マザー・イン・ロー あるいは 知らない言葉を知らないまま寝かせておく快楽について
「姑」と書くには女っぽさも古くささもないので、彼女のことは私のマザー・イン・ロー(my mother-in-law)と書くことにする。
私のマザー・イン・ローは十何代か遡ると天皇という、いわゆる皇族の家系に生まれた生粋の京おんなで、お見合いで神社に嫁入りした。化粧っ気がなくお酒も飲まず、服や着物にも興味なし。趣味は読書や古文書研究という勉強家で、体が思うように動かなくなるまで毎日、早朝から神社の境内を二時間近く掃除していた。不真面目な嫁の私からすると、もうちょっと遊んでくれた方が気が楽なんだけどなァと思うほどの真面目な人である。他人には決して本音を言わず、弱音も吐かず、友人同士でもある程度の距離を保ち、派手を好まない。要するに、大阪のおばちゃんたちとは違って、容易には懐に入らせてもらえないので、手強い。
そんなマザー・イン・ローが日々行なっていた仕事は掃除以外にも地域のこと、巫女さんや下宿人たちのお世話(まるで寮母)、本家の嫁としての親戚とのやりとりやお墓の管理、祭りの直会の準備、発注、買い出し、お手伝いの手配、など多岐に渡っていた。彼女が体に変調をきたしたためそれらを私が引き継ぎ、それまでの自分の仕事と合わせるとカオスであった。年末年始、お手伝いしてくださる全員の動きと休憩やまかないのタイミングを時間軸の表にして冷蔵庫に張り出してみたら、列車のダイヤグラムのように複雑で、「これ全部嫁が管理するって決めたの、誰だよ」と冷蔵庫に向かって早速悪態をつくと、それを聞いていた当時小学一年の息子が、「徳川家康やで」と答えたので「うまいこと言うね」と返したが、そういえばマザー・イン・ローが私のように冷蔵庫に悪態をつく姿は一度も見たことがないのだった。
真面目で勉強家のマザー・イン・ローにとっては、好きな作家の全集や、画集や図録を買うのがほとんど唯一の贅沢であったように思う。毎日やらなくてはいけないことがあるので旅行に出かけられなかったし、下戸の彼女は私のように近所や仕事の友達と飲みに出掛けて発散することもなかったから、家に居ながらにして心を羽ばたかせることができるのは本だったのだろう。
白洲正子や洲之内徹の全集、万葉集関連、そして小林秀雄の評論集。マザー・イン・ローの部屋からはみ出してきた本は、ちょっと昔の、知的な人たちのものばかりで、さらに言えば、「美」を追求している人たちのものだった。私は、それらをぱらぱらめくって読み、彼らの言葉をちょっとずつ齧った。彼らが紡ぐ言葉や考えは、マザー・イン・ロー同様に手強いので、いきなり貪り読んで読破し、わかった気になったとしても、本当の意味でその懐には入れない感じがした。最近になって、それらちょっとずつ齧ってきた言葉の断片が、思わぬところで自分の感覚と繋がり、「ああ、あの時白洲正子が書いていたのはこういうことか」などと、腑に落ちることがある。まだ、わかった気になっているだけかもしれないが。
***
さて、勉強好きのマザー・イン・ローのもとには、勉強好きの人たちがよく訪ねてきた。
中でも印象に残っているのが、「歴史のおっちゃん」と呼ばれていた爺さんだ。
歴史のおっちゃんは近所の図書館で朝から晩まで調べ物をして、聖徳太子についてどうやら歴史をひっくり返すような斬新な論文を、もう何年もかけて執筆している、スナフキンを白髪にしたような風貌のおっちゃんだった。「あの人はこんこんめだかで文章を書いてはるから、かなん」とマザー・イン・ローは言っていた。
かなん、というのは京都弁で「困る」とか「嫌い」とかをやんわり言うニュアンスで、正直、彼女は歴史のおっちゃんに手を焼いていた。「こんこんめだか」はよくわからないが没頭しすぎて視野が狭くなっている状態を指すのではないかしらんと私は思っていた。人との付き合いはつかず離れずの関係を良しとするマザー・イン・ローにとって、歴史に取り憑かれて人の都合を考えずに持論を展開しにやってくる歴史のおっちゃんは、鬱陶しくてかなん。という感じだったのだろうか。
歴史のおっちゃんが書き上げた論文を持ってきた時、マザー・イン・ローは「大学の歴史のせんせか誰か偉い人に送らはったらどうや」と勧めたが、歴史のおっちゃんは、「大学の教授は人の説を盗むからあかん」と言って非常に警戒し、その警戒は歴史雑誌や同人誌にまで及んでいたので、歴史のおっちゃんはせっかくの斬新な論文を、盗まれる心配からどこにも発表せずにいた。
そうしてまた休館日以外、図書館で朝から晩まで論文を手直ししていたから、歴史のおっちゃんは一生そうしているんだろうなあと思われた。
***
図書館は、日々増えていく本の代わりに、古くなった本を時々放出する。そんな時、歴史のおっちゃんは、図書館が処分する本の中から、マザー・イン・ローが好みそうな本を選って持ってきた。多くは歴史もの、万葉もので、悪くないセレクトだったが、図書館の分類シールが貼ったままだから、なんとなく自分の本棚に入れるには気が引けたのだろう、それらの「図書館流れ本」はマザー・イン・ローの本棚ではなく巫女部屋の本棚に入れられた。女子神職の私は、装束に着替える時に巫女部屋を使っていたので、その本棚に図書館流れ本が増えるたびに「ああ、また歴史のおっちゃんが本を持ってきたな」と思った。
ある日、本棚を眺めながら装束に着替えていると、背表紙に図書館の分類シールが貼ってある「銀のボンボニエール」というタイトルの本が目に入った。著者は秩父宮妃勢津子と書いてある。出版社は主婦の友社。私は袴をはいて帯を締めながら、歴史のおっちゃんが皇族ものを持ってきたんだな、「ボンボニエール」って何かなー、と想像する。「銀の」とついているから皇族の女性が持つアクセサリーか何かかな。でも食器かもしれないな。とか思いつつ実際には調べない。もちろん本の中身も読まない。読んだらボンボニエールが何なのか、きっとわかってしまうから。
わからない言葉はしばらく寝かせる、わからない状態を放置する、というのは私の性癖である。あれこれ想像・妄想はするが検索はしない。数ヶ月、時には十数年が経って、ふとした偶然でその意味がわかった時のカタルシスのために、わからなさを寝かせて熟成させておく。なんでもかんでもすぐ検索する者には味わえない快楽である。(「ワレモコウ」という言葉を知ってから、それが何であるのか四十年の時を超えて判明した時のカタルシスについては、このnoteの第一回「小4が水中メガネで登校す」で書いた)。
もしかしたら、一生分からずに、「あれ? ボンボニエールって、なんだっけ?」と思いながら三途の川を渡ることになるかもしれないし、あの世で誰かが教えてくれて、「へえへえへえ」と、ボタンを何回も押すことになるかもしれない。それもまた、良し。
さて、「銀のボンボニエール」が巫女部屋の本棚に現れてから十年後、とある偶然から私はこの本を手にすることになり、ボンボニエールの意味を知ることになったのだが、この伏線回収は、しばらく寝かせてから、おこなうことにします。
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