【パーティー&まとめ(ショー含)編】ケルン・ズークフェスティバル
ブラジリアンズークをやって一年半程で参加した、ドイツで行われたブラジリアンズークのフェスティバル、「ケルン・ズークフェスティバル」についての記事を残してみた。
これまでに書いた2記事は、こちら。
フェスティバル参加へのいきさつや、フェティバル全体の情報、ケルンについて
フェスティバルでの魅力的なレッスンについて
最後に素晴らしいショーや先生達の試合が含まれ、そして唯一無二の踊りや自信をたくさん経験出来たパーティーについて、そしてズークをやって来た上でのまとめや気付きなど、少しでも臨場感を持って書き残していこうと思う。
服と靴ー寒い日でも薄着がマスト
ズークは私がやった4つのペアダンスの中で、一番汗をかくダンスだと思う。
WCSは、もっと上手になり激しく踊るようになると、ズークに迫って行ったのかもしれないけれど。
とにかく、地方のズークイベントをたくさん主催下さり、私にズークを紹介して下さったRさんがズークを「踊るヨガ」と教えて下さった通り、ホットヨガのごとく、滝のような汗が止まらない時もある。
レッスンの時は先生の説明もあるから、そこまで暑さは気にならないが、クールダウンする時間がないパーティーの時間帯、スタジオの室内は本当に暑い……!
前年のビーチランバダフェスティバルの時もだったが、ヨーロッパのズークフェスティバルのパーティーでは異常に汗をかき、大嵐でずぶ濡れになったような状態になる。
だから、パーティー時の服は特に、開放的な服がいい。
トップスやワンピースは、ノースリーブ。
パンツなら、ドレスコードでエレガントやゴージャスなどでなければ、ロングよりショートパンツや半ズボンがベターかと思う。
ワンピースは、繊細で良い生地ではないものの方が安全かもしれない。
滝のような汗をかいてもいいものが、絶対条件だ。
また、ズークフェスティバルの後にタンゴやキゾンバフェスティバルがあっても、同じ服を重複できる、とは思わない方がいいと思う。汗が半端ないから(苦笑)。
次のキゾンバフェスティバルで重複させる予定だったワンピースは、急ぎ洗濯させてもらった。それ位、ズークフェスティバルにおいてはワンピースもダメージを受けるから、覚悟しておこう。
そして、靴について。
サンダルタイプのダンスシューズを履いていたのは、冗談抜きに私だけだったかもしれない。
なぜか全員、スニーカーなのだ。
会場は、びっくりほどツルッツルに滑る。
インストラクターですら、デモ時に滑りそうになる始末だ(もちろんプロだから、カモフラージュも神レベルだったが)。
スニーカーで踊ることを基準にしてるから、あれだけ滑るパウダーを撒き散らしてるかもしれない。
私はスニーカーはダンスでは履かない主義だったが、これからヨーロッパのズークフェスティバルに参加する方には、ツルッツルの床で滑りそうにならない為にも(!!)、出来たらスニーカーも持って行かれることをお勧めする。
音楽
パーティーでは、高校や大学時に聞いていたイケイケクラブ系の洋楽が、金、土は多かった。
ズークが踊れるようにリミックスされている曲もあったが、オリジナルバージョンのまま流れている曲もあり、
「え、この曲ズークで踊れちゃうんだ!」
と驚いた。
木曜はオールディーズもかかっていて、個人的にオールディーズの曲ではあまり入れなかった。
日曜日はパーティーと始まりの頃から行き、月曜日は夕方からパーティーが始まったこともあり、色々なタイプの音楽が混じっていたように思う。
地方でかかっているアンビエント系の音楽が個人的に大好きで、ケルンでも流れた時はとても嬉しかったが、クラブ調の音楽も新鮮で面白かった。
R&Bもレッスンで取り上げられていたこともあり、よくかかっていた。
全体的に、日本よりクラブ調の曲が多かったのが印象的だ。
ダンサー達は、ズークの中にクラブで踊るノリでソロダンスも入れて来たりして、それはそれで本当に楽しかったし、学生時代クラブで弾けていたあの破茶滅茶な気分も思い出せて、懐しかった。
ショーと先生達の試合
真夜中0時〜1時辺りには、先生達の圧巻のショーや、ケルンの生徒さん達のデモショー、そして先生達の試合などがあった。
ここですごい勢いで踊い狂っていた私達参加者達は、一旦休憩して(笑)ショーを楽しむ。
先生達のショーは、バルセロナの時と同じく異次元のものだった。
また、レベルが高いケルンのズーカーさん達のデモは、一体感がありとても楽しめた。
それまでにケルンのズーカーさん達ともレッスンやパーティーを通じて仲良くなれていたから、ますます親近感が湧いたかもしれない。
そして、密度の濃いレッスンを展開してくれた先生達の試合が、これまた圧倒された。
7組位いる先生達が、その場でくじを引き、番号が同じになったペアの相手と踊る。
だから試合では、いつもペアを組んで指導、パフォーマンスをしている相手以外と即興で踊ることがほとんどなのだ。
それでも、彼らはプロ。
いきなりペアになってもお互いを信頼して、時にサーカスのような激しいダンス、時にアイスダンスのような美しいダンスが展開されて行った。
ケルンフェスティバルで付いて行けるようにと、趣味友さんから宇宙レベルのような技が出てくる動画を見せてもらっていたが、その宇宙レベルの技が生で間近に展開される。
「ちょっと!今のダンス、風みたいなの、感じなかった?」
「彼らのカウンターバランスやチルトターンから来た風だな」
「どういう速さなの!」
私は先生達のすぐ近くで、レッスンを受けた仲間達と試合を観戦出来た。
ドイツやオランダの彼らは、こういう凄い試合やショーも生で見慣れているらしく、初めて生で見る宇宙レベル技やサーカスのような技にびっくりしている私に色々解説してくれた。
このような「試合」という名の「即興ショー」を生で見れる機会が時々あるなんて、これまた羨ましい!
試合はアップテンポの曲が多く、彼らの激しい一面がより光り、圧倒された。
「試合」ということもあり、難しい技をより美しく完璧にしたら、優勝に近づけるそうだ。
そういう一面は、まるで競技のフィギュアスケートや新体操、体操の床運動のような一面も感じさせた。
待ち時間なし&踊り続けられる環境
パーティーで、参加者達はラテラウや色々なベーシック技をそのまませず、大抵色づけしている人が多かった。
片足立ちにしたり、ヒップを使ったり、リズムをアレンジするなど、音楽や雰囲気によって感じを変えていたのが印象的だった。
まだやったことのない技も多いが、気付いたらなぜか出来ていて、次に繋がったことにびっくりしたことも多々あった。
異常に上手な参加者達に何者かを聞いてみると、ドイツ各地、オランダ、イギリスなどの先生、ダンサーや、このイベントでのタクシーダンサーだったりした。
「こんな頻度で先生やダンサーとして活動してる人達に踊ってもらえるなんて、恵まれすぎでしょ、このフェティバル!」
と、テンションは上がるばかりだった。
そんな発展途上丸出しの私だったが、パーティーでは自己満足ではあるが、踊り切れた達成感があり、相手のリーダーさん達も踊りを楽しんでくれていたようだった。
前年のビーチランバダフェスティバルでは、数人は毎回30分ほど踊った人もいたが、たとえ誘われるのには苦労しなくても、1〜2曲でお礼を言われる人も多かった(笑)。
今回は大抵の人とは何曲も踊り明かし、30分、感覚が合った人は1時間程ホールド(ハグやコネクション)を離されず踊っていた。
数人とは、もはや時間の感覚がなくなった領域にまで行けてしまった。
前年よりも「踊り続けていたいフォロワー」になれて来ているのかな、と嬉しかった。
「先生を待ちます!」
という態度で特定のソファーに座ったりしなければ、待ち時間はほぼなく、踊り続けることが出来る。
この、腰を据えて先生を待っている時でさえ、結構上手で自信があるリーダーがそこをあえて通り、誘ってくることもあった。やっぱり、先生級に素晴らしかった!
そして、先生達との踊りはビデオにも撮影してもらえて、一生の思い出になるだろう!
ブラジルの国や文化のごとくステップの一つ一つが雄大でダイナミックなのはもちろん、ミュージカリティの緩急でも身体が鉄骨になったり、反対に柔らかな水のようになったり、先生達は変化の幅がありすぎる。
まさに、一気に宇宙へ飛ばされた感があった!
日にち別エピソード
初日の木曜日はまだレッスンがなかったから、共に踊ったことのない状態でのダンスだったが、いきなりでのパーティーでも、ドイツ全土、ケルンのスタッフ兼参加者の人達、ポルトガル、ブラジル、ベルギーのリーダー達と楽しく踊れた。
日本の文化や雰囲気が大好きだというドイツのミュンヘン君は、私のフェスティバルに来るまでのエピソードにもとても興味を持ってくれ、私がダンス小説を出したら絶対読みたい、と約束してくれた!これは、何としても出さないといけなくなって来た(笑)。
金曜日から本格的にレッスンも始まり、上記の国に加えて仲良くなったオランダのリーダー達とも、クラブ風の曲に合わせて踊り明かした。
さすが整然とされた国、ドイツ。
男女比のコントロールもよくされていて、バランスもとても良かった気がする。
レッスン編でも出てきた、中国からイギリスへ移りズーク全般を踊っているエンジニアさんとも、長い間再会ダンスを楽しんだ。
前年スペインでは、私が動物的な踊りで全然ランバダを踊れていなかったから、エンジニアさんもだいぶワイルドで自由にリードしてくれて楽しかったが(笑)、今回はすごくシックでエモーショナルなリードだった。
「去年とは、また全然違う雰囲気だね。この感じも、とっても楽しい」
「毎日ロンドンのパーティーで踊ってたら、色んな自分を見つけられるよ!君も……去年より更に音楽に入ってるね。去年はとてもクレイジーでノリノリなイメージだったけど」
「本当?嬉しい!去年はただ単に踊れてなかっただけだと思う!実はたまたま間違って、ランバダのフェスティバルに参加しちゃったから、あそこでランバダ始めたの(笑)」
「えぇ!そんなチャレンジャーは、なかなかいないだろうに、勇気出したね(笑)楽しかったし、始めたてって分からなかったよ」
「お世辞をありがとう(笑)あのフェスも楽園の光とノリで楽しかったけど、1年踊って来たのはブラジリアンズークで、好きなのもがぜん、ブラジリアンズークなの」
「うん。好きって気持ちがよく伝わって来る。僕みたいにほぼ毎日パーティーに来ても、行けるタイプだと思う(笑)」
土曜日は、連日踊っているダンサーとは気持ちも踊りも深まって来ていることを感じた。
とても素敵なDJ・Jacobのズークが独特のセンスで楽しく、彼は30分以上気持ち良さそうに歌を歌いながら、10回以上の高速ピアオ(コーヒカップを更に早く回すような技)を軽々として来たかと思うと、ビートやリズムに合わせて、独特なスタイリングやリードで私を驚かせたり魅了してくれた。
一体この人も、どういうポテンシャルなのだろう!
ワンピースをはじめドレスコードをとても褒めてくれたり、
「一緒に踊っていたら楽しすぎて時間を忘れていた」
など褒め言葉も一流で、きっとドイツで引っ張りだこのDJだと安易に想像できる!
クローズドレッスンで一緒だった意識の高すぎる参加者達も、私のことを覚えていて踊ってくれた。
若手のドイツ先生をはじめ、指先まで究極に美しいリードをしてくるメンバーは私をリラックスさせ、よりまろやかに、そしてしなやかに踊れた気がした。
そして体育会よりのメンバーは、クラブ系の曲に合わせて大全開といった感じで、途中はズークを抜けてクラブにいるように自由に踊り明かした。こういう動物的に太陽のごとく踊り明かし、互いにはち切れんばかりのエネルギーを与え合えたことも、数時間後の最高の熟睡、というか爆睡へと繋がった(笑)。
日曜日は、実験的に早い時間からパーティーに参加してみた。
出来るだけパーティーが終わる時間までいた方が先生と踊れる機会も増えるし、一番の盛り上がりを感じられると思ったが、大体クラブ風のハイテンションのピークも連日体験でき、お目当ての先生ともラッキーにも踊れたから、早い時間にかかっている音楽やダンサーとも関わってみたいと思った。
出だしの音楽は少し気怠い感じだったり、私が大好きなアンビエント系の曲も結構かかっていた。
この時私は、びっくりする経験をした。
始めたてダンサーとのonly one :ドイツ人の底力
私はズークを始めたてだという人と、唯一無二のダンスをした。
私とドイツ南部さんは、初日の一番始めのオープンレベル(全てのレベルの人が参加できる)レッスンでペアになった。
金曜日の「コネクション」のレッスンだったが、その組み方に、既にびっくりするほどの癒しと心地良さを感じていた。
ドイツ南部さんも、同じことを感じたようだった。
「コネクションを感じて動くの、心地よいね!素敵なフォローだね」
「リードのおかげだよ!私も、すごくリラックス出来ます」
すぐに交代の呼びかけがあり、
「またすぐ後でね」
と言われ、私は次のレッスンでドイツ南部さんとペアになれるのを楽しみにしていた。
ただ、全然その人とは順番が回ってこないし、どのクラスにもいなかった。
夜中からパーティーに参戦しても、いつもいない。
「金曜日のみの参加だけだったのかな。パーティーで、踊ってみたかったなぁ」
そう思っている内に、ハードスケジュールですっかり存在を忘れていた。
そして日曜日、パーティーが始まって一時間もしない所でスタジオに入り、靴を履き替えるソファを探していると、
「Hi!」
と笑顔で手を振って来る人がいた。ドイツ南部さんだった。
「Hi!あなた、まだフェスティバルにいたのね!」
「覚えてくれてて嬉しいよ!始めのレッスンで、踊ったよね?」
私こそ、覚えられていて嬉しかった。
希少なアジア人であることは、このようにどのフェスティバルでも良いこと続きのようだ。
「覚えてる。風邪を引いていたの?あれ以来、会ってなかったよね?」
「うん。君は、Level3でレッスンを受けてたんじゃない?僕は始めたてだから、ずっとLevel2でレッスン受けてて」
「え!!あれで、始めたて?」
私の声が急に大きくなって、ドイツ南部さんはクスッと笑った。
「(笑)。うん。旬なステップとか何も出来ないよ。でも踊ることは好きで、クラブで踊るのも大好き!」
「私もクラブ音楽、大好き!日本にいる今は、もうクラブには行ってないんだけど」
「君、日本人なの?僕、コロナ前に日本に行ったよ!」
最初のコネクションだけでなく、会話のコネクションもパズルのごとく、よく合う。
パーティーに行ったら大抵は5分以内に踊り始めるが、この日はドイツ南部さんと30分近くはずっと話していたかと思う。
「今日も、あと30分位で帰るの?」
「うん。だって夜が深まるにつれて、異次元のダンサーばかりになるからね。帰る前に、踊ってもらえるかな?君にとったら、つまらないステップかもしれないけれど」
「もちろん!絶対つまらなくなんてないよ。私こそ、この異次元のメンバーからしたら、赤ちゃんみたいなものだよ」
「赤ちゃん(笑)!どんな赤ちゃんか、楽しみ!」
ドイツ南部さんは洒落た上着を脱ぎ、ダンスホールに私を誘導し、そしてホールド(ハグ)してきた。
ズークを始めたばかりの人のホールド(ハグ)とは、到底思えない柔らかさだ。
ハグの仕方から、すでに独特の気品とオーラを感じる。
金曜日、コネクション(ペアを組むこと)を組んだ途端に覚えた心地良さが、やはりそこにはあった。
ビートが始まるまでの、リズムもボーカルもない序奏。
心地よい揺れから始まるそれは、ズークというより、創作ダンスのようだった。
踊りの会話をするとは、こういうことだと思う。
彼が踊りの会話によって何を話しているかを、脳でははっきりは分からなくても、魂はそれを感じ、身体はそれに応え、動き出している。
そして、私の魂が語りかけた「何か」を私の身体はいつの間にか表現し、それにまた彼が魂で「何か」を語り返す。
気だるい中にも優しさを感じる音楽の中で、暗闇の中から物語を作り出していくようなダンス。
お互い、会話の時とは違う姿も垣間見た。
自分が曲に入ったことを感じていたし、彼が曲に入ったことも分かった。
暗い会場で、ドイツ南部さんのライトブラウンの瞳が時折光る。
私のダークブラウンの瞳は、何を発していただろうか。
基本的な技でも、ズークなのかどうか分からない踊りのリードもどこまでも気持ちよく、そのことをもっと表現し伝えたくなる。
シンプルだがとてつもなく優しげで、流れと音楽が導くこの人の表現を、もっと感じたくなる。
2人で作り上げた音と踊りの物語の内容は、実際は異なっているかもしれない。
でも、魂が今この時、音楽と絶妙なコネクションによって重なりあっていることを感じた。
普段始めたばかりの人とズークを踊るのは、大抵1曲から2曲だ。
ビギナーの皆様と踊ることで、私はそれこそコネクションだったり、基礎的な技を丁寧に見直したり、それにスタイリングなどを入れることを挑戦できたり、こちらにとってもすごく勉強になる。
でも、ドイツ南部さんとのズークは、脳で何を復習しようとか、挑戦してみようと考えて踊る、そういうダンスでは全くなかった。
脳は完全に存在を潜め、魂と感情のみが私を支配する。
始めたてでも数日でこれだけズークをきちんと踊れるようにーそれも芸術的に踊れるようになってしまう、ドイツのズーク界、そしてドイツ人の底力を、見せつけられたようだった。
彼は、30分などでは帰らなかった。
私も、1、2曲で終わることなど到底出来なかった。
「ズーク」のパーティーを越えた世界を知り、そして感じた。
「コネクション」という、一番シンプルな、しかし深い存在について知ることが出来た、特別な時間になった。
始めたてでも、異常なまでに気持ちのこもったダンスが共に出来る人がいる。
だから、レッスンで異常な心地良さを感じた人とは、必ず踊ってみよう。
それは、「忘れられないダンス」として刻まれる可能性が、大いにあるだろう。
思い出に残るズーク:受け取った嬉しい言葉
あっという間に月曜日ー最終日が来ていた。
ドイツや北ヨーロッパで開催されるフェスティバルの最終日(たまたま祝日で、このフェスティバルでは月曜日だったけれど、普通は日曜日が多い)は、ドイツ以外の国々の人をはじめ、ドイツの別地域や都市の人達も先生達も、フライトや列車の時間が近づくと、一人、二人、とレッスン中から姿を消し、パーティー中に消える人は加速していく。
パーティーに夢中でフライトを逃した人や(笑)、翌日仕事を休みにして、最後まで残っていた人も、もちろんいたが。
個人的にこの最終日は、絶対遅くまで残った方がいいと私は思う。
この最終日に色々と嬉しい言葉ももらえ、尊い気分になれた。
ドイツ人や北ヨーロッパ人は、スペイン、フランス、イタリア、ポルトガル等のラテン人より、シャイな人もいる。
最終日まで特に誘われなかったら、
「まあ、タイミングが合ってないか、踊る気がしないんだろうね。十分お腹いっぱいだから、全然いいけど!」
と、まだ踊っていない人とレッスンでペアになると、ふと思っていたりした。
しかし。
この最終日のパーティーで誰かと踊り終えた途端に、そういう人が私のすぐ近くにいて誘って来たりする。
「いいのかな、私で?」
「もちろん。……木曜から君と踊りたかったんだ」
なんて言ってくれた人もいた。
この人はHi!と言うだけでなく一回喋ったりしないと、踊りに誘うのに勇気がいるそうだった。
また、パーティーでどの程度踊れるのを確認してから最終日に誘ってくる、パーティー専門参加のメンバーもいた。
「君、いつもすごく楽しそうに踊っているよね!」
「わっ!見られてたんですか?」
「とても目立ってたよ。エティゾチックで」(実は下手すぎて目立っていたのではないと、願いたい笑)
中には、
「いつもスタジオで見ないアジア人だから、今日まで誘うのに勇気がいった」
と言っている人もいた。
それらの行動を、日本人は差別と間違ってしまうこともあるかもしれない。
でも、それは違う。
感情のままにフランクに誘うことが上手な、ラテン系のヨーロッパ人達より、北ヨーロッパの人達は、それだけアジア人を尊く、特別な存在と思っている人も多いようだ。
だから最終日、恥じらいなんて構っていられない時期に、ようやく誘ってきたりする。
今回ドイツのフェスティバルに参加して、実際に彼らから上記のようなコメントを聞いたことで、そのことをますます知れた。
踊る時、とても大切なものを扱うようにコネクションをとってくれたり、サッと上着を抜いで、多少官能的にリードをしてきたり、リーダーさん達の気持ちの込め方はそれぞれだ。
でも、そうやって「君と踊れるのが嬉しい」ということを、口だけでなく色々な方法で、踊り始めから見せてくれる彼らから、日本人が、そしてアジア人が、ここでもいかに尊い存在なのかを知ることができて、嬉しかった。
そして最終日は、タクシーダンサーや先生との踊れる率が、競争率が低くなる分、高くなる(笑)。
アジア人は見かけが違い目立つから、タクシーダンサーから最終日も誘われやすかった。
世界でも有数のオランダのフェスティバルでタクシーダンサーとして活躍しているオランダさんとのダンスも、忘れられないものになった。
「10月に、世界で一番大きいズークフェスティバルの1つが、オランダであるよ。絶対来てみて!」
と、チラシを渡された。
私のケルンズークフェスティバル最後のダンスは、レッスン編の途中にも出てきた、地方でズークやダンスを教えている、ドイツ先生だった。
ドイツ先生からは連日の踊りで、ズークの底知れぬ楽しさに触れ、そして遅刻した時などの会話を通じて、ズークや踊りへのひた向きさにも触れていた。
真夜中、滝のように流れ続ける汗をなんとか止めるためにダンスホールの外で涼んだ時、互いの地方のズーク情報やこの旅の後のこともそれぞれ話した。
ドイツ先生が色々オープンに話してくれる中で、私の心の更に奥にある感情も、開かれていった。
「本当中の本当のことを言うと、日本に帰りたくないの。今はこのフェスティバルに感動していて、本当はブラジリアンズークをヨーロッパでもっと踊って行きたい」
ドイツ先生はそのことを知り、それを真っ直ぐな心で受け止めてくれた後だったからか。
恐らくフォローできてない技もあったはずなのに、ホールド(ハグ、踊るコネクション)は何曲終わってもなかなか解かれない。
初日のレッスンから、クローズドレッスンでもドイツ先生とは一緒で、ドイツ先生が楽しげにかけてくれた技や、技も溜めを作って展開して来る所で、
「あ……今、ミュージカリティのこと実践した!あ、今あのテクニックで取り上げられた深い方のカンブレが来た!」
などと気付くことができ、同じレッスンを共に受けたからこその絆が出来ていた。
ヨーロッパ人が指摘されてたHipHop系の曲も彼はとても楽しそうに操り、私も感覚とノリのみではあるが、その彼の操りに応えた。
ドイツ先生はそのフォローをとても楽しんでくれたかのように、笑顔が広がる。
間違ったから笑われた訳ではなかったようで、その後も別れを惜しむように、何曲も踊った。
音に操られるのではなく、2人で音を操っている感覚が持てた時、それは更なる楽しみになり、喜びになった。
踊り終わった後は、話せる時間まで喋った。
「最後まで、どうしてこんなに楽しくて気持ち良いの!あなたは、素晴らしいインストラクターだね!」
と言うと、
「僕こそ、君との踊りをいつもすごく楽しめたよ!僕はそれぞれの曲で、音と君、僕自身と遊ぶことが出来たよ」
と笑顔で弾んだ声で言ってくれた。
「Venessa達が教えてくれたことだね!褒めすぎたコメント、ありがとう」
時間は迫っていた。
これからダンサーとして活躍していくドイツ先生に、エールを送った。
「あなたのキャリア、ズークとの絆がますます深まることを、祈り応援してるね」
「僕だけじゃないよ。僕たち両方が、だよ。どうか、ここでズークやダンスを終わりにしないで」
「私はあなたみたいに、先生じゃないし才能もないし、もうダンスはやめないといけないの」
「そんなことない。僕は、君の踊りやセンスが好きだよ。君は、ダンスを辞めない気がする。それで、またドイツで会って踊れる気がする。ドイツに来る時は、メッセージをちょうだい。僕も君のことを、祈って応援してるよ!」
まとめ:ケルンでズークを踊り切ってみて
AirBnb のアパートへと戻る道、美しい空を見上げながら胸が熱くなった。
「ドイツ先生なんて全然レベルも地位も違うのに、こうして同じ立場で応援してくれるなんて...…」
ドイツやヨーロッパに奇跡的に来れることがあれば、ブラジリアンズークを始めて一年続けた時のように、週1でまた再開したい、と込み上げてくるものがあった。
パーティーは当たり前だが、踊ることが主だ。
先生達や素晴らしいタクシーダンサー、参加者達と踊れたことで、この時期だけ一気に宇宙に噴き上げられたかのように(!)上手になっていた気がする。
でも、付随する先生達のショーや試合を見ながら仲間達と盛り上がったり、そして踊りで心の奥底の感情、感覚と向かい感じ合ったり、そして仲間達と本音で話したり、ドイツのケルン会場ならではの雰囲気に浸ったり……。
そういう所も、最高の楽しみだったように思う。
踊りと文章を繋げるという意味では、自分自身の中で、
「ズークの魅力は文で書くと、これ程までに魅力的なの!」
と断言できても、それを文章で圧倒的に表現出来ているかというと、ズークでは100点満点は出せていないかもしれない。
キゾンバでは、素人レベルで自分よがりではあるが、前回でも既に悟りが開けかけ、今回で完全に開けた気がした。
キゾンバの尽きない魅力(もはや魔力)については、この記事(特に一番最後の“まとめ“)をぜひ見てほしい。
誰もが、このダンスを始めたくなるその魅力について、文章に出来たと思う。
ズークになると、このキゾンバの表現よりまだ文章表現に限りがあったのは、キゾンバの3分1位の1年しか、コンスタントにズークを習っていなかったこともあるのかな、と思う。
もちろん、去年ランバダフェスティバルで洗礼を受けた時の純粋な喜び・熱狂に比べると、今回は確実に深い感覚・感動へと、経験も気持ちも前回以上の手応えがあった。
その先ー上記のキゾンバ辺りまでこのダンスをやると、何が見えて来たのか。
「知りたかったな」と、欲張りなもう一人の私が時々つぶやいて来る(笑)。
ケルンで数ヶ月前に共に楽しんだ仲間達は、この数ヶ月で更に異次元のレベルに吹っ飛んで行っているようだ。
時々仲間から送られてくる撮影動画は、もはや再開してもフォローができる自信がない(笑)。
でも、最後にドイツ先生が言ってくれた言葉をはじめ、ケルンでもらった言葉の数々が、時々私の脳裏に響く。
少なくともドイツへはいつか約束通り、連絡を取り合うようになった友人達を訪ね、周遊旅行をしようと思う。
ドイツ先生やドイツ南部さん、フランクフルト君やミュンヘン君など、そして思い出のケルン仲間達を訪ねてもちろんケルンも再訪して、ドイツ各地を旅するのだ。
その時まだ私はズークを踊れるのか、すっかり忘れているのか。
それは、神のみぞ知る、だろう。
出来たら彼らと少し位は再会ズークを踊りたいから、ベーシック技位は忘れずにしておきたいものだ。
彼らからしたら、ヨーロッパで生活出来ていることも当たり前なのだろうし、私への言葉も、素直に何気なく言った言葉なのかもしれない。
でも彼らからもらった言葉が、今回のケルンフェスティバルでの、自分への大切なお土産になった。
実際買ったお土産を見ても、当時の温かい言葉を思い出す。
この長すぎる記事も、お土産の濃さを物語っている(笑)。
ズーク。とても難しいダンスだ。
才能が全然ない私からしたら、始めからとても難しかった。
でも、始めから身体全身がストレッチをして伸びることがとても気持ち良く、冬には末端冷え性も解消された。
その上踊れるようになればなるほど、魂も喜んで行った。
中毒性のある、終わりのないダンスであることは間違いないだろう。
入り込んで行くと、その沼は深い。
貧民の私を2回もヨーロッパへ飛ばしてしまう程、深かった。
地方でしっかり学んだ一年。
ブラジリアンズークを一度はヨーロッパで踊ることを諦めきれず、時々になっても、自分の中では気持ちを入れて続けた半年。
そして2つの忘れられない、ランバダフェスティバルと、ブラジリアンズークフェスティバル。
キゾンバ物語の完成度までには及ばなかったものの、このズーク物語も相当に濃く、美しいものになった。
ズーク物語も、将来のダンス小説に確実に絡ませていきたいと思う。
書ききれてていないドイツでのお土産エピソードも、もっともっと入れていきたい。
ここまでのズーク物語に関わってくれた世界中の全ての人に、心から感謝している。