は拾うことができる。
あの時、作り上げられた言葉の無い壁は、言葉によって打ち破られる。
止まっていた時間は、また動き始める。

もう、捨てなくていい。

 人生の暗がりは誰もが経験する。そこから抜け出るための光を、人は書くことで自分自身に贈ることができる。その言葉によって己れを深く慰め、癒し、励まし、ときに和解することもできる。
 自分がほんとうに必要としている言葉は自分自身が書き得ることを、私たちは忘れているのではないだろうか。❝ いのちのコトバを探せ ❞

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