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もっと超越した所へ。
ポップコーンは買わない。vol.131
いやぁ、最近サボりすぎてて書く筋力が落ちてきているというか何を書いたらいいのかわからなくなってきたというか。
だいたいぬるっと書き始めてなんとなく言いたいことだけ言って思いついたら足していくみたいな形で今までは書いていたのだけれど、なかなかうまいこといかないのねぇ。
この作品を見終わった時に思ったのは、どんでん返しすぎて正直覚めてしまったー。
演劇が元なのはわかっていて、尚且つ生の演劇を見たことがないからわからないだけなのか、自分でも良くわかってない部分があったので、一概に言えないのかもしれないのだが、最後の数十分まではすごく良かっただけに、引いちゃったなぁ〜。
終わりかたもどうかなって思った上に、物語としてももやっとする物語の締りかたで、え、結局、妥協することが全ての解決になるんだろうか?
んまぁ、百歩譲ってわからんでもないけど4組の物語のどれもがそれに落ち着いてしまうのはどうなのだろうかと思ってしまった。セットが崩れていく感じまではいいとして、そこからはまたそれぞれの設定に戻っていくような展開だったら良かったなと思った。
時計の針を戻す展開とか、最後のどんちゃん騒ぎになる展開なんかは観てられなかったね。笑
楽しければそれでいいっしょ、これが私たち演劇のやり方です。みたいな舐めプを見せられているような気がして残念でした。
物言いたいところは最後のところだけかなぁ。
あとは、良かった。
菊池風磨氏のクソさ加減は最高だった。他の3名の俳優さんの演技もやっぱりすごくて、それぞれ毛色の違うクソさを表現されていて、うわーこの人たちやべぇーと思いつつも、自分にも自覚がないだけで、側から見たらこれらとはまた違うクソさ加減を露呈しているのかもしれないと思うと、笑いすぎることができないのは正直なところ。
4組がそれぞれ別の男と付き合っていたというのはありそうな設定だけど、いいなって思った。いろんな布石があって、後々それが回収されていく展開はありそうな設定ではあるのだけれど、面白いね。笑
こういう型って使い古されていたとしても面白いんだよね。遺伝子レベルで刻まれているような気もあるし。
お笑いのコントや漫才、歌舞伎や音楽に至るまで様々なエンタメで型というものが存在する。その型を継承することがある種のジャンルの継承ということにもつながる。
きっと、演劇や映画の世界でもそのような型は存在するのだろう。
その継承と、型破りという概念が存在することで、エンタメは進化し、残り続けるのだろう。
そういう意味では最後の終わり方は、ある種の型破り。
型の継承と演劇による映画の型を破ったという功績がここに生まれたのではないかと考えると、すごいことをやってのけたのかなという印象を今になって受ける。
もっと超越したところには、我々では到底想像できない、むしろ不快にも思える結末が待ち受けているのかもしれない。それをただ、不快だと切り捨てるだけではきっと、進歩はないのかもしれない。
型をある種の凶器で受け手を切り付けることも重要なのかも。