ただ「いる」ことの難しさと大事さ/東畑開人『居るのはつらいよ』を読んだ
たまたま教えてもらったこの本。自分が何年間かもやもやしていたことを言葉にしてくれた気がした。何枚もふせんを貼りながら読んだ。
その人はよく「誰も助けてくれない」 と言っていた。
自分はその度に、何か助けになることをしなければ、という「する」ことにフォーカスして考えて行動し、結局無力だなと感じていた。
自分は医師でも、セラピストでもなく、カウンセラーでも、薬剤師でもない。何の専門家でもないから、相手に対して私が何をしても根本的な解決には繋がらないし意味が無い、といつしか諦めていた。
時には聞きかじりの知識でカウンセラーの真似をしようとしたこともあったけど、うまくいっている感じはなかった。
うんうんと相手の話を聴くこと、ただそれだけすら難しかった。
けど、自分が相手に対してやれることはセラピーではなくケアでは?ということに、この本で気づけた。
そもそも「相手の課題と自分の課題を分けて考える」ということはカウンセラーさんに教えていただいていたので、相手の課題を自分がどうにかするという考えからは卒業していた。
けれどその後、「自分は相手の傍にいるけど何もできないのだ」という大きな壁を作ってしまっていたので、その先に踏み込めていなかった。
本を読んだことで、相手が安心して「いる」ことができる場所であることそのものに意味があるのかな?と思えた。
言葉にしてみると当たり前すぎるように見えるけれど、実際の場にいるとそう思えないことの方が多かったから、本として形になっていることで救われた。
また、この本で初めて知った言葉に「アジール」という言葉がある。
思い返してみると、記憶の色々な場面で自分にとってのアジールが存在していたなと思う。
中高生のときは家が苦手だった代わりに音楽室に通っていたし、大学生のときも薄暗い部室や学部棟の端っこなどが自分にとって逃げ込める場所だった。
逃げ込める場所であり相手であること、それそのものが大切であるということを忘れないでいたい。