動き続ける音楽|Robert Glasper来日公演
埼玉・秩父ミューズパークで開催された「LOVE SUPREME JAZZ FESTIVAL JAPAN 2022」。大トリを務めるべく来日したロバート・グラスパーの単独公演を観れば、ただ一つのアフリカン・アメリカン・ミュージックに昇華されようと動き続ける『Black Radio』の今に触れることができると思うのです。
5月、アメリカからはバイデン大統領だけでなく、ジャズ・R&B界の人気ミュージシャンたちが挙って来日を果たした。ロバート・グラスパー(Robert Glasper)、ホセ・ジェイムズ(José James)、サンダーキャット(Thundercat)、コリー・ヘンリー(Cory Henry)。都内のクラブがこれだけ沸いたのは実に2年ぶりのことだろう。新型コロナウイルスによって停滞していた時間がいま再び動き出そうとしている。
とは言え、この間、彼らも手を止めていたわけではない。それぞれにオンライン配信を行い、楽曲制作に注力されていた。ライブの中止によって生まれた余白は、いわゆる「内省」だけはで埋め切れるはずもなく、アーティストをより深い作品品質の作り込みへと向かわせたに違いない。それは例えば、ロバート・グラスパーが2月に発表したアルバム『Black Radio III』にも表れている。
サンプリングされたジャズの音源をループして、トラックに仕立てることが当たり前になったR&BやHipHopに対して、それならばループ部分も実際に演奏してしまおうとするアプローチでジャンルの垣根を取り払った『Black Radio』シリーズは、3作目にして、いよいよエスペランサ・スポルディング(Esperanza Spalding)やグレゴリー・ポーター(Gregory Porter)といったジャズ・ボーカリストをゲストに迎え、ただ一つのアフリカン・アメリカン・ミュージックへと昇華されようとしている。コロナ禍において際立つ人種差別問題に対して、歴史的ルーツを振り返らせるコラボレーションは大いなる団結とみてとれるのだ。グラスパーを中心としたアーティスト間のつながりは、ジャズ評論家・柳樂光隆氏らが作られた人物相関図に詳しい。
それだけに、今回の来日公演は楽しみだった。様々なミュージシャンが参加した『Black Radio III』を引っ提げてのライブにも関わらず、鍵盤トリオにDJを加えたシンプルなバンド構成なのだ。一体どんな音が聴けるのか。5月13日、ビルボードライブ横浜の2ndステージはDJ ジャヒ・サンダンス(DJ Jahi Sundance)のソロ・パフォーマンスで幕を開ける。World Saxophone Quartetの「Giant Steps」。感染対策の行き届いたクラブではもちろん、声を上げることも、立ち上がることも許されない。この難しい状況で会場を暖める役割を任せられたサンダンスは淡々と往年のHipHopの名曲をつないでいった。Raekwon、Hi-Tek、D’Angelo、Masta Killa。Phat Katの「VIP In」でグラスパーたちが入ってくると拍手が湧き上がる。
ロバート・グラスパーの弾き手としての特徴は綿密にコントロールされたタイム感にある。古いレコーディングのようなルーズさを、完璧な正確性をもって演出してみせる。それは恐らくフェンダーローズの音の揺らぎすらも捉えていて、私たちの感覚を心地よく揺さぶってくる。1曲目、レディオヘッド(Radiohead)の「Packt Like Sardines In a Crushd Tin Box」は元々、不気味さを纏って社会の息苦しさを訴える問題作だったけれど、グラスパーのアレンジによってさらに遠く、サイバー空間に投げ込まれたかのような感覚がもたらされる。立役者はドラムのジャスティン・タイソン(Justin Tyson)だろう。会場全体がローズの残響に包まれる中、細かいリズムを正確無比に刻み続けるタイソンは人間味を排除し、今が現実であることを忘れさせる。
ポピュラー音楽研究者・大和田俊之氏は著書『アメリカ音楽の新しい地図』(筑摩書房、2021)にて、アフロフューチャリズムに触れている。1993年に白人批評家によって提唱されたこの概念は、アフリカン・アメリカンのSF的創造力を根拠に、彼ら/彼女らは宇宙人に連れ去られた人の子孫であると結論付けた。これは同時に、彼ら/彼女らが奴隷として扱われてきた過去を振り返り、いわゆるロボットなのだと訴えるものでもあった。今の社会に居場所を見出せないアフリカン・アメリカンたちは宇宙を志向し、人間離れした技を身につけ、マシンのようにリズムを刻み続けことでしか生きる道が残されていないのだ。グラスパーらしい、痛烈な社会批判だろう。
大和田氏は、同じようによそ者扱いされてきたアジア人との接続性についても語っている。すなわちテクノロジーに対する親和性が両者の距離を縮めているという。例えば、自身の公演で来日していたサンダーキャットがドラゴンボール好きで、日本のゲームミュージックから多くを学んだことはよく知られている。レディオヘッドの曲の後半、感情を押し殺した女性の声で日本語の詩が詠み上げられると、今ここでしか味わうことのできない表現に心動かされた。「音楽は人生、人生は音楽。音楽はアート、アートは音楽」。決して声を荒げることなく、淡々と、音楽やアートだけが心の支えとなる社会の存在を主張する。
2曲目の「No One Like You」以降、「Let It Ride」や「Red Room」など、歌詞のある楽曲ばかりが続いた。グラスパー自身がこれほどボーカルを取るとは、良い意味で裏切られる。時にノラ・ジョーンズ(Norah Jones)に代わり、ネイ・パーム(Nai Palm)に代わり、「私」を歌い上げる。「Freeze Tag」を除けば、直接社会に訴えかけるわけでもなく、ひたすらに自分と向き合わせようとする態度が、少なからずコロナ禍の「内省」の影響を受けているのかもしれない。終わってみれば、『Black Radio III』からの演奏は少なかった。それでも、その制作過程で作り込まれた思想がしっかりと体現された、美しいステージだった。やはり音楽は停滞を知らないと思うのだ。