三つの「界」
は、かように、互いが互いを必要とし、からみあって「ある」のだとわかります。
現在の(公になっている)「人類知」においては、いわゆる「物理的存在」と「意識」と「言葉」の関係が、まったく考察対象になっていません。
「意識」についてのみ、やっとのこと「量子物理学」に於いて、「学問」の俎上に上がっていますが、「言葉」という(もの)がいったいなんなのか、実存としては、まったく研究の対象とされていません。
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原田武夫氏だけが、そのことを研究対象にしています。つまり「音義」
弊社のツイッターアカウントで盛んに「with #iisia の知見」とつぶやくのは、これが大きな理由であります。
「意識」と「言葉」の関係も、そもそも「意識」の正確な定義(=「非宇宙」です)が定まっていないせいで「精神医学」「心理学」それから「脳科学(大脳生理学)」などの分野でかなりの混乱状態にあるというのが実情でしょう。
ちなみに、「意識」「無意識」について。
さよなら、心身二元論。
心(意識) と時空間(存在である物質)という二元論を大前提にして立った世界観、宇宙観。
しかも、両者は(量子世界の他は)無関係。
この考えは、そろそろ限界でしょう。
この世界観に、「言語」という「実存」を加え、更にそれら三者は分かち難く結びついているという前提を採用する事、つまり、正しい認識を持つことで、私たちの知見は、更に確かなものになるのです。
ああ。まだ、コレで全部ではありません。よね。
対称性の破れ。そのわけ。
主体的にではなく、非主体的な考察が求められているように感じます。
(思う、ではなく)
東京は、春一番。
再び、イングランドからの(以下参照)
メッセージをご覧下さいませ。