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相続について考える

「相続」は仏教用語が由来らしい。「相」はすがたかたちのことのようだ。人相、形相、真相など「相」に関連した言葉は、確かにすがたかたちに関するものが多い。
したがって、相続は「すがたかたちを続ける」ことを言うのであろう。

昨今では、相続のことを「争族」や「争続」と表現したりもする。法定相続人や親族を巻き込んで相続に伴った争いが発生している状況を示す造語だ。
この争いは相続資産の大小(あるいは多少)に限らず発生している。つまり資産家のみの問題では無くなってきている。
争っていては「すがたかたち」を続ける本来の相続は実現できないことになってしまう。

なぜ、争いが発生するのか。
相続人の経済状況、相続人の数、相続人の欲、被相続人への貢献に対する見返り、など要因は沢山あると思う。
突き詰めると原因は「相続資産に対する期待」のように思われる。
例えば、将来を見据えて両親の相続が終わったら「あの不動産は自分のものだ」「あの預金は当然貰えるはずだ」などの期待だ。

家督相続制度があった頃は基本的には長男が全て相続するというルールがあったことから、次男や三男など長男以外の者は端から相続することを期待していなかったことであろう。
現代では生まれた順番や性別に関係なく平等になっている。したがって、遺言がない限りは(遺言があっても遺留分がある場合は遺留分まで請求可)平等に貰い受ける権利がある。
家督相続の時代においては、生まれた順番や性別によって悔しい思いをした人々がいるかもしれない。そういう意味では平等で良い世の中になったとも考えられる。

ただし、平等に分けるとすれば「すがたかたちを続けていく」ことの実現は難しい。
争わない方法はないのか。
争いの原因から考えれば「相続に期待しないこと」になるように思われる。
最初から被相続人から相続人に対して何も残さないとアナウンスするか、相続人から被相続人に対して自分は何もいらない、と明言しておくことが望ましいように思う。
とはいえ、代々受け継いできている資産や会社など繋いでいくことが必須なモノもある。

引き継ぐ者は、覚悟を持って次の代に承継しなければいけないことから、後継者として相応しい能力や人格を持った人物でなければならない。
駅伝で襷を繋いで行くことに近しいと思う。
襷を持つことが誰の目から見ても相応しいランナーでなければならない。
したがって、時間をかけて後継者を選定し、後継者以外の者には「相続を期待せず」むしろ後継者をサポートする状況を作ることが望ましい。
このように考えると必ずしも相続は平等である必要性はないのかもしれない。

円滑な承継には事前の準備が欠かせない。
当社でも承継にかかる事前対策業務を担わせて貰うことが多いが、依頼者と打ち合わせを行い、その後家族を含めて承継に対する考えを共有するようにしている。
争いが起こらないように被相続人の意思を周知しておくことを目的としている。
なかなか高い壁ではあるが争いのない相続を実現できるように悩みながらも精進していきたい。



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