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SONY・井深大氏の晩年の言葉
【近代の科学を打ち破るカギは「モノと心」の一体化】 — 1992年1月24日、新高輪プリンスホテルに於いて、当時、83歳の井深大氏のスピーチより抜粋 —
(パラダイム=あたりまえ)を取り替えるべき
●「デジタルだ、アナログだ」なんてのは技術革新にも入らない●
今日は身体の調子もあまり良くないので、出てくるつもりはなかったのですけど、「パラダイム」という言葉に惹かれて出てきたわけであります。
パラダイムというのは非常にいろいろな意味があるんですけど、今日、みなさんの話を聞いてると、これはニューパラダイムの話じゃないんですよね。
それでパラダイムっていうのは、どういうことかって言いますと、コペルニクスが地動説を言い出したわけでありますが、(それまでは)誰もが地球を中心にして太陽も月も回るんだ、ということを誰一人として疑うことはなかった。
今でも我々は東から太陽が出て西へ沈むという事を平気で口にするくらい、天動説のパラダイムは行き渡ってまだ尾を引いている。先ほど社長(当時は大賀典雄氏)が言ったけれども、大衆の人全部が全然信じて疑わないこと、これがパラダイムなんですね。
しかしパラダイムというのは決して真理でもなければ、永久にそれが続くわけではない。そういう問題がパラダイムなんで、我々の社会でパラダイムということを考えてみると、ひょっとしたら半導体を我々が使い出したこと、これは一つのパラダイムシフトになっているかもしれない。
けれども、先ほどの言葉にもあったけど、「デジタルだ、アナログだ」なんてのは、ほんと道具だてにしか過ぎない。これは技術革新にも入るか入らないくらい。そういうと今日のスピーカーには大変失礼な言い方だけど、道具だてなんですよね。
原田武夫氏によると、戦後間もなく、技術立国として世界へ再び羽ばたくという大きな使命を与えられた「国策ベンチャー企業」の一つが井深大さんと盛田昭夫さんが立ち上げることになった、かの東京通信工業株式会社(のちのSONY)でした。
ご存じのごとく、世界と世界の経済を牽引するという、任された大仕事を盛田さんと共に成し遂げた偉大なアントレプレナーの井深さんですが、晩年に語られたスピーチで「存在の方程式」の「登場」こそ未来の鍵である事を、見事にピンポイントで言い当てておられたその慧眼に絶句してしまったのは最近の事です。
そのスピーチを、ここに引用致します。
当たり前(パラダイム)が入れ替わるくらいのことでなければ、技術革新とは言えない、と平成になってすぐにお話しになられていたのです。
デカルト、ニュートンにまんまと騙されている
【前略】、私の考えるパラダイムってのは一体何であるか。現在、モノを中心とした科学が万能になっているわけですね。これはデカルトとニュートンが築き上げた「科学的」という言葉にすべての世界の人が、それにまんまと騙されて進んできたわけなんです。
もちろん今日の経済もソニーの繁栄もその騙されたパラダイムの上に立ってできあがったものだと思う。我々は現代の科学とういうもののパラダイムをぶち壊さなきゃほんとじゃない。
上で井深さんが言わんとなされた同じことを、多少細かく申し上げたのが、以下になります。
さらに井深さんのお話しは核心へと続きます。
近代の科学を打ち破るカギは「モノと心」の一体化
物質だけというものの科学というものでは、もう次の世界では成り立たない、というところまで今きている。
それはどういうことかと言いますと、「デカルトがモノと心というのは二元的で両方独立するんだ」という表現をしている。これを話していたら1時間くらいかかるから、このぐらいにしておきますけど、モノと心と、あるいは人間と心というのは表裏一体である、というのが自然の姿だと思うんですよね。
時空間宇宙だけの存在を前提とした「科学」ではダメだ、と仰っていると理解して齟齬はないように思われます。
そうして、お話しのとおり、存在は時空間宇宙だけではない、と今、私たちは知っているのです。
過去記事に書かせて頂きました通り、「あおいのきせき」の知見(存在の方程式)により、時空間宇宙は「意識」と「言葉」で接続していることに、私たちは気がつきました。
更に詳細は、以下のマガジンを是非、ごらん下さい。
実際、
実のところ、物質(人間もそうです)と心は、お話しになられた通りに、ほぼ、表裏一体でありました。そのロジックを「あおいのきせき」で手に入れることができました。
近代の科学を打ち破るカギは「あおいのきせき」の知見
それを考慮に入れることが、近代の科学のパラダイムを打ち破る、一番大きなキーだと思う。
精神のリレーのバトンはしっかりと、井深さんからも受け取りました。
「それ」(バトン)こそ「あおいのきせき」の知見、と言う形に成ったのです。
以下、井深さんのスピーチ全文リンク先です。
おそらく、スピーチに至る文脈を想像するに、会場で「DX」こそ未来へのパラダイムシフトである、というようなお話しが前段にあったのでしょう。それに井深さんは疑義をとなえられた。
井深さんに対する会場の一般的な反応が「目に見えるよう」です。
曰く「爺さん、またモウロクしちまって。年をとってますます宗教がかってきた。もう"時代"じゃないんだよね」
それは、その後のSONYの30年間を外から見ている皆が知っていることです。創業者亡き後、(戦後を牽引した)株式会社としての業績につきましては賞賛の言葉しかありません。けれども、失礼を承知で申し上げれば、物作りの会社として、まったくイノベーティブではありませんでした。
もっとも理解すべき事情があることはわかります。
「あおいのきせき」の知見(存在の方程式)を知らずに、井深さんの仰る真の意味を理解して「ものづくり」をすることは出来なかったでしょう。
そうしてまた井深さんの「時代」がやってきました。
精神のリレーは、ちゃんと、つづいているのです。
1961年にはデジタル社会を予言
その井深さんであればこそ、晩年には「あおいのきせきの」知見の意味をご理解しておられたということです。