人に合わせないと愛されないという呪い
Netflixで2023年8月15日まで配信されていたピッチ・パーフェクト。
数年ぶり多分3回目の視聴だったのだけど、人生の棚卸しをしているせいか、一層自分と重ね合わせて観ているところがあり、なんだかnoteに残しておきたくなった。
※内容についても触れております。ネタバレにご注意ください。
あらすじ
わたし×映画
大学生の頃の情熱は?
自分の意に反して大学に入学したベッカ。
大学教授の父に、大学は素敵な経験ができる、最初から拒絶するな、楽しめと説かれるも、私は音楽を作りたい、DJになりたいと一点張りをする。
このシーンを見て思い起こされたのは、大学生の頃のわたし。
わたしには彼女のように夢中になれるものなんてなかった。
もちろんそれなりに大学生活を楽しみ、良い日々を過ごしたとは思う。
しかし一方で、わたしが何が好きか、何に情熱を燃やすのか以前に、そもそもわたしというものがなく、嫌われないように、周りに合わせるのに必死だった。
人に合わせないと愛されないという呪い
大学生の頃のわたしは劣等感が強く、ちゃんとしなきゃという強迫観念を抱え、ありのままの自分を否定していた。
周りが望む子にならないと愛されない。
いつの間にかそんな呪いを自分にかけていた。
わたしが大切にしたいと感じる、ありとあらゆる人間関係に対してそうだったと思うけれど、たくさんの洋楽が盛り込まれているこの映画に絡めて振り返ってみようと思う。
例えば、大学生の頃付き合った彼は、洋楽を聞かない、洋楽に否定的な人だった。
だから、わたしも洋楽を聞かなくなった。
彼は洋楽を聞かない。
本来は、ただその事実があるだけだ。
彼が洋楽を聞かなくても、わたしは洋楽を聞いて良いし、洋楽を好きだって良い。
彼は洋楽を否定しているだけで、わたしを否定しているわけではない。
それなのに、まるで洋楽が好きなわたしまで否定されたように感じていたのだ。
洋楽が好きなわたしじゃ彼に嫌われてしまう。
そんな思考に取り憑かれてしまった。
だから、洋楽を聞かないという選択をした。
こうして、本来結ばれなくてもいい物事が結ばれ、自分の行動が変わっていった。
音楽に限らず、体型やファッション、髪型やメイク、付き合う人、趣味、生活、あらゆるものごとが影響され変わっていく。
好きな人に好かれたい。
そう思うこと自体は自然なはずなのに、本来のわたしらしさをねじ曲げ、勝手に周りが望んでいるであろう自分像を作り上げていた。
本来のわたしのすきなもの
そんなわたしがこの映画に出会ったことで、挿入歌に懐かしさを覚えたり、メロディーや歌詞に魅かれたりして、洋楽を好きだったわたしがひょっこりと顔を出した。
この映画が、誰かに合わせない、本来のわたしの好きを思い出させてくれたのだ。
音楽という括りで考えても、今のわたしは洋楽も邦楽もポップスもロックもR&BもジャズもEDMもクラシックも、軽く1,000は超えるという様々な音楽のジャンルをその時々の気分に合わせて楽しんでいる。
また、元々のわたしは割と原曲至上主義だったけれど、アレンジやミックス、カバーやアカペラもこの映画に触れたことで楽しめるようになった。
薄まった呪い
現在のわたしは、音楽に限らず自分にかけた呪いが薄まっている状態だと思っている。
もしかしたら、また呪いが強まる日が出てくるかも知れないけれど、そんな時に思い出せたら良いなと思うことがある。
まず一つ目は、誰かの好きに染まることで、自分の世界が広がるということ。
自分一人では知り得なかった世界に出会えたり、新たな体験ができる。
もしかしたら好きになるかもしれないし、好きにならないかもしれない。
でも、誰かの好きを知ることで、きっとわたしの感情が豊かになる。
二つ目は、好きな人の好きを尊重できるわたしでありたいということ。
誰かと好きを共有できるのも嬉しいけれど、たとえ分かり合えず共有することができなくても、否定せずに尊重したいのだ。
それは自分から相手に向けた矢印だけではなく、相手から自分に向けた矢印もそうで、誰かの好きを尊重しすぎることで、自分の好きを疑ったり、自分を否定することがないようにありたい。
それに、無理して好きなものを合わせても、結局うまくいかない。
きっとバランスなんだろうな。
人を拒絶してしまう
とは言っても、人と向き合うというのは簡単なことじゃない。
大学生の頃のわたしは、人に合わせないと愛されないという呪いを自分にかけていながら、誰しもに合わせるわけではなく、時と場合によっては人を拒絶する面もあった。
映画の中でも、ベッカがベラーズや好意を寄せてくれるジェシーを拒絶してしまうシーンがある。
少しの時間が経ち、ベッカはジェシーに謝るが、このように問われ、次は自分が拒絶されてしまうのだ。
殻に閉じ籠り、みんなを拒絶する。
楽だけど孤独なその選択は、誰かを信じて傷ついた経験があるから起こることなのかもしれない。自分を守るためなのかもしれない。八つ当たりやイライラなのかもしれない。
しかし、映画を観ることで、好意を示す側の人の失望が見えたような気がした。
互いをよく知るためのシェア
仲間や彼が好きだけど、向き合いきれないベッカへ父はこう伝える。
どうしたいかが明確だったベッカは、父の助言を受けて自分勝手なアドリブや逃げたことをメンバーへ謝り、またべラーズの一員として活動したいことを伝えるのだ。
それから、べラーズのメンバー全員で互いをよく知るために、今まで言えなかったことを輪になって順々に打ち明けていく。
気持ちや意図、希望や、行動の裏にある背景も、自分の中に留めておくだけでなく、相手に言葉や態度で示す。
少し勇気が必要な時もあるかもしれない。
でも伝えること、聴くことで、確実に関係は変わっていけるんじゃないかなと思うのだ。
すべてをリニューアルした新生ベラーズはとても輝いていた。
夢中になれるものがある。
仲間がいる。
いつの間にかわたしも大きく変わったなと思えたのでした。
雑感
今回、色んなことを感じ、考え、振り返ったけれど、この映画を初めて観た時のわたしは、完全に娯楽と捉えていて、ハッピー!楽しい!気分上がる!みたいな感覚が強かった。
しかし、今回は映画を観ることで自分の過去を振り返り、自分を知って、自分と仲良くなる手段だったように思う。
その時々によって、ただ娯楽として楽しむことや、その世界観に没頭すること、こうして重ね合わせて自分を振り返ることなど、映画や読書との関わり方も幅が広いなと改めて感じられた。
そんなこともいつかnoteにまとめてみたいな。
今日もありがとうございました!