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「写真を売る」の意識の違いにハートブレイク、『ロッポンギの空に』した

映画『ショーシャンクの空に』。
テレビで放映される1週間くらい前にアマプラで見てしまいました。
どうも、たかはしです。

書きためていた記事はあったのですが、この連休中のできごとをしたためたくなってしまい。。。
構成を考えてたら投稿当日の22時を回っております。
不思議ですね。

先日、コンテンポラリーアートの写真展に行ってまいりました。
うけた衝撃に、台風が迫るロッポンギの空を仰いだ話です。

※少々ネガティブな要素を含む記事になるので、どの写真展かは記載を控えます。

写真展には2種類ある

これまで20程度の写真展を見て回ってきました。
その経験から学んだのは、写真展は2種類あるということ。

①0.1%の素敵な出会いを求め彷徨う写真展
②ひたすらハートブレイクされる写真展

ここでいうハートブレイクは、自信を失う・無力さを味わう・世界に取り残された気分になる、などを含意しています。
つまるところ、ちょうどいい感じの写真展が無いのです。
その分、個展っていいなって思ってます入りづらいけど。

今回訪れたのは②の方。
入場料ありの本格的な展示です。
有料ですから、当然出展されている方々もそうそうたる面々でした。

現代アートはビジネスである

最近美術の勉強として拝見してる山口さんの動画を参考に。

現代アートの流れの一つとして、資本主義社会における投資・投機対象としての作品、もとい”売るためのアート”があります。
上の動画で語られるのは「壁にダクトテープで張り付けられた生のバナナ」です。

マウリツィオ・カテラン《Comedian》(2019)という作品、日本円にして1,600万円で売れたそう。
それも作品そのものというより、作品の権利証と取扱説明書が。
当然です、生のバナナは腐ってしまいますから。

仮に美術はまったく、という方でも、バンクシーの作品が高額で競り落とされたニュースは耳にしたことがあると思います。
彼の作品は日本円にして1.5億円です。

両方とも、技術的に他者を圧倒している、という作品ではありません。
しかしその「コンセプトや背景」に値が付き、値が付いたことが事件化し更に値が上がる、というスキームが生まれています。
この潮流に乗っかった作品こそが現代では生き残ります。
現代アートは、ビジネスでもあるのです。

ここまでは、上述の写真展に行く前の知識。
あくまで美術の話しで、写真やってる自分には関係ないものと思ってました。
この認識が私を苦しめるとも知らずに。

写真だってアートだしビジネス

写真展へは、
以前個展へ伺った写真家さんが出展してたこと、
写真でのコンテンポラリーアートを勉強したいと思ったこと、
の二つの理由から行きました。

写真が販売されていることも話には聞いていたのですが、どのくらいの金額なのかは知らず。
いざ現地に行ってみると。

100,000円
250,000円
500,000円

……???
?????
おたかい……

私が想定していた世界は爆散しました。ゴウランガ!

そう、写真だってアートなのです。
絵画と同様に、値が付く対象なのです。
飾りたい人や、投機の対象として見る人がいれば、高額取引の世界へと突入するジャンルなのだと気づかされました。

『ロッポンギの空に』

散々たるダメージを受け、希望を失った眼で外へ出ると。

そこは、台風の影響で雨風吹きすさぶ首都東京。
森ビルが増幅した突風。
傘が役に立ちません。
ただの骨組みとなったそれを捨て、私は両手を広げます。

希望はいいものだ。多分最高のものだ。素晴らしいものは決して滅びない。

『ショーシャンクの空に』より

※フィクションです。

なぜ私がダメージを受けたのかと言えば、文字通り”ケタが違う”からでした。
私が写真を販売するとして、ブロマイドで1,000円、フォトブックにするなら1,500~2,000円くらいかな~の世界。
対してアートの世界はゼロが2つ、くっついてました。
自分が住んでる世界など、巨人たちからすれば有象無象のひとつにすぎないのだと自覚したからです。

『ショーシャンクの空に』は、希望の物語です。
一度失った希望が、ある出来事をきっかけに光を取り戻し、結実する。
諦めた先にでも、一筋の希望が見えたなら、それを掴みに行くべきである、と教えてくれます。

私の中に”捨てきれない希望”があることに気が付きました。

ロッポンギの空に、私は思慮を託しました。
この希望は素晴らしいものか?と。

自分のポジションを確立するしかない

私は兼業趣味延長商業フォトグラファー端くれ〈演劇界隈〉です。
撮影というサービスを提供する身だと自覚しています。
写真家(≒アーティスト)と袂を分かつ存在でもあります。

今現在は個人のポートレートを撮影して、SNSでのプロモーションに使って貰ったり、写真慣れしてもらう機会として利用して貰ったりしてます。
その流れで劇団さんからお仕事を頂いて、ブロマイドやプロモーション用の写真を撮って、報酬を頂くこともあります。

私は役者さんやクライアントに満足してもらって、かつファンの方に喜んでもらえる写真を撮ることを、やりがいとして取り組んでいます。
すると商品になるのは役者さんであって、”たかはしの撮った写真”ではないのです。

写真展に行って一番思ったのは、値段もさることながら、その写真家さんの写真目当てで購入される場、であったのだと気づきました。
”捨てきれない希望”というのは、「たかはしの写真だから買った」という人が居てくれること

希望は素晴らしいもの。
これが正しいのなら、今の自分のやり方を変えて、希望を掴みに行くしかありません。

作品撮りのうち、一部でコンテンポラリーアートの要素を取り込んでいこうと考えています。
撮られて自己肯定感を上げてもらう、というサービスはそのままに、別方向で「たかはしの写真だから買う」って言ってもらえる写真を撮っていきたい。
今後の目標にして、独自のポジションを確立したいんです。

おわりに

そこそこ悩みましたが、立ち直りが早くてよかった。
今回はモデルさんに泣きついたのが効果あったのかも。
いつもお世話になっております。。。

10月からも引き続き撮影のご依頼、お待ちしております。
舞台の撮影スタッフとしても全力で取り組みますので、お気軽にご相談ください。

撮影の詳細はこちらから。

コンセプトはこちら。

これからもメンドクサイ思考ぶら下げて撮影に取り組んでまいります。
それでは。

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たかはしあさぎ
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