時空間外方程式
時間と因果とロジックと
「あおいのきせき」の知見は
時空間に縛られません。
既存の自然法則は、時空間内に限定されてしまいます。
反対から申せば、時空間の仕組みについてのルールが自然法則なのです。
ですから、例えば物理法則の「思考の極点」とでもいうべき「時と場所」において、時空間が「消失」或いは「反転」してしまったり、反対に無限に「つきあた」ったりしてしまい、解釈の不能に陥る、という事が、実際に起きてしまいます。
そうして、その扱いこそが自然法則最大の「問題」になっています。
法則が「時空間」に限定され、かつ、極限(零の無限近似値は零という「ごまかし」や無限を演算子で「表現」したとかいった「いんちき」)を使うことがその主な原因なのです。
加えまして。
時空間宇宙は非時空間宇宙と、その境界と併せて考えるべき
時空間宇宙は意識と言葉と一体で「宇宙」を作り上げています。
時空間宇宙だけ、(が存在の全てであるという前提)で、計算式により宇宙を描写すれば、その極限において当然無理がきます。
間を表現する
ゼロとイチの間を表現する、
ですとか、
二元論を超える、
為に必要な事を別の角度から申し上げれば、
上に記しました通りになります。
まず、排中律に従ったままでは、それは不可能です。
(中を排除するから二元論になり、ゼロかイチになるのですから)
そうして「あおいのきせき」にはその道筋が書かれている、という事になります。
その知見により、極限の先がある事がわかります。意識と言葉です。
ロジックは時間を必要とする
ロジックは時間がとまれば、止まってしまいます。計算もです。
「あおいのきせき」はこの当たり前に光を当てます。
時空間においては、
順番に、或いは因果的に「ものごと」が起生しもします。
が、
一方で、全ての出来事は「同時に生起」しているのです。
このことを言語化するのは難しい。
そもそもが言語は記述発声時間を要するので、時間の、ある一点に於いて、全てを言語表現する事は出来ません。
変化(時間の経過)の全部をどうすれば固定した時間において、描く(例える)ことができるでしょうか。
「存在の方程式」(「あおいのきせき」の知見)は時間外でも有効です
存在のかたちは、三竦み
時空間。意識(空間)。言葉(時間)。
分かち難く結びついた三様の「あり方」を正確に理解する。
或いはまた、レンマ的知性つまり、非ロゴス的知性により全体を無分別無時間を通して「知る」
これこそ「あおいのきせき」によって始まる新しい世界なのです。