くーぴー物語②

さてさて、結構衝撃的なくーぴー物語①に続いて…人の人生色々あるな〜な、お話をしていきましょう!

前回は高校生までのくーぴーを紹介しました。その後…

くーぴーはずっと夢がありました。美容師です。なんとも女子らしい…これは小学生からの夢でした。髪をいじるのが大好きで、自分で髪を結んで行っていましたね。高校の時なんか、厳しい体育会系の部活に入っていたので、男子並みの短髪。そして部員の髪、切っておりました!笑 頼まれたので部室にて、切っていました!今考えると恐ろしいですよね。まあそのくらい美容師になりたくて、進学は美容専門学校を希望。しかも絶対東京!大好きな我が校の甲子園の予選応援を欠席して、見学もしました。ところが…くーぴー実は高校めちゃくちゃ成績が良かったんです。少し話がそれますが…くーぴー頭めちゃくちゃ悪いです。でも記憶力だけは長けているんですね。だからどんな科目も記憶力でいい点数とっておりました。ちなみに数学とか、現代文など記憶力で対処できない科目は先生にめちゃくちゃ媚び売って、成績あげてもらってました。笑 100点満点のテストで30点とっても成績は10段階でいうと9とかでした。高校で世渡りを学びました。笑 そんな成績優秀なくーぴーは進路について高校の先生(可愛がってもらっていたので、担任以外の何人かにも)大反対されたわけですね。商業高校だった為、条件良すぎる就職先を紹介してもらったり…大学を進められたり…そんなこんなで、そこまでしてくれる先生達に心動かされ、大学進学を決めます。でも行きたい大学もないので、親友(幼稚園からずっと一緒で、高校で別になるも真横にある高校に通う笑)に聞いたら、「〇〇にしようかなと思ってる〜」ってことだったので、じゃあ私もそこにしようって感じで指定校推薦の希望出したら…まあ通りますよね。笑 それでさらさら〜と受験して受かって、さあ大学生へ!って時に父逮捕されるんですけどね。笑

それでも母はすごいんですね。一文無しの状態なのに、しっかり入学金を支払って大学に送り出してくれます。母恐るべしです。

まあ、兄が都内で仕事をしていた為、経済面など考え一緒に住むんですけどね。(これよく驚かれますが…めちゃくちゃ仲良いです。)そうして大学に通いますが…くーぴー1年で大学辞めます。笑 母に泣く泣くのお金を払って入学させてもらった大学辞めます。本当に親不孝者だと思います。だけど私はこの選択に今でも後悔していません。

辞めるきっかけになったのは、アルバイトです。何を隠そう、アルバイトがめちゃくちゃ楽しかったんです。ちなみにアルバイトしながらもしっかり単位をとって、テストでの点数も優秀でした。アルバイト経験は豊富な方でしたが、そこは飲食店のオープニングスタッフ。神奈川や東京に数店舗ある居酒屋さんでした。そのオープニングメンバーがすごく楽しくて、夜な夜な遊んだり、飲みに行ったりと(19…?笑)大学で過ごす時間よりバイトの時間の方が楽しかったんですね。そこで知り合ったマネージャーがこれまた私のどタイプで!仕事もできて冗談も言うのに、なぜか皆んなから怖がられる存在。いますよね、職場に1人は。いや、職場にはそういう人が1人は絶対に必要だと私は思っています。理由は上手く説明できないけど、経験上。笑その人は大学を中退していて、その話しを少しだけしてくれたんですね。それから、こんな楽しいバイト先に通いながら、刺激を受ける上司がいて、大学行く意味わからない!早くやめて働いた方がいい!(完全に学生が社会人の大変さをわかっていないパターン)って思ってしまったんですね。

よく「大学は社会勉強だ」と母も言っていました。その意味もわかりました。でも私には1年で十分だったんですね。それか両親に「辞めるね。」と伝え(何度も言うけど、親不孝者)そんな私に両親はなんて言ったと思いますか?一応理由を聞かれ、上記のように正直に答えると、あっさり承諾。ただ「アルバイトはすごく大切な経験になるけど、また社員とは違って責任のない立場だから楽しめる。そこは勘違いしてはいけない。」とボソッと両親のどちらかが言っておりました。そんなこんなで大学中退が決まり、中退の決め手になった楽しいバイト先にいながらも…

はい、末っ子の甘ちゃんですよね。都内で1人で仕事する勇気もなく、実家に戻って働くという事を選択したんですね。しかも父の紹介された職場で。全く興味のない職種だったけれど、これがまた私はすごく楽しくて、ハマってしまいました。介護職です。大学中退の飲食店アルバイトから介護職?と意味のわからない経歴ですが…認知症の施設に送り込まれた私は、毎日は非日常で…すごく楽しかったんです。認知症の方ってその家族の方が苦労されたり、忘れられてしまって悲しい思いをしているという…なんとなく可哀想だなというイメージが強いかと思います。でも私は介護職を通して、認知症の人へのイメージは、「なんてファンタジーなんだろう!」「なんて素敵な発想をしているんだろう!」といった明るいイメージです。もちろん、相手が認知症とわかっていながらも、ひどい事を言われたり理解してもらえず家に帰る途中の車の中で大泣きした事もありました。それも全部素敵な思い出で、良い経験をさせてもらったと本気で思えます。そんな天職とも言える職業を離れることなります。(完全に会社側の原因です。7年後の今、全国放送でニュースになっているような会社です。笑)その後当時の上司から、他で一緒にやろうと何度もお誘いがありましたが断ってきました。理由としては、自分が辛いからです。弱いからです。どんな形であれ、一緒に生活(私は介護とは思っていなかったので、そういう表現をします。)していた人とお別れするのが辛すぎたんです。亡くなられたり…会社都合で離れることになったり…そういうのを何度も乗り越える強さが私にはなかったんですね。その点、私は今でも1人だけ尊敬できる強さを持っている人がものすごく近くにいます。その人は私の人生において、お手本であり絶対になれない憧れの存在です。そんな人が近くにいることが私の誇りです。

いつも通り、何が言いたいかわからないnoteになりましたが、21歳くらいまでのくーぴー物語でした。

そういえば昨日くーぱーに、躁鬱やん!と言われたくーぴーです。笑 最近の自分を見直して眠りたいと思います。おやすみなさい⭐️


いいなと思ったら応援しよう!