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Recoの君語りー『光る君へ』(第3回)「謎の男」ー

 主人公は紫式部。 平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性。彼女は、藤原道長への思い、そして、秘めた情熱とたぐいまれな想像力で、光源氏=光る君のストーリーを紡いでゆく。
 変わりゆく世を、変わらぬ愛を胸に懸命に生きた女性の物語。(NHK)

自分のせいで放免に捕らえられた道長(柄本佑)を心配するまひろ(吉高由里子)。しかし、父の為時(岸谷五朗)に謹慎を強いられたため、ただ案じることしかできない。兼家(段田安則)の指示で道兼(玉置玲央)は女官を使って帝の食事に毒を仕込み、円融天皇(坂東巳之助)は急激に体が弱っていく。政権を掌握するために二の手を打ちたい兼家は、ライバルの左大臣家の動向を探るため、為時を利用してまひろを間者として送り込む。

NHK


【家系図】

【紫式部の家族(ドラマの設定)】

 前室・藤原為信の娘:ちやは。紫式部が9歳?の時に殺害される。
   ┣長女:ドラマには登場しない。
   ┣次女:まひろ。紫式部(970 -?):このドラマのヒロイン。
   ┣長男:太郎。藤原惟規(971? -1011):越後国で死去。享年41。
 藤原為時(越前守→越後守)
   ┣次男:藤原惟通(979? - 1020)ドラマには登場しない?
   ┣三男:定暹(980? - ?)ドラマには登場しない?
   ┣三女:藤原信経室 ドラマには登場しない?
 後室・詳細不明 ドラマには登場しない?

※ドラマでは藤原惟規が「たった2人だけの姉弟(きょうだい)」と言っており、他の兄弟姉妹は登場しないようである。


【藤原氏(北家)】

藤原忠平┳実頼━頼忠遵子(円融天皇中宮)
    ┃     ┗
公任
    ┗師輔┳伊尹━懐子━師貞親王(後の花山天皇)
       ┣兼通
       ┣安子┳冷泉天皇(第63代)
       ┃  ┗円融天皇(第64代)
       ┗兼家┳道隆━定子(一条天皇中宮)
          ┣超子━居貞親王(後の三条天皇)
          ┣道兼
          ┣詮子(円融天皇女御)懐仁親王(後の一条天皇)
          ┗道長

※藤原氏(北家)は、娘を天皇と結婚させ、生まれた子の祖父として摂政、関白になり、政権を牛耳った(「摂関政治」)。

  藤原(北家)頼忠━次女・藤原遵子(じゅんし/のぶこ):皇后(中宮)
               ┣(無子)
           第64代・円融天皇
               ┣懐仁親王(第66代・一条天皇
  藤原(北家)兼家━次女・藤原詮子(せんし/あきこ)

・結果、藤原親忠の娘・遵子は男子を生めず、藤原兼家の娘・詮子は生み、藤原(北家)では、藤原兼家が力を得た。


【天皇家】

村上天皇(第62代)┳冷泉天皇(第63代)┳花山天皇(第65代):母・懐子
         ┃         ┗三条天皇(第67代):母・超子
         ┗円融天皇(第64代)━一条天皇(第66代):母・詮子

 冷泉天皇が退位した安和2年8月13日、安和元年10月26日生まれの花山天皇は幼かったので、成長するまでの繋ぎとして弟・円融天皇が即位した。成長した花山天皇が即位したが、藤原兼家は、天皇になれるはずのない円融系の孫・懐仁親王を一条天皇として即位させるために陰謀を巡らし、花山天皇を約1年で退位させ、一条天皇が即位すると、外祖父として力を得た。
 以後、冷泉系と円融系との皇位迭立が続いたが、円融系を父方、冷泉系を母方とする後三条天皇(第71代)の即位により、両皇統は融合された。


1.謎の男

 自分のせいで放免に捕らえられた(店の前で百舌彦の買い物を立って待っていた)藤原道長は、すぐに(藤原兼家のお気に入り・平惟仲によって)赦免されました。そうとも知らず、藤原道長を心配するまひろでしたが、フクロウの鳴き声を聞いて外に出ると、
「あの男は無事だ」
と「謎の男」に告げられました。
 最後に、この「謎の男」が、散楽を演じている直秀(毎熊克哉さん)であることが分かった時点で終了。次回「五節の舞姫」へと続く。

※看督長(かどのおさ):検非違使庁に属する下級の役人。牢獄の管理や犯人の逮捕を行う。

 もちろん、サブタイトルはダブルミーニングであり、まひろにとっては、三郎も「謎の男」のままです。


2.平安女子のお勉強会

【左大臣・源雅信(※まさのぶ)家】

  源雅信
   ┣次男・時通(965-?)
   ┣八男・時叙(寂源)(?-1024)
   ┣男子・時方
   ┣女子・倫子(964-1053): 藤原道長北政所
   ┣女子・中の君(?-1000):藤原道綱室
  藤原穆子(ぼくし/あつこ。藤原朝忠の娘)

※ドラマのように「まさのぶ」と誤読されたのは、江戸時代の『寛政諸家系譜』以降であり、正しくは「まさざね」と読む。

(1)赤染衛門

 丹波守の北の方をば、宮、殿などのわたりには、匡衡衛門とぞ言ひはべる。ことにやむごとなきほどならねど、まことにゆゑゆゑしく、歌詠みとてよろづのことにつけて詠み散らさねど、聞こえたるかぎりは、はかなき折節のことも、それこそ恥づかしき口つきにはべれ。ややもせば、腰はなれぬばかり折れかかりたる歌を詠み出で、えも言はぬよしばみごとしても、われかしこに思ひたる人、憎くも、いとほしくもおぼえはべるわざなり。

(式部大輔正四位下兼文章博士侍従丹波守・大江匡衡(おおえのまさひら)の正室を、(おしどり夫婦として知られており、その夫婦仲により、)宮(中宮彰子)や殿(藤原道長)の周辺では「匡衡衛門」(まさひらえもん)と言っている。この方の和歌は、「特に優れている」と言う程ではないが、実に風格があり、歌人として、様々な場面で、軽々しく詠むようなことはないが、知る限りでは、ちょっとした折節のことも、それこそこちらが恥ずかしくなる(程、上手に)詠むそうです。(この匡衡衛門程の力量が無い人が)ややもすると、腰(和歌の第三句)が離れそうになる程、折れかかった(下の句と離れた)「腰折れ歌」に近い歌を詠んでおいて、言いようのない「由ばみ事」(上品ぶって気取っていること、風流ぶっていること)で(したり顔をして)「私はすごい」と思う人がいるが、(「身の程知らず」だと)憎らしくもあり、また気の毒だとも思う。)

※腰折れ歌:和歌の第3句と第4句との接続がうまくない下手な歌。

『紫式部日記』

(2)「偏継ぎ」

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