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”やりたいことが見つからない”を考える #62

この記事を読んでくださったあなたは、やりたいことがあるだろうか。仕事、趣味、資格勉強、将来。何でもいい。何かこれといった強い思いをもって取り組みたい何かが。

特に悩ましいのが「仕事」や「キャリア」だろう。好きなことを仕事にしたいけれど、やりたいことが見つからない。好きなことがないわけではない、でも仕事となるとなんか違う気がする。

最近では書店を回っていても、「やりたいことの見つけ方」、「好きなことで稼ぐ!」や「自由に生きる」といったような本は本当によく見かける。書店にそれだけ並ぶということは需要があるという証だろう。それだけ悩み、手にする人がいるということだ。時代を象徴している。

まず前提としてはっきりさせておくと、やりたいことがある方が良いとか、好きなことを仕事にした方が良いということを述べたいわけではないし、ぶっちゃけ何でも良い。単純に「やりたいことが見つからない」と嘆く人が多いいう事実について、自分なりの考察を記録として残しておきたい程度だ。

そしてこれを考える上でもう一つ私の主観的な思いだけを述べておきたい。「やりたいことがない」というのはとてつもなく贅沢な悩みなのではないかと思っている。特に”やりたいこと”を仕事に求め、悩む人が多いような気がしている。これについて書いていると、昨年行ったベトナムの貧困地域の景色が鮮明に思い出される。それは「今日を生きることで必死な人々」の姿である。私はこの景色が今でも忘れられず、それ以来、自分がいかに恵まれているかをしみじみと感じるのだ。前置きはここまでにしておこう。

※今回の”やりたいこと”は主に「仕事」について書くことにする。

【やりたいことが見つからない理由】

1. 見切りが早すぎる

まず私が考えるものとして「見切り」の早さである。どういうことか仕事を例に見ると、「成果があがっていない」のに辞める選択をとるようなケースだ。基本的に人は成果がでて初めて楽しい、面白いという感情を持つ生き物だと個人的には思っていて。まずは成果がでるまでがむしゃらにやってみる必要があると思う。最初から面白いのではなくて、【がむしゃらにやる】→【成果が出る】→【仕事の意義や楽しさを見出せる】→【やりたいかも】の流れではないか?ということである。成果がでているのにおもしろくないのであれば、それは辞めるという選択をとって構わないと思うが、あまりにも見切りが早すぎる傾向にあると私は感じる。

2. 「やりたいことが見つかってからやろう」 という考え

個人的にはここが一番大きな落とし穴だと思っていて。この考えの人って結構多いと思うが、これは圧倒的に順番が逆だと思っている。

わかりやすい例で、例えば趣味や食べ物。
食べたことのない料理があったとして、これが好きかどうかを判断するときにまずどうするか?ということである。そう、まず「食べる」必要があるということ。以前に私が行ったタイのタイ料理「ガパオライス」、私がずっと気になっていた料理。実際に現地に行って食べてみて、うまい!最高!また食べたい!となった。じゃあこれが食べてみなかったら?そう、ガパオライスが好きか嫌いかなんてわからないのである。

やりたいことが見つからないと嘆いている人の中には、色々なタイ料理を目の前にして、「タイ料理好きかどうかわからないんですよ〜、食べたことはないんですよ?食べたことはないんですけど、タイ料理が好きかどうかわからないんです〜」と言っているのと同じではないだろうか?それに当てはまってはいないだろうか?という話である。

当たり前だが、何でも「やってみて」初めてわかることしかないのだと思う。やってもないのにやりたいことが見つからないという人は、一生見つからないのだろうと私は思っている。

終わりに

今回は

1. 見切りが早すぎる
2. やりたいことがみつかってからやろうという考え

という2つを挙げて考えてみた。現段階で私が思いつく2つである。私なりにまとめると

「とにかくやってみよう」

「成果がでるまでがむしゃらにやろう」


である。すごくざっくりとした結論になったけれど、私なりのちゃんとした理由をもった考えである。ここまで考えてきて最後に私なりの持論を述べると、仕事は「好きなこと」や「やりたいこと」である必要があるのか?とも思うこの頃だ。仕事は仕事、好きなことは趣味で全力にやる、といった考え方も一つだろう。

またまとまりのない文章になってしまった。いいねや反応をくださる読者の皆様、いつもありがとうございます。

2024.11.16 






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