「しる できる やる」の間に何があるのか?
「そんなこと知ってる。」
「あ〜あれね。知ってます。」
例えばこんなこと。
「カーリングのストーンを氷の上に滑らせるようにデリバリー(投球)するのって、氷面の状況が刻々と変わっているし、ストーンのスピードと軌道を狙ったようにコントロールするの難しいんだよね...
それにさ、野球のピッチングプレートみたいに蹴って投げるんじゃなくて、自分自身がストーンと一緒に滑りながらリリースするじゃない。結構奥が深いよ。」
「えっカーリングできるの?」
「ううん、やったこともないんだけど」
「よく知ってるね〜」
このように、「しる」「できる」そして実際に「やる」は、言葉の違い以上の違いがあります。3つの間には、溝のようなものが存在しているようにさえ感じます。
私自身この3つ能力の間に横たわる溝のようなものに、翻弄させられたり、苦しんだりして、前進できなくなることがあります。
この3つの能力の関係性について考え、私たちが成長しながら成果を出すヒントを得たいと思います。
しる・できる・やるの重要度
まず最初に知る事、できる事、実際にやる事の重要度はどうでしょう。
重要度というと抽象的で頭が混線しそうですから、具体例で考えてみましょう。
私はコーヒーが大好きで毎日飲んでいるので、「美味しいコーヒーをいれて飲む」ことについて考えてみます。(コーヒー嫌いな方ご辛抱下さい)
(1)知る事
美味しいコーヒーをいれるための知識という事になります。
例えば、サイフォン、ペーパードリップ、パーコレーターなどの器具がある。コーヒー豆の挽き方は使用する器具に合わせて変わる。
このような事を知っているということです。
(2)できる事
美味しいコーヒーをいれるための技術という事になります。上述のサイフォン、ペーパードリップ、パーコレーターに加えてエスプレッソマシンやネルドリップでも美味しいコーヒーをいれる事ができる。
それぞれの器具を使って美味しいコーヒーをいれることができるということです。
(3)やる事
実際に美味しいコーヒーをいれて飲む実行になります。好みのコーヒー豆を買い、豆をひき、器具を温め、実際にコーヒーをいれます。
できあがった美味しいコーヒーを飲むのです。
どれが最も重要でしょうか?
この場合、「美味しいコーヒーをいれて飲む」ことを目的にしましたから、「やる」実際にコーヒーをいれて飲むことが最も重要です。美味しいコーヒーをいれる技術がなければ、美味しいコーヒーは飲めませんから、「できる」技術も必要ですね。
でも、美味しいコーヒーをいれる事ができても、実際にいれて飲まなければ、目的は達成できませんから、「やる」こと以上には重要ではありません。
重要度が低いのは、「しる」でしょうか。ある程度の知識がないと「できる」技術を持てないかもしれません。でも、実際にいれるために知識はそれほど必要ないのかも知れません。
どうでしょう。
目的がコーヒーについて知識をはかる筆記試験に合格する事であれば、「しる」は重要度を増すようにも思えますが、実際に試験を受けて合格(やる)しなければ、目的を達成できません。
何事も実践をしなければ、意味のないことが多いのではないでしょうか。知識も、技能も、実践なしには宝の持ち腐れになってしまうように思います。
漸進的な順序なのだろうか?
次に、3つの順序について考えてみましょう。
まず、情報を集めてから、練習をして技能を高めて、そして完成度の高い実践をして成果をあげる。
このようなイメージを持っている人が多いのではないでしょうか?
受けてきた教育のせいかもしれません。
大体、スポーツでもルールを学び、基本的な技術を練習して、それから実践をするという順序で習ってきたように思います。
しかし、大人になって仕事をするようになると、本当の意味で仕事が「できる」ようになるためには、実際に「やる」ことを通してでなければ「できる」ようにはならないことが多い事に気がつきます。
「できる」ようになる前から、実際に「やる」ことを通して、「できる」ようになるし、「しる」ことも多いことに気づきます。
すくなくとも、3つには、「しる」→「できる」→「やる」といった直線的な順序がないことが分かります。
もっとダイナミックに、重なり合って同時進行のように、らせん状に進んでいるように思われます。
どのプロセスで溝にはまるのか?
「しる」「できる」「やる」
どの部分で溝にはまってしまうでしょうか?
知識を得るのに困難を憶えますか?
技能の習得に困難を憶えますか?
実践に移すのに困難を憶えますが?
それぞれ、人によって、また何にるいてであるかによって、異なるように思います。
しかし、よくある落とし穴は「しる」「できる」「やる」の直前と直後に潜んでいるように思います。
(1)「しる」の前後
情報を集める、リサーチする、お手本を探すなど「しる」には様々な形があると思います。
「しる」の前にある落とし穴、それは「目をつぶって暗闇の中で考え込む」という落とし穴です。
さあ、これから取りかかろうと思った瞬間に、自分の頭の中に籠もってしまうのです。必要な知識は自分の中にないならば、目を開けて探しましょう。
そして、「しる」の直後にある落とし穴は、「わかったという満足」です。
何もしないのに「わかった」だけで、調べただけで満足してしまうのです。
(2)「できる」の前後
練習しないと「できる」ようになりません。実際に「やる」ことをしないと、「できる」ようにならない事が沢山あります。
量が質に変わる転換点まで、続けないと「できる」ようになりません。ちょこっとやってうまく上達しないとやめてしまう。noteをスタートしてから、平均継続期間は3ヶ月未満と聞きました。
一般的には3ヶ月ぐらい続けないと、noteを継続することが「できる」ようにならないのかも知れませんね。
「できる」ようになった直後に、またこれも満足してしまう事があります。技能の上達に天井はありません。継続的に磨いていくことによって、より良い結果を得られることもあります。
また、実際に「やる」ことを通して目的を達成しませんと、「できる」ようになる練習だと自分に言い聞かせても、実際に「やる」ところまでいかないならば、成果は得られません。
(3)「やる」の前後
営業で言えばクロージングです。コンサルティングで時には言わなければならない厳しいことばかもしれません。あるいは、値上げかもしれません。
結果が怖くてなかなか踏み出せない人もいるかも知れません。直前の溝ですね。
そして、実際に「やる」と結果が返って来ます。それが思わしくないと、打ちのめされて、「失敗だ」とあきらめたくなります。あるいはうまくいって有頂天になって次に改善をする事ができなくなる場合もあるかもしれません。
どちらの場合も直後の溝ですね。
まとめ
何についての「しる」「できる」「やる」かによって、異なるかも知れませんが、この3つの間の関係と落とし穴のような溝について考えました。
あなたが今取り組んでいることについての「しる」「できる」「やる」は、どのようでしょうか。
落とし穴のように横たわる溝を避けながら、上昇らせんで良い成果を出しましょう。
孤軍奮闘こそが最も大きな落とし穴なのです。どうぞ、ふさわしい助けを得て下さい。
長くなりましたが、最後までお付き合い下さりありがとうございます。