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自己肯定感どん底から復活したけどペラ服でも着ます
安っぽくてもだってこの服デザインが、色が、とても好きだから。
自己肯定感どマイナスだったけど、生き返りました。
それでも私はお気に入りのTシャツ短パンなら大切な人をお家に呼べる。
相手が過ごしやすい環境にしたいから(これはおもてなし)片付ける。
花は飾らないかな…?
私も昔は自撮りネットに自ら晒しあげ
可愛いと思ったら5万のワンピースを買い
友達をガンガン家に呼び暮らしていました。
けど私は24歳くらいからじわじわと時間をかけて
じっくりと自己肯定感を失って行きました。
1番どん底までたどり着いたのは娘が1歳の頃かな。
ここに書いてる人付き合いのトラブルもほぼ
その頃に起きたものです。
これだから自己肯定感がマイナスってヤバい。
全てが崩れていく悪循環しか起こらなくなるのよ。
他人にも結果として迷惑ばかり掛ける。
不愉快な気持ちにばっかりさせる、最悪ですわ。
じゃあまず、何で自己肯定感はどん底まで向かったのか。
「私なんか」ポイントがカードに沢山貯まったイメージです。
ポイントは貯まる事に伴い自己肯定感を下げていくイメージ。
1ポイント貯まれば5自己肯定感は下がる、みたいな。
ひとつめ。
私は23歳から27歳まで既婚者とお付き合いしてました。
というかお付き合いなんて言っちゃいけない。
そもそも付き合い始めは知りませんでした。
途中で知ったけど別れられませんでした。
所詮こんなお付き合いにおける私はデートは夜中。
行くのはラブホか私の家。
そんなもんですよ、そんなもん。
それでもそれを幸せだと思っていた。
雑に扱われていることに慣れて気付かなくなってたし。
誰にも言えない恋愛。
誰にも紹介できない相手。
今から思うとめちゃくちゃ雑に扱われていたけど。
そしてその雑に扱われることに慣れた私は
少しずつ自分でも自分のことを雑にしか
扱わなくなりました。
「私なんか」ポイントが貯まりました。
ふたつめ
不妊治療を始めるまで。
結婚して、それでも長年子どもには出会えませんでした。
結果として男性不妊が原因にありましたが
その結論にたどり着くまで
後から結婚した友人たちがどんどん家族を増やして
「佐藤ちゃんとこも早く作れば?」
「こどもいると楽しいよ!」
それを夫にぶつけても夫はどこかで私に
問題があると思っていてそういう態度だし
義実家もそう、なんなら実家もそう
そしてここでも「私なんか」ポイントが貯まるわけです。
みっつめ
不妊治療期間中。
した事ない人にはピンと来ないかも知れませんが
男性不妊だったとしてもクリニックに
足繁く通うのは女性の方で
痛い注射も気の進まない内診も全部女性。
体外だったので採卵もしましたが
その痛い思いをするのも私、私、私。
全部私だった上に、男性不妊だから
自分が苦労してクリニックで痛い思いをしても
どこかで責任感じて凹んでる夫には言えないし
それを普通の顔して平気なフリでやり過ごすうちに
また「私なんて」ポイントは貯まりました。
よっつめ。
出産日が超過した。
予定日近くから色んな親戚知人から
「まだ?」と悪気ない連絡。
当時はマタ垢にどっぷりで、同じくらいの人が
どんどん産んでいく、なんなら私より予定日遅い人も。
また「私なんか」ポイントが貯まります。
いつつめ。
緊急帝王切開になった。
病院で同じ日に4人、同じタイミングで
促進剤によってお産をすることになってました。
4人カーテンで仕切られただけの空間。
私だけ最終的に緊急帝王切開になりました。
同じ日に産んだ人が次の日には赤ちゃんを抱っこしてる中
私だけ帝王切開の傷を抱えて新生児室に行くのがやっとでした。
落ち込み、また、そう言った流れから
母乳も全くダメで、入院中の授乳室でも落ち込み。
「私なんか」ポイント、大量ゲットです。
むっつめ。
SNSで上手くいかなくなってきた。
いつつめ、の件でかなり子育てに対して
私はダメだ、の気分が深まったために
SNSでもトゲトゲした発言が増えてきてしまって
なんとなく話してた人からブロックされたり
またやらなきゃ良いのに自己肯定感が低いからこそ
いちいちフォロワーチェックアプリを入れて
ブロックした人の事確認したりしていました。
「私なんか」ポイントを自分で倍増キャンペーンです。
ななつめ。
実際にSNSから会った人がみんな眩しかった。
そんな自己肯定感が低い部類の私とも
会ってくれた人たちはみんな自分に向き合って
キラキラしている人が多数でした。
私はといえばヨレヨレの服を着て、ボサボサの髪。
ただ、その頃はもう自己肯定感が低いからこそ
自分なんかが自分の気に入る服を買っても仕方ない。
美容院なんか行くだけ金と時間を無駄にする愚行…と思ってるから身綺麗なわけもないけど。
自己肯定感がなくなっていくとほんとこういう感覚なので。
「私なんか」ポイント、自爆GET。
やっつめ。
子育てに自信がなかった。
SNSで他の人が他の人の子育てを見習いたいとか褒めたりする度に
プロ目線の話をツイートで見かける度に自分の子育てとは
全く違っていて、私はダメな子育てしてるんだろうなと
(別に誰にも言われてないよ!勝手な自己暗示!)
思い込んで「私なんか」ポイントを着実に貯めました。
今のところこの流れで完全に自己肯定感はどん底にたどり着いたと思っています。
更にタチの悪いのは、ポイントが増えていけば行くほど自分に対しての「自分なんか」が大きくて
悪循環の雪だるま。
自己肯定感が低いと無意識に
周りからも雑に扱われます。
自分のことも雑に扱います。
周りが自己肯定感低い人を雑に扱うのは
わざとでも何でもなく、悪気もないです。
例えば毎回相手が遅刻して来たとして
自己肯定感が低い時の私はただ待ち合わせ場所で
ボーッと待ってたりします。
そして相手が遅れてやって来ても
「大丈夫、今来たところだよ」などと言ってました。
今なら「何時につく?先に喫茶店に入ってるね」とか返すんですが。
まあそういう事です。
自分の中でモヤモヤとしたとしても「大丈夫、私なんかに対する扱いはそれでOK」ということを
自分で周りに広め回ってしまっているわけで。
だから別に私のことを無意識に雑にした人たちも
そうしたつもりないし
私がそれでモヤモヤとしたなんて思うわけもないし
なんなら佐藤は許してくれるから大丈夫という
印象だけを与えていって私は私で
「私なんかと会ってくれるだけで最高なんだからこれ以上は望んだらお門違いなのよ!」
となる訳です。
日々の積み重ねが自己肯定感をどん底に。
そしてその頃の私はまさしく自分を大切にしませんでした。
それは最近見たTシャツで過ごすとかそういうことじゃなく。
自分が可愛い、素敵と思ったものほど絶対手を出さないんです。
私なんかがこれを買っていいわけがない、手にしちゃいけない。
何年も前に買って言ってしまえばもう趣味じゃない服とか
とりあえず家にあるもの着ておけばどうにでもなるやろ、ってなるんです。
スキンケア?ドラストですら買わない。
そう、全くしない。石鹸で洗うだけ。
それも自分のためにとかではなくて
とりあえず子どもと触れ合うのに不潔だとダメよね、位の感覚。
そして私とお付き合いしてくれる人間関係全てに
「私みたいなゴミと話してくれるなんてみんな神様だね…」くらいの気持ちでいるからこそ
逆に相手に対して不快感を与える態度や発言も増える。
私なんかが話しちゃダメだと思って複数で集まってても黙る。
私なんかが行きたい場所言うと烏滸がましいと思って「どこでもいい」と言う。
もう全部そういうことの繰り返し。
積もり積もってストレスになって
自分のひとりごとだと思ってるTwitterでだけは
グチグチプンプンしてみたり
でも実際話すと「私なんて」の繰り返し
ブロックされる度に「私なんて嫌われるよね」と思い
じゃあいっそ嫌ってくれと悪臭振りまく感じ。
自己肯定感のどん底の感覚って凄いやばいの。
自分が自分の首絞めて尚且つそれで周りにも迷惑かけて不快感を共有させてしまう感じ。
どこかで同じような自己肯定感の低い仲間を探したくてウロウロしてるから余計に感じ悪い。
じゃあどうやって自己肯定感取り戻したの?ってことだけど。
明確には分からないけど、とりあえず自己肯定感どん底で
勝手に「私なんかが人付き合いしたら迷惑」と
SNSのアカウントを削除して
約束してたことも「私なんて合わす顔がない人間なんで」と断って全部なしにして
そこからアドラー心理学系の本を数冊読んで、自分と自分の周りを少しずつ考えるようになった。
自己肯定感低い人ってある意味
自分のことしか考えていないのです、全部自分軸。
それを辞めた。
自分の取る言動が相手にどう受け取られるか?
という社会で当たり前なことに実に10数年ぶりにきっちり向き合ったかな。
自分のこと、好きでいて欲しいからこそ、自分のために自分を大切にしなきゃと思ってきたんですよね〜。
不快な人間でいると嫌われる、当たり前。
じゃあ不快な人間にならないようにしたいな?って思ったのが自分を大切にする第一歩だったと思う。
嫌われて当然、私性格悪いんだよ、って言えてしまうのは自己肯定感が低いからこそ。
好きだと言ってもらいたいなって望みは自己肯定感を持たないと思えない。
自己肯定感が少しずつ芽生えてきたら「どうせなら会った人には好かれたい」と思ってきた。
その頃復職もして、仕事相手にもそういう気持ちで
仕事でも不当なことを言われたら自分が大切だからこそ
「その言い方は少し厳しいです」
と相手にも伝えることが出来るようにもなったし
伝えたら案外相手も「それは失礼した」
と言ってくれる人が多いことにも気付いた。
そして自分が可愛いと思うもの
ときめくものを自分に買いたいと思うようになった
それは決して高級だから、とかじゃなくて
自分が可愛いと思ったものを自分が持つことが
気にならなくなったんだよね。
気分が上がるから買ってあげよう、私に、って思える。
値段じゃなくて、ものの質でもなくて。
自己肯定感低い時は
ほんとどんなに安くても自分が可愛いと思ったものほど買えないからまじで。
私的には自己肯定感あげるのは
自分のことを客観視して自分の好きが
自分にあるかどうかを考えてから
少しずつ出来ることから足し算してあげることだと思う
それが可愛いものを買うでもいいし
髪を綺麗にしてみるでもいいし
嫌だなここ、って所を少しずつ潰していく
そう思う気持ちを持つことやなぁと
自分を振り返って思う
今は私は自分のこと好きだし
今やってるSNSでも相手の反応とか気にせず
自分の楽しかったなとか嬉しいなを
沢山書いて、それでまた更に自分って
良い毎日過ごしてるなって思ってる
たまには愚痴もあるけど、それも人間だもの!
って愚痴を言う自分のことも認めてる
ただ愚痴ばかりだと自分で自分のこと
見苦しく思うから、そうならない範囲で…
うまくまとまらないけど
自己肯定感を下げる積み重ねと
逆の思考や言動をすることが自己肯定感を取り戻すに繋がったなってお話でした!
自分のこと1人の人間として自分がきちんと向き合ってあげることが大切にする第一歩泣きがしたよ!