芒種 * 時をかけるご朱印帳
私のオフィスは神社の社務所で、お守りやお札を授与する窓は映画館のスクリーンのように大きく開く。その大きな四角に境内の景色が切り取られて、横一直線に参道が見える。すぐ近くには梅の木があって、毎年この時期にはたくさんの実が成る。
ついこの間まで、メジロやヒヨドリが来て花の蜜を吸っていた気がするのに、もうこんなに実が成っているんだなあ。
晴れた日に菅笠をかぶり、ご神紋入りのハッピを着て、ざるをぶら下げて梅の実を採る。高いところは梯子に乗る。もっと高いところは梯子に乗ったうえにトングみたいな道具で採る。梅酒用には青いうちに実を採らねばならないが、青梅と葉っぱが同じ色をしているので、目が慣れないうちは見つけるのがむずかしい。目がこつを覚えれば、どんどん見つかる。
よし、もうあらかた採ったな。と思ったところに美術商のH氏がやってきて、「まだそこにありますやん。そこにも。ほらそこにも。ああこっちにも」と、やいやい言ってくる。「キリがないから今日はここまで!」と言って冷たい紅茶を飲んで一服すると、視界がフレッシュになってやっぱりH氏が言うようにあちこちに青梅が残っているのが気になりだし、けっきょくまた作業に励む。上ばっかり向いているから首が痛い。大阪の人はこういう時、「首がだるい」と言う。
雨が降り出す。
木々の色がたちまち濃くなって、葉っぱが青く匂い立つ。
***
埼玉に住んでいた子供の頃、雨が降ると長靴を履いて傘をさして、庭にしゃがんでいた。
雨粒が傘に当たってパラパラパラ、バラバラバラと音を鳴らして、傘のふちから水が滴り落ちる。土から上がってくるモワンとした草の匂いと、あたりに充満している木の葉っぱの匂い。雨の日にはそれらが雨粒になって私の全身を包んだ。なんだか子供ながらに恍惚とした覚えがある。雨が上がるとやけにスズメがチュンチュンうるさく鳴いて、見上げると木の上に蛇がいた。たぶんスズメの雛を飲み込んだのだろう、お腹の一部だけが不自然にぽこんと丸くなっている。蛇は庭の木と木をつたって移動して、体がひもみたいで真ん中だけが丸く膨らんでいるせいで、ちょうど木と木の間に渡された結界の縄のように見えた。母が近所の人を呼びに行って、近所の人が「立派な青大将だな」とかなんとか言って、蛇をトングで掴んでどこかに持って行った。きょう私が梅の実を採るために使ったトングと似たようなやつだ。トングに挟まれた青大将はむちみたいにしなって、どこに連れて行かれたんだろう。
***
社務所の中にいても、雨が上がった、と気づくのは、鳥たちがすぐに鳴き始めるからだ。それから数分すると、窓の外の参道を、人が歩くのが見え始める。人間も動物だから、雨がやめば外に出てくる。
「すみません、ご朱印いただけますか」
そう言われて受け取ったご朱印帳に日付を書こうとしたら、となりのページに見覚えのある字があった。
大きさの揃い方、字間の均等さ、文字そのものの均整のとれ方。これ活字なの? なんなの? というほどのきっちりかっちり感。あきらかに友人神職Tの字だ。
Tは、権正階という神職の階位を取るために通った京都府神社庁の講習の同期生で、隣の席で活字のような筆文字の大祓詞を書いていた。このご朱印帳には、あの字と全く同じ書体で、京都の神社名と日付が書いてあり、まっすぐきれいにご朱印が押してある。まっすぐにもほどがある。三角定規を二つ使い水平を確認して押したとしか思えない。これはまぎれもなくTの仕事だ。
朝から晩まで、ひと月の講習の間、原稿用紙のマス目が印刷された下敷きを用い、テストの答案までもマス目にはめるように書いていたT。最後、同期生たちで笏(男性神職が神事の時に持っている板)に寄せ書きしようぜ、ということになったときも、Tは「笏に字を書くなんて無理」と、書くのも書かれるのも断わった。古来、笏には長い式次第を書いた紙を米粒で貼り付けたりする、いわゆるアンチョコの役目もあり、我々の寄せ書きはその延長のつもりだったが、Tはそれを断固拒否するほど真面目だった。
「あの・・このご朱印書いた人、たぶん私の友達です」
ご朱印張を持参した見知らぬ男性に、となりのページを指さして言ってみた。「だから何なんすか」とか「へえ」としか返しようがないことを、つい言ってしまう瞬間というのが、人にはある。
ところが、男性は想定外の返しをしてきた。
「みたいですね。この人も言ってました」
聞けば、3年くらい前に、今回の逆ルートでご朱印をもらいに行ったとき、担当した神職が私の字を見て
「この字の人、ぼくの同期です」
と言ったのだという。
それにしても、私の奉職している神社とTの奉職している神社は、京都寄りの大阪と大阪寄りの京都なので、遠くはないが、連続して御朱印をもらいに行くほどの近距離ではないし、これといったつながりもない。どういう趣向でこの人は、2度も我々のご朱印を、続きでもらいに来たのだろう。もしかして神なのか。
***
私とTが、講習で互いの筆文字についてけなしあっていたのは15年も前のことで、私はTの活字みたいな字を「これじゃあ筆文字の意味がない」と言い、Tは「姐さんの字こそ丸くて大きすぎるから奉書におさまってないじゃないですか」と言って笑っていた。文字の方向性も性格も、私とTは真逆だったが、少し年下のTは、私のことを姐さんと呼んで、なついていた。
講習の締めくくりには、受講生代表が閉講奉告祭という神事を行うことになっていた。学校のホールにある神殿の前に教授陣や同期生たちが参列し、ピンと張り詰めた空気の中で、私とTは、他の3人の同期生とともに、斎員(神事を執り行う人)をした。
Tは、あまりに緊張していたのか、いつも完璧なのに本番に限ってわずかなミスをした。参列していたほとんどの同期生も、祭式教授以外の先生もわからぬほどの些細なミスだったが、隣で斎員をしていた私にはTの動揺がびんびん伝わってきた。
〈気にすんな、T。冷静に。楽しんで。この緊張をいい方に持っていくんだ。〉
私はTに心の声で話しかけたが、テンパっているTには聞こえるはずもない。
その時神事が行われていたホールの床は板張りで、斜めに陽の光が差し込んでいた。私は自座にいる時、その光と木目が織りなすデザインをじっと見つめていた。するといつのまにか、空間自体が、光と床だけになって、まわりに人がいない。しばらくすると、それが大きな雨粒の中にある空間で、光と床だけの廊下みたいなところで、自分はそこに浮かんでいるのだと分かった。
私は、その雨粒の中に浮かんで、心の眼のようなもので仲間たちを観察している。とってもいい気分だ。感覚は研ぎ澄まされ、仲間の斎員たちがどういう動きをしているのか、手に取るようにわかる。自分が動く番になると、私は仲間たちのもとへ瞬間移動し、ほとんど何も考えずに体が自動的に所作を行なって、また雨粒の中へ戻った。雨粒に戻ると私はそこに溶けるように存在し、安心した。そこにいるあいだは、神との静かで親密な時間を過ごしているという感触があった。
これを、宗教体験というのか、なんなのかは、私にはわからない。禅宗の僧侶たちが、修行の果てに自らを持っていける境地に、たまたま何かの拍子にいけたのかもしれないし、実はTよりも緊張しすぎて、脳から何がしかの物質が出てぶっ飛んでいたのかもしれない。
***
Tはその日の打ち上げでもずっと、自分の失敗についてクヨクヨと悔やんでいたが、その姿がTらしくもあり、年齢も経歴もバラエティに富んだ同期生が次から次へとTのところへやってきて励ました。
打ち上げ終了後、高瀬川のほとりで全員で円陣を組み、その昔有名なプロレス団体の代表だった同期生が掛け声をかけて、ヤーと大きく発声し、自分らとまわりを清めてから解散した。その円陣には、奥ゆかしいTも参加していた。
それから12年後。
朱印帳の男の人が、伝書鳩のように、私の文字をTのいる京都の神社まで運び、それから3年たって、またTの文字を大阪まで運び、「この人友達です」「みたいですね」という会話にたどりついた。
この時の流れを考えると、神の采配を感じずにはおれない。というよりも、やっぱりご朱印帳の人が神だったんじゃないか。あの日、私と静かで親密な時間を共有した神が、「あの感じ」を思い出させに、さらっと寄ってくれたんじゃないか。神がご朱印もらいにくるなんて変だ、と思うのは人間だけで、むしろ神だから何したっておかしくない。
雨がすっかり上がって、夕方四時でもまだ明るい。社務所の蛇腹式の窓を閉めようとしたら、そこから一番よく見えるところに、まるまるとした青梅が成っていた。
二十四節気 芒種(ぼうしゅ) 新暦6月6日ごろ
穀物の種を蒔く時期、という意味。
☆老鶯(おいうぐいす)
年寄りの鶯のことではなく、春を告げるウグイスが、夏も鳴いている様子を言うことば。実際、芒種の時期もウグイスの声をよく耳にする。特に山の方に行くとめっちゃ元気に上手に鳴いている。だからこの「老い」は「追いがつお」の「追い」みたいなもので、「さらに増し増しで鳴く」ということじゃないかなと、勝手に解釈しています。
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