これまで頑張ってやった事が、不必要になってしまった時に。
(写真は米国シカゴ上空:2016年1月撮影)
一生懸命取り組んでいたプロジェクトが完了直前に中止になる。
作成していたシステムが、出来上がったら突然全く不要になる。
突然、登った梯子を外されたような体験があるのではないでしょうか。
そんな時にどうすればよいでしょうか?
夏休みの沖縄旅行
私が小学6年生の初夏。父親が「今年の夏は家族で沖縄へ行く」と言いました。
沖縄に行ったことはありませんでしたが、「真っ青な海」と「真っ白な砂浜」のイメージがありました。
私は小さな時から海が大好きでした。今でも海辺が大好きです。
喜んで夏休みの旅行の準備をしていると、夏休み直前に沖縄で戦争の犠牲になった「ひめゆり学徒隊」の展覧会を見にデパートへ行くことになりました。
悲惨な「ひめゆり学徒隊」のことは、全く知りませんでしたので、沖縄に旅行に行く良い心の準備になったと思っていました。
すると、旅行を間近に控えていたある晩に父親が言いました。
「やっぱり沖縄は遊びに行くところじゃないから、沖縄行きは中止」と言いました。
突然のキャンセルにたまげました。でも、小学生ですから親の言うとおりにするしかありません。
その夏は旅行無しで終わりました。
沖縄のことを忘れかけていたある日、「ひめゆり学徒隊」の展覧会から1冊の本が届きました。
デパートの展覧会をまとめた小冊子でした。
なんと、私が答えたアンケートが選ばれていたのでした。
そこには、「今年の夏沖縄に旅行に行きます。でも、沖縄に行く前に戦争中、沖縄でどんな悲惨なことが起きたのかを知ることができて良かったです。」と掲載されていました。
大したことではないのですが、当時の自分にとってはやるせない気持ちになったのでした。
水際対策変更
時は進んで2022年1月。
仕事を米国カリフォルニア州で終えて、ロサンゼルス空港から成田空港へ戻る72時間前。
PCR 検査を空港からそれほど遠くないクリニックで受け、陰性証明をもらいます。
飛行機で成田へ。成田で再度検査。陰性証明が出てホテルへ。
行き先も告げられず、バスに揺られて1時間半。都内のビジネスホテルへ到着。
そこで一旦部屋に入ると6日間(カリフォルニア州からの帰国の場合6日間の一時待機)一歩も外に出られませんでした。
3日目に検査。陰性。
6日目に検査。陰性。
そして、ようやくホテル隔離(正式には「待機」)が終了。
成田空港へ戻され、公共交通機関を使わず自力で自宅へ。
全体10日間の「待機」。ホテルでの強制「待機」が6日間。残りの4日間を自宅での「待機」(「ホテル待機中」に14日間の隔離が10日間に短縮されました)
自宅から出かけてはなりません。
ところが、帰宅した翌日には「顔面神経麻痺」が発症し入院してしまいます。
強いストレスが原因でしょうと言われました。
閉所恐怖症の私には6日間「閉じ込められた」ことが「強いストレス」だったのかも知れないと思いました。
隔離、入院について詳しくはこちら↓をご覧下さい。
水際対策で陰性者が隔離されている間、全国では感染が爆発的に拡大していました。
どうみても、海外からの帰国者がウィルスを持ち込んで拡がっているとは思えませんでした。
米国はwithコロナの対応で、ワクチンパスポートなどの感染防止策、飲食店でもメニューなどはスマホへのダウンロード、非接触型の社会活動が進んでいましたから、日本の状況とのギャップを感じざるを得ませんでした。
「顔面神経麻痺」での8日間の入院生活を経て、自宅で療養しながら、ようやく顔の麻痺も戻りつつあります。
そんな中、「水際対策の変更」です。
帰国者で「ワクチン接種者は空港での検査が陰性であれば、待機なし」となります。
なんでこれをもっと早くから適応できなかったのだろうか。
やるせない気持ちになるとき
二つの私のプライベートでの出来事は、皆さんが経験する仕事の現場での「変更」や「中止」に比べたら大したことはないでしょう。
ここでは紹介しませんが、私も仕事の現場で、事業の「中止」に何度か巻き込まれましたし、私自身が「撤退」の決断をした事業もいくつかあります。
悔しい気持ちになります。どこにその悔しさを持っていって良いか分かりません。
今回のことも含めて、自分自身に言い聞かせていることを4つ紹介します。
(1)一人で悶々せず信頼のおける人に自分の気持ちを開示する
実際に湧き上がってくる気持ちを信頼のできる、そして聞く余裕のある人に正直に伝える。
アドバイスしたがるタイプ人には、「そうなんだ」だけにして欲しい旨先に伝える。
その気持ち自体には言いも悪いもないので、表現してそれを「メタ認知」します。
聞いてくれた人に感謝します。
(2)ここまで自分は何をしたのかを明確にして完了にする
自分のしたことを明確にして、それについて学べることやうまくいったことを確認する。
「たら、れば」は言わない。状況が異なっていればなど、状況の事にまで話しを拡げない。
自分がしたことについて評価したら、それで終わりにする。色々な声が自分の中からも、他人からも聞こえて来ます。
これは終わったんだと自分に言い聞かせますが、感情が噴火しそうなら、(1)をもう一度。
(3)自分でコントロールできない部分については考えない
自分がしたことについて振り返りながらも、自分がコントロールできないことについては考えません。
別のシナリオも考えません。
そして、(1)や(2)で学んだ有益な事以外は、頭に入れないようにします。
(4)今はわからないけれど何かの意味があると信じて将来に向かう
その時はわからないかもしれないけれど、何かの意味や役に立つことがあるから、選ばれてその経験を積んだんだと自分に言い聞かせます。
沖縄に実際に行くことができたのは、出張で34歳になってからでした。
22年後に沖縄に仕事で出かけるようになり、現在はある自治体の教育委員会のためにお仕事をさせて頂いています。
直接、関係はないのでしょうけれど、12歳の時の経験がどこかで繋がっていると思っています。
あなたももしかしたら、そんなやるせない気持ちのまっただ中にいらっしゃるかもしれません。
何らかのヒントやきっかけになれば嬉しいです。
最後までお付き合い下さりありがとうございます。