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「前任者の方からは、こんな感じで指示がありました」に怒鳴ってしまったのは何故?
(写真は2018年5月赤坂インターシティAir新設のエスカレーター)
大学卒業後、就職した職場で程なくしてビジネスマネージャーという肩書きをもらうことになりました。マネージャーとしての責任の中に、一人の会計担当者の上司として働くことが含まれていました。
その会計担当者は、私よりふたまわり以上の年上でした。その職場ではベテランの女性職員でした。当時仕事の仕方もよく分かっていなかった私には、その先輩がする会計帳票のチェックをするのさえ精一杯でした。
そんなある日、彼女に向かって
「いい加減にしろ!今は私の言うことを聞いていれば良いんだよ!」
と怒鳴ってしまったのです。
怒鳴り終わった瞬間に「しまった」と思いましたが、もう遅かったのです。先輩は顔を手で覆いながら、席を立ってオフィスから出て行ってしまいました。
ハイパフォーマンス・コンサルタントの髙澤健(たかざわたけし)です。
この記事を読んでくださっているあなたが、「最高の自分」に向かって成長するために、少しでもお役に立ちたいと願いながら書いています。
この投稿のタイトルに書いた
「前任者の方からは、こんな感じで指示がありました。」
ということばに過剰に反応して怒鳴ってしまったのでした。
どうして怒鳴る必要があったのでしょう?全くありませんでした。
当時は「パワハラ」なることばもなく、しばらくして席に戻ってきてくれた先輩に謝って事なきを得た(?)のですが、後味の悪い出来事として私の脳裏に残ったのでした。
この事件を通して私は何を学んだのでしょう。二つの事だけ紹介させて頂きたいと思います。
自分の力不足を認めたくない
当時、どう見てもベテランの先輩の方が仕事の内容についても、仕事ぶりについても、私よりよく知っていたわけです。恥ずかしい話しですが、当時は上司である自分が先輩の彼女よりも知っていなければならない、彼女より仕事もできなければならない、結局のところ彼女よりあらゆる面で優れていなければならない、との思い込みがありました。
わからないことをわからないと言えなかったし、わからないことを部下である彼女にまさか聞けないって思っていたのです。
困っっている私に助け船をだしてくれようとしたのでしょう。前任者の指示の仕方を教えてくれたんだと思います。
自分の力不足を隠すために、大声をだしたのです。心の中では耳を両手で塞ぎながら、聞きたくない!って思っていたわけです。
親に何度となく言われていた「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」を全く実践できていないことに気付きました。わからないなら、聞くのが一番です。
「よくわからないのですが、教えて下さい」
この一言が「学び」の扉を開き、私を「成長」へと導いてくれると今では思っています。
力が失われた時に怒る
なぜ私は大声で怒ったのでしょう?
人は自分から力が失せたと感じる時に怒ることによって、力を自分に取り戻そうとするとある心理学者が言っています。
実際に「怒る」という感情を持つときに、それも怒鳴ることで、建徳的なものではないにせよ、ある意味「力」が内側に湧き出てくれるのです。
私自身、前任者のような的確な指示ができず、自分が上司としてやっていく自信も実力もなかったわけですから、自分に「力」がないという現実に直面していたんだと思います。
「前任者の指示と同じにすると、どんな点が良いと思いますか?」
「その指示通りにしてた時に、何か問題点がありますか?」
「どのような指示があるとやりやすいですか?」
「最も成果をあげるためには、どうのようにする事がいいでしょうか?」
今になってふり返れば、こんな質問をすることができたのに、と30年以上も前のことを後悔してもはじまりません。
たとえこのような質問ができなかったとしても、怒鳴るのはもってのほか。
怒鳴らないで落ち着いて彼女の言いたいことを聞いたいたのなら、私が無意識に欲していた「力」は、「信頼」という形で私の中に湧き出てきたに違いないのです。
怒鳴ったことを思い出しながら「学ぶ」こと。
自分の現在のありのままの姿を認めること(そもそも隠していると思ってもバレてることの方が多い)
信頼されることで得られる力が自分も他者も成長へと導くこと(怒鳴って得る力は結局のところ破壊する力でしかない)
ここまでお付き合い下さってありがとうございます。