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第18回 香子の親友峰姫の父の事件

諸説に従って書きます。
藤原実方(生年不詳)は香子の年上の再従兄です。実方の娘(峰姫:私の命名)と香子は幼馴染だったようです。
ただ、香子の父や伯父からは「実方は頭は良いが、何か危なっかしい」と言われていたらしいのでやや精神不安定だったのでしょうか。
実方は百人一首の「かくとだに えやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを」で有名です。今回「えやはいぶきの」が「いう事ができようか、いやできない」という意味なのがきちんと分かりました!伊吹山と掛けている訳ですがこれも滋賀県の方ではなく、もぐさ(よもぎ)の名産地である栃木県の方だそうです。「さしも草」と「さしも」をまた掛けてる訳ですね。濃いな~!

ところで恐らく正暦5(994)年春、宮中で花見をしていた時、雨が降ってきました。人々はさっと雨宿りのため邸内に入りましたが、一人実方だけが、「雨の中で詠むのもまた風流」とご機嫌でした。
これを藤原行成が聞いて、「無粋だなあ」と言ったのですが、これが実方の耳に入って激怒。当時、位は実方が従四位上、行成が従四位下と実方が上位だったので怒ったし、また二人はどちらも清少納言の恋人という噂もあってそれもあったのかも知れません。
実方が喧嘩を吹っかけ、行成の冠を落としてしまいました。行成は無抵抗でした。当時、冠を取られるというのは最大の恥辱でした。今ならズボンを脱がされる様なものでしょうか。『源氏物語』でも瀕死の柏木が、親友の夕霧が見舞いに来たと言って、わざわざ烏帽子をつけています。

この暴力沙汰を、運悪く遠くから一条天皇が見ておられて、翌年正月の除目で実方は「陸奥に歌枕を見て参れ」と左遷されます。あと少しで公卿の従三位になれたのですが。
一方、「被害者」の行成は蔵人頭に大出世。道長からも重用されます。
ちなみに清少納言の百人一首の「夜をこめて鳥のそらねははかるとも よにあふ坂の関はゆるさじ」の相手は行成だという事です。

何事も「短気は損気!」ですね。

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