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第11回 香子は『蜻蛉日記』の作者と会ったか?

『蜻蛉日記』の作者こと、藤原道綱の母と、香子(紫式部)は姻戚でした。香子の外祖父(母の父)為信の兄弟に為雅という人がいて、蜻蛉の君(にします)の姉の夫だったのです。ですから香子にとって、蜻蛉の君は義理の大伯母(叔母?)という事になります。

香子18歳の時に、外祖父為信や為信の母も亡くなり、葬式や四十九日の法要では顔を合わせたかも知れません。蜻蛉の君は推定52歳。すでに『蜻蛉日記』で有名なので、二人の才女の会話は想像するだけで楽しみです。私も拙著『源氏物語誕生』で入れさせて貰いました。

『蜻蛉日記』の最初の辺りに出てくる歌「なげきつつ ひとりぬる夜のあくるまは いかに久しきものとかはしる」は未婚の香子に夫婦生活の難しさを感じさせた事でしょう。

ところで、蜻蛉の君は、あの藤原兼家の第二夫人。「本朝三美人」とも言われるほどの美貌と才智が有名でした。19歳の時、兼家から申し込まれて、すでに時姫という妻がいたのは承知で結婚します。

しかし兼家の傍若無人は以前にも話しましたが、女人に対しても妙な所があって、どんなに愛していても、相手に子供ができるとさっと醒めて、別の相手を探すという癖がある事です。現代でもちらほらそんな話は聞きますね。

ですから結婚翌年に道綱を産んで幸せ絶頂かと思いきや、すぐに別の女性への浮気に蜻蛉の君は苦しめられるのでした。ただ最初の妻、時姫だけはうまく兼家を操っていたのか、三男二女を儲けます。その三男というのが、道長だった訳ですね。

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