
それは誰にとっての”べき”なのか
こんにちは。とあるベンチャー企業でひとり人事をしている朱夏です。
今日から8月。今年も残すところ5ヶ月ですが、
皆さんにとっては「まだ5ヶ月ある」それとも「もう5ヶ月しかない」
どちらの方が感覚として近いでしょうか?
私はどちらかというと「まだ」という感覚で、ゆったり構える心持ちができてきたのですが、今年の序盤くらいはその正反対でした。
常に何かに追われていて、常に誰かが自分に対して否定的な目を向けているように感じていて。周りはみんな輝いて見える一方で、今の自分ではまだ足りない。でも何が足りないのかわからない。でも足掻こうとすればするほど苦しくなっていって、
という感じの負のスパイラル真っ只中でした。
今思えば、単純に自粛モードと不慣れなリモートワークによる情緒不安定だったのですが、私のような思考の負のスパイラルは誰にだって起きるし、特に新卒採用や会社人としての働き方においては否が応にもぶつかる壁だなと思います。
ということで、今回はここ最近で起きたいくつかの事象を絡めて、最近思っていることのお話です。
いきなり「お前は何者か」を問われる新卒一括採用
今日、1人の学生さん(仮にAさんとします)とZoomで面談をしました。
大学4年生で、行きたい業界があって、20社くらい受けたけど全て落ちてしまったと。
どうしてその業界に行きたいの?とか、やりたいことはどうしてもその業界でないと実現できないの?なんかを聞いていくと、
ふとAさんが「よく『原体験を考えろ』と言われるけど、私にはこれといった原体験がない」と仰ったんです。
これは完全に私個人の考えですが、人間誰にだって自分の転機や大きなきっかけになるような経験は存在すると思っていて、「ある/なし」ではなく「気づく/気づかない」の問題だと思っているんです。
しかも、それが就活中に気づけるかって言ったらそうじゃない人だって大勢いる。だから、Aさんも原体験が「ない」のではなく「まだ見つけられていない」だと思いますよ。
って言ったら、Aさんが泣き出してしまって。
その時に「しまった」って思いました。
涙の理由を明確に聞いていはいませんが、おそらくは私の発言はAさんを責めてしまったんだなと。
過去に会った人事の人やエージェントの大人とはまた違うことを言っているもんだから、
原体験を探せ←→いいや、原体験は今すぐ見つかるもんでもない
というダブルスタンダードに見えてしまって、もはやどうすればいいのかわからない…という心境にさせてしまったのではないかと猛反省しました…
(Aさんについては「また何かあったら相談してくださいね」で終わりましたが、本当に申し訳なかった…)
今後はジョブ型だ何だと言われており、一つの組織に長くいることも、1つの組織でだけ働くこともナンセンスになっていきます。
そういった世の中の変化にあっては、自分が何者であるかを言語化して人に伝える力も、暫定版でもやりたいことを自分の中に持っておくことも、必ず必要になっていきます。
なのに、義務教育中は「言われた通りにやれ」の一辺倒で、社会人になろうとした途端に「で、お前は何者で、何がしたいの?」と問われる。
しかも、何者であるか、何がしたいかは人それぞれであるはずなのに、どこかに模範回答があるように見える。それに当てはまらないと内定はもらえない。
この歪な構造はこれまでもたくさんの方が異議を唱えているところですが、とうとうこのコロナ禍で無視できなくなってきているなと感じています。
「have to」になった途端、人は他責になる
先の話の学生さんの直後に、これまた別の学生さん(仮にBさんとします)とZoomで面談しました。
大学4年生で、某IT系メガベンチャーで内定をもらっていて、現在は採用イベント系スタートアップでインターンをしていると。
Bさんは、インターンを通して同学年の人と話す中で、自分にはない素晴らしいスキルや志向や価値観を持っているのに、自信を持って人に伝えることができない人が多いことがもどしく感じると仰っていました。
Bさん自身はバイタリティがあり、自信に満ち溢れた佇まいをしていらっしゃいました。聞くと、これまでの人生、好きなことを好きなようにしかやってきていない、と明るく話してくれました。
「have to」になった途端、人は他責になる
これは面談の中でBさんが仰った言葉です。
思わず、「なるほどなぁ〜」と唸ってしまいました。
先のAさんは就活が「have to(しなきゃ)」になっているから、うまくいかない時にその場にうずくまってしまうのではないかと。
Aさんも「〇〇がしたい」の思考パターンになれば、もっといろんな選択肢が出てくるし、今よりも生きやすくなるのではないかなと思いました。
(もちろん「就活したくない」だっていいと思うのです。でも、そうできないのは世間体として「就活しなきゃ」と思っているからだと思います)
人の成功パターンを見て「それやらなきゃ」は違くないか?
先日から聞き始めたvoicy。
『風呂敷「畳み人」ラジオ』がお気に入りでエンドレスリピートしているんですが、こちらの回でパーソナリティのお二人が仰っていたことが個人的に刺さりました。
自分とは違う基準で成功する人を見て「やらなきゃ」ってすると軸がぶれちゃう。プログラミングのスキルを獲得して活躍している人を見て「プログラミングやらなきゃ」って思ったりとか。
これを聞いて、自分が5月まで抱えていたモヤモヤと、どうしてそこから脱せたのかがはっきりしました。
キラキラしている周りの人と同じにならなきゃ、同じことをしなきゃと思っていたから苦しかったし、それを手放せたからこそ今心軽やかに過ごせているんだと。
ラジオでの印象的な言葉、AさんとBさんとの対話での出来事が全て繋がって、自分のここ最近の心情の変化が腑に落ちた気がしました。
****
人はどうしたって周りと自分を比べてしまうと思います。
誰かの成功体験を見て、同じようにならなきゃと変に焦ってしまうことも、余裕がない時は特に起きると思います。
そういう時は一歩立ち止まって自分に問うてみる。
人がそれをやって成功したからって、
その人と同じことして、私は本当に幸せになれるの?
「べき」ではなく「したい」で動けば、自分の周りはもっと生きやすい世界になると信じて、少しずつ考え方をシフトしていきたいと思いました。
今日はいつになく長くなってしまいました…汗
ここまでお読みいただきありがとうございます。
それでは今日はこの辺で( ˘ω˘)