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日本人はさ、いつでも地震で死ぬ準備はできてるわけ?

3~4年ほど前、人混みが好きでないのに東京に住んでいたぼくは週末、よく汐留のロイヤルパークホテルの24階のTHE BARというラウンジに出入りしていた。静かで、いつでも空いていて、落ち着いてゆっくりするにはもってこいだった。築地や浜離宮を見下ろしながらコーヒーをすすり、本を読むのがある種のルーティーンのようになっていた。

ちょうどいまくらいの、湿度を肌で感じ始めた時期だったと思う。

叔母さんと1週間の旅行にきているという同い年のタイの女性に出会った。「タイ人の名前は発音しづらいだろうからJaneと呼んで。ロンドンでもそうだったから」

ロンドンでジュエリーデザイナーとして消耗してバンコクに帰ってきたばかりで、自分探しの途上ということだった。どこの国でもある程度の可処分所得があると自分探しの旅というやつにでるらしい。傷心中だからか、よくあるキラキラ浮ついた雰囲気はなく、適度にアンニュイなところに好感を持った。

お互い建築が好きという共通点があって、初対面なのにけっこう話が盛り上がった。ほんとはぼくは本を読みたかったのだけど、良い話も聞けた。

今日のタイトルにつながっていく。次はどこに住みたいのかみたいな話をしていたときだったように思う。

ロンドンは旅行は良いけど住むのはしんどい、ジャカルタは食事が私にはダメだとか、バンコクは良いよ私が生まれたところだから、みたいな他愛もない話をしていた。

「表参道は良いね、私に似合う街だと思う。日本に住むならあそこだと思う。けど、地震が怖いし、日本人は日本人としか結婚しないんでしょ?」

まず、海外の人に「日本人は日本人としか結婚しない」って一部にでも思われてるというか、そういうイメージがあることに驚いた。おもしろい。たしかに、自分の周りに限ると海外の人たちは結婚相手の国籍はほとんどの場合気にしないように思う。

けれど、それは国籍とか相手が何人かが問題というよりも外国語ができるかどうかの差ではないかと思ったりする。留学してる人はそこそこの確率で現地の人とできてたりするし。生活の拠点がどこにあるかとか。

いろいろ考えて、そんなことはないと思うんだけど…と答えた。

「あなたはどんな人がいいの?例えば…私は本音を言うと働きたくもないと思っているんだけど」

シンプルな質問だけど、回答は難しい。正直に自分の好みを答えるのも一興だけれど、傷心旅行中の彼女の気持ちを慮る必要があるようにもみえた。知り合って1時間程度でしかないけれど、よく笑う愛想の良い素敵な人なんだけれど、ところどころで自分を肯定してほしいような、物憂げな物言いをしていたから。

「異文化に理解がある人が絶対条件かなあ。ぼくは数こそ少ないけれどいろんなバックグランドの友達がいるから。自分の価値観を相容れない人を拒否するような人だったらしんどいかもしれない。仕事は…どうだろう。ぼくはいろんなものを自分の目でみたいし、いろんなところに住んでみたいという欲望を持っているから。それって実現させようと思うとけっこう不安定なことだと思う。だから…働ける能力ある人の方が生活は安定するよね」

ぜんぜんロマンチックじゃないこと言ってんなと思いながら話していたのを覚えている。彼女もあまりピンときてなかった。

「っていうか、なんなの?日本人はさ、地震で死ぬ準備ができてるわけ?あなたもいつでも死んでもいいって思ってるわけ?地震怖くないの?」

これもおもしろい視点だ。彼女には地震多発地域で10年に1度くらい大きな地震がきて何千人も亡くなる土地での生活が想像できないらしかった。

たしかに、客観的にみるとどうしてそんなところに住んでいるのかと思う気持ちはわかる。なんと答えたか覚えていない。いまも昔ももちろん死ぬ準備はできていない。けど、ぼくは死なないだろうなとは思っている。理由はない。阪神淡路大震災を経験したかもしれない。地震がある、ということに慣れてそれが当たり前になっているだけで、地震を避けることができる(=地震がない国に引っ越す)という発想がなかったというのもある。でも地盤が強いところに住みたいとは思っている。

なにか、とても印象的な会話だった。

この会話の数年後、ぼくはカリブの島国に住むことになる。その島国は10万人あたりの年間殺人事件数が世界ワースト10に入る世界だった。

殺人事件発生率は日本の180倍とかそんなレベル。(参考: 殺人事件発生率の高い住むとはどういうことか

日本に住んでいると、そんな土地は人間の住むところではないと感じるけれど、現実にはそこに住む人たちがいて、もちろんそこに住む大半の人たちは悪い人たちなわけがない。彼らには彼らの生活があって、たいていは平穏な生活。

結局、そのリスクに慣れているかなんだろうなと思う。

ぼくらは地震がどういうものか知っている。意識的にしろ、無意識的にしろ。カリブの人たちはギャングの抗争や殺人がどういうものか知ってる。タイの人たちは洪水がどういうものか知っている。

ということは、あらゆるぼくが危ないと思っていることは、実は思っているほど危険ではないのでは?と思ったりもする。少なくとも、いくらかは過剰評価してるんだろうなあと思う。

だからと言って、そのリスクをわざわざ受け入れるかどうかは別の話なんだけれど。ほかの良い条件との兼ね合いで受け入れるに値するかどうかが決まってくると思うんだけど。

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yuki oka
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