汎リズム論:宮本武蔵「五輪書」、中村雄二郎「問題群」
私が仕事をするうえで、リズムとか拍子を意識するようになったのは、宮本武蔵の「五輪書」を読んでからだった。
それまでもバイオリズムというのはよく言われてはいたし、自分の仕事を進めるうえで、直感が働く時間帯や論理的に思考ができる時間帯、あるいはルーチンをタンタンとこなせる時間帯など、時間帯と特性を把握して1日の仕事のスケジュールを考えるべし、というのはいろいろな人が言っていた。
しかし、たいていはそのリズムは自分自身のリズムの話であり自分の生産性を上げるため、あるいは自分がより快適にハッピーに暮らすため、という文脈であることが多いように思う。
その昔、五輪書を読んではっと気が付いたのは、相手にだって、関わりのある周りの人にも、他人にも、そして社会にだってリズムがあり拍子があるということだ。
ここで言うリズムと拍子という言葉は中村雄二郎が「問題群」3章において、L・クラーゲス『リズムの本質』を参照して区別するところにならって区別している。すなわち、リズムが一般的な生命現象を言い、拍子は人間によって作られる、整えられた働きだ。人間が感じるリズムは身体に深く結びついたもので、心臓の鼓動、眠りと目覚め、空腹と食事、といったあらゆる身体的活動がリズムを持っている。そしてこちらのほうが根源的なものと考えられる。
拍子は人間の様々な活動を律するものと考えることができる。音楽や踊りはもちろんそうだし、生活の場でもそうだ、そして特に仕事の場においては、それぞれのプロセス固有の拍子があることは、振り返ってみればわかることだろう。よく「仕事のリズム」ということがあるかもしれないが、リズムと拍子を上のように区別するならば「仕事の拍子」と言ったほうがよいだろう。
五輪書で宮本武蔵はこう書いている。
まとめてみると以下のようなことだと思う。
・目に見えないもの(空なる事)も含めてどのようなこと(物毎)に拍子がある。
・芸事、武芸においても拍子がある。
・立身出世において上昇する拍子もあれば転落する拍子もある。
・世の中の情勢に合う拍子もあれば、合わない拍子もある。
・商人でも金持ちになる拍子もあれば、身を持ち崩す拍子もある。
・このように物事が栄える拍子もあれば衰える拍子が何事にもあることをよく認識するように。
さらに続けて次のように書かれている。
ここで強調されているのは、まず、拍子を合わせることを基本に、間合いやズレも含めてしっかり認識すること、そのうえで相手の拍子をよく認識してその虚をつくことで勝つ、ということだ。そこには単に根源的なリズムに乗るか乗らないかだけではなく、意識的に拍子を作ることが重要だと書かれている。
だから「鍛錬なくては及びがたき所」になる。
自分の自然のリズムをつかんでそれにしたがって自分の生産性をあげるようにチューニングする、というのはまず第一歩だ。当然、仕事には相手もあるし、社会の中で生きている。だから、周囲の人や社会の拍子を知り、それに合わせたり逆をついたり、空をついたり、などが大事になってくる。そのためには意識して拍子を整えることを知り、拍子を変えることを覚え、自由にコントロールする鍛錬が必要なのだ。
さて、リズムと拍子があれば、共振があり共鳴がある。そこに響きが生じる。不協和音もあれば協和音もあるし、不協和音だからといって必ずしも悪いことはない。むしろ自由な拡がりを許すには不協和音も大事なのだ。
そしてリズムと拍子は時間軸だけではない。3次元空間にもリズムと拍子があることは、景色をぼんやり見ていてもわかることだろう。都市の景色にせよ、自然の景色にせよ、そこにはそれぞれ独特のリズムがあり拍子がある。
だから五大にみな響きあり。五大とは地・水・火・風・空のことだ。拍子は認識によって生まれ、そこにも共振があり響きがある。五大に識を加えて六大ともいう。だから、六大にみな響きあり、というほうがより私の感覚には合っている。そのことは「問題群」にも触れられている。
「身体と心が分かち難い」ということを考えたときにリズムと拍子が身体と心を結びつける根源的なものではないかと思った。あるいは生命と物質について考えたときに、あるいは自分が自然と人間社会の中に投げ込まれた身体を持った自分だということを考えたときに、そしてこの世を渡っていくために、リズムと拍子を意識することが大事だと認識したのであった。
それは心と身体を結びつける鍵でもあり、自分と周囲、あるいは私と社会を結びつける鍵でもある。そして、内と外、主体と客体を乗り越える根源にリズムがあるのではないだろうか。
私達の生命活動の根源とも言えるリズム、私達人間が作り出す拍子。そして、響き。興味はつきない。