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【ハンドクラフトも猟師のたしなみ】シカの一本角で印鑑をつくる 北尾トロ
一本角をそのまま生かした世界でたったひとつの印鑑
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ある日、『狩猟生活』VOL.5で取材した大分県玖珠郡のジビエ料理店「樂樂」の首藤正人さんから郵便物が届いた。開封するとシカの短い角でつくった印鑑が入っていた。首藤さんの自作で、プロ顔負けの出来栄え。実印登録もできるという。特徴は、切ったり折ったりせず、角を丸ごと使ってつくられていることだ。
オスのシカは生まれた翌年に小さな角が生え、2年目にはひとつ枝が付いたものが生える。
それ以降は年齢とともに枝を増やしていく。また、角の中は空洞になっているので、途中で切ったら印鑑はつくれない。つまり、この印鑑は通常1〜2歳のシカからしか取れない一本角を根元から使った贅沢な作品なのだ。シカの角というと、大きくて左右対称のものが良しとされがち。これは逆転の発想だなあ。
さっそく押してみると、開運書体の鮮やかな〈北尾トロ〉が。
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工芸品としても実用品としてもレベルが高い
う〜ん、これは凄い。「樂樂」の入り口横には、ギャラリーのように首藤さん自作のシカの加工品が展示されている。シカの角を柄に使ったナイフも見せてもらったので、手先の器用さは知っていたが、印鑑の文字まで操ってしまうとは……。つくり方は独学でマスターしたという。
「肉を食べるだけではなく、獲ったものは角も皮も使い切りたい気持ちがあるんですよね。一本角は飾り物には向かないと捨てちゃう人が多いけど、何か利用できないかと考えました」
根元は頭蓋骨の一部だから硬い。まずは表面を削って立つようにしてから、印鑑らしい丸みをつけ、文字を下書きして彫刻刀と削り機で彫っていく。それが終わるとつや出しニスを2〜3回塗って陰干しし、試し押しをして完成。
「画数の多い名前は彫るのが大変。老眼との闘いです(笑)。一番難しいのが縁の円。これを失敗するとすべて台無しで彫り直しになります」
僕の印鑑は1カ月かけてつくったそうだが、全国の印鑑業者は象牙に代わる素材としてシカの一本角印鑑を考えてみてはどうだろう。世界にひとつだけのシカ角印鑑だけに、全国のハンターたちに需要はあると思う。
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獲れたらストックしておき、つくりたくなったら取り出す。
狩猟で得られる恵みを最大限に生かそうとする首藤さんのポリシーが感じられる逸品。
独特の模様が美しい。
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角をスパッと切って文字を彫ることで、押したときに独特の模様が現れるのが特徴
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大分県九重町にある郷土料理店「樂樂」の店主。狩猟シーズン中の秋~冬は自ら捕獲したイノシシやシカ、鳥類などを提供し、 夏はスッポンやウナギなどを捕獲する/
所在地:大分県玖珠郡九重町大字菅原739-218/定休日:不定休
※当記事は『狩猟生活』2020VOL.6「シカの一本角で印鑑をつくる」の一部内容を修正して転載しています。
Profile
きたお・とろ/1958年、福岡県生まれ。ノンフィクション作家。2010年、ノンフィクション専門誌『季刊レポ』を創刊、2015年まで編集長を務める。2012年、長野県松本市に移住、翌年第2種銃猟免許を取得し、空気銃猟をはじめる。2020年から埼玉県在住。最新刊に『人生上等! 未来なら変えられる』(集英社インターナショナル)がある。主な著書に『猟師になりたい!』『猟師になりたい!2 山の近くで愉快にくらす』(角川文庫)、『猟師になりたい!3 晴れた日は鴨撃ちに』(信濃毎日新聞社)、『夕陽に赤い町中華』(集英社インターナショナル)、『犬と歩けばワンダフル』(集英社)、『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』『にゃんくるないさー』(文春文庫)など多数