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写真展に飾るモデルさんが決まりました│UNTITLED2024

11月の22日から24日まで、原宿で写真グループ展『UNTITLED 2024』へ出展します。

去年、周囲の圧倒的な熱量と実力に気圧され、ある種の挫折のようなものを味わってから早一年。
終了後に「来年はちゃんと準備して出よう」と覚悟してから本気で1年挑戦してきて。
集大成となる、4名の表現者さんにお力添えを頂きました。

どなたも、私の表現したいアートと合致してくださる実力者さんです。
私の作品を、というより、4名それぞれのよさをご覧いただいてファンになってほしいなと思っています。
それでは4名のご紹介と、その選出の背景をすこし。
※本稿の掲載写真は展示作品と異なります

武藤彩 さん

https://twitter.com/muuuuuuuuuucha

私の写真といえば、で連想される方が多くいるのが彼女。
ストレートな表現でも、アングラな表現でも、私の撮りたいものにガチッとハマってくださる表現力が魅力。
どれくらいすごいのかと言うと私にお声がけをしてくださる役者さんの多くが彼女の写真を参考にしていて、写ってみて改めてすごいと感想を述べるほどです。

すごく端的に言うと、いろさんとの写真って私と彼女との間で完結していると認識しています。
どこどこでウケそうとか、流行りだからというよりは、お互いが納得できるものが作れているのか、という。
最近は私の実力不足が露呈している気配があるのですが、それでも彼女の実力によって救われつつ良い作品ができています。

昨年に引き続きのご登場となる今回も、一枚絵として完成するポートレートを体現したくださる一葉。
例えるなら、ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》を私なりにアレンジしたらこんな感じ、みたいな。
部屋に飾って眺めていられる、そんな作風を目指したので、いろさんの世界をじっくりご覧ください。

國田あかり さん

https://twitter.com/akari_k138420

國田さんと写真で交流を続けてはや2年半。
どんな時でも独特の存在感を発揮してくれて、レンズを向ければ作品になること間違いなしの役者さん。
自信作はたくさんあったのですが、タイミングがなかなか合わず……
しかし今回満を持してのご登場です。

彼女を一言で言い表すのは結構難しくて。
場所や服装によって見せる表情も印象も違っていて、それでいて「自分がどう見えているか」を瞬時に頭の中で描ける。
写真にしてみると、一枚の中に物語が成立しているような感覚に陥る、どこか撮る人間が演出家になったかのような感覚です。

展示作品として選んだのは、チャイルド・ハッサム《花摘み、フランス式庭園にて》を彷彿とさせる一葉。
この絵は私の自室に飾って日々眺めているもの。
Twitterでバズるようなインパクトはないかもしれないけど、毎日眺めていても飽きない、心が温まるような絵。

それが写真で、かつポートレートで表現出来たら、を実現してくれた國田さんの魅力、ご堪能下さい。

いそのさやか さん

https://twitter.com/9kt_o

2024年、チャレンジとして私からお声がけして、大成功を収めた役者さんの一人。
自分像がありながらも、自然な振る舞いが出来て、どこか第三者視点で世界を見ているような感覚の写真を作り上げてくださる方です。

形容するなら、撮る人間によって印象が変わってくる方。
撮影会で撮られた写真を見ていると、撮影者の意図を汲み取って的確に表現していることが見て取れます。
慣れていない方でもリクエストに応じてある程度作品に仕上がる一方、少し遊びや独自性を取り入れようとすると演出の手腕が問われるというか。
そこにワクワクするし、突き抜けた時の達成感がひとしおなんです。

展示に出す作品は、ほぼ私が色々リクエストした果てで作り上げた一葉。
それでいて、かつおさんの出す空気感というか、余白に物語を振りまいてくれるような、役者さんならではの質感で写っていただきました。
例えるなら、重要文化財・黒田清輝《湖畔》からインスピレーションを受けたイメージ。
ポートレートに馴染みがない方でも、すんなり入ってくるスッキリした作品をお楽しみいただきたいです。

城酉諒 さん

https://twitter.com/makotchan_desu

何度か語っている「2024年の写真活動を語るうえで欠かせない存在」
最初は軽い気持ちで営業していたら、そのうちに実力や努力量、ひたむきさや考え方に惹かれていって、よりリスペクトが増していったこの感情。
自分の内々に膨れ上がったものを、写真というアウトプットで表現した一葉を展示します。

諒さんを一言で表すなら「表現力の塊」
持ち前のセンス、これまで積み上げてきた「どう見えているか」という俯瞰的な視野、修正力や適応力など、さまざま重なり合って出てくるものが、彼女から目を離せなくさせるのです。

今回展示に出す一葉、実は別の写真展に出す想定で撮っていました。
しかし諸事情で出せなくなってしまい、今回リベンジをした次第。
なんせその一葉を撮るために2,000字近くのステートメントを書き、諒さんにお伝えするコンセプトを二晩かけて練り、どういうポージングで、どんな顔の角度で、どんな表情やイメージで、と細かく構想したうえで臨んだのですから。
どうしても観てほしかったのです。

他の作品は自分の好きな絵画作品からのインスピレーションを受けていますが、この一葉は自分のオリジナルであると断言していきます。
れくらい思い入れがあって、かつ諒さんの魅力、とくに演技力が垣間見える作品なので、私の青色と共に観ていってください。

テーマ:pictureとしての写真

少し触れましたが、今回の作品のうち三葉はインスピレーションを受けた絵画作品があります。
もともとはnoteの連載記事のために触れた絵画でしたが、今となっては「自分は絵が描きたいのに描けないから写真を撮っているのだ」と考えるほど影響を受けています。

(不得意な)英語の話にはなりますが。
写真を表す語にはimage、figure、picture、photoといくつか種類があります。
それぞれ微妙に意味が違っていて、狭義として写真のみを指す語はphotoになります。
imageは広くデジタル画像、figureは説明用の絵図、pictureは写真をはじめ絵画など含めた広く平面表現や「想像する」という動詞の意味も持ちます。

「自分は絵が描きたいのに描けないから写真を撮っている」について自分の中で咀嚼していった結果、photoとしての写真表現よりpictureとしての写真表現に近づきたいという願望に行きあたりました。
範疇としての写真や絵画というものはあって、展覧会のテーマ設定だったり評価の場だったりにおいては各範疇が定義されていることが必要です。
写真のなかにもポートレートや風景、スナップなどのより小さい範疇があり。
しかしコンピュータでの編集やAIの登場が訪れた現代において、その範疇の間の垣根って曖昧になってきたんじゃないか、と。

「まるで絵のような写真」も「まるで写真のような絵」も存在する中で、果たして写真にすがるだけの根拠があるかと言うと私にはないのです。
だって絵が描けるなら、好きなように装飾した役者さん描くし、それでも写真が武器だから写真で出来ることの範囲、言い換えると制限された檻の中で表現しているに過ぎないのですから。
であれば「絵画を目指したポートレート」「pictureとしての写真」でもいいんじゃないかな?と。

「pictureとしての写真」を目指して、自分が好きと感じる絵画の要素をちりばめて、それでいて写真という”任意の時間を一枚に閉じ込める”かつ”世界の光を歪めて記録する”媒体の力をどう活かすのか、な課題にチャレンジした四葉を展示することにしました。
写真である理由はないけど、写真だから自分にもできて、モデルさんにも喜んでもらえるなら、写真がいい。
そんな私の何言ってんだか分からない世界観が、観覧者さんのスキに触れて、モデルさんのファンになってくれたら私の勝ちです。

展示までに、もう一つのテーマについてまとめておきますね。
11月、楽しみにお待ちしております。

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たかはしあさぎ
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