都会で忙しくしている自分が好きだった
スケジュール帳はいつも真っ黒で、白い部分にはどうにかして予定を詰め込んでいた。
マンスリー欄だけでは飽き足らず、ウィークリー欄までびっちり書き込める分厚い手帳を常に持ち歩いていて、その手帳は友人たちから「図鑑」と呼ばれていた。
カレンダーに空欄があると、自分の心もぽっかり穴が空いてしまう気がして。
分刻みのスケジュールをこなしていれば、先のことは何も考えなくて済んだし、疲労感と成長が比例していると感じていた。
都会の暮らしはやることが多い。というよりは、その気になれば無限になんでもできてしまう。
服を買いに行く店の選択肢は死ぬほどあるし、遊びの種類も無限にあった。
朝から晩まで働き、土日も働き、それでも手取りは16万円だった。
西向きの暗いアパートの家賃8万円を払い、奨学金の返済に3万払い、その他生きるためのお金を払えば貯金はできなかった。
それでも充実していると思い込んでいた。
というよりは、忙しく毎日をこなしていれば、未来もきっといいものになると自分を納得させていたんだと思う。
そして、病んだ。
原因は色々あると思う。
コロナで家から出られなくなったし、ヒステリーな上司は鬱陶しかったし、アルコール依存症だった父はいきなり死んだ。
「死にたいけれど、どうやって死んでも家族に迷惑がかかってしまう」
と毎晩泣く日々が一年ぐらい続いた。
そしたらある日、妊娠していることが分かった。
仕事を辞め、地方で働いていた夫の元へ引っ越した。
全部捨てたくて、大事な友達数人だけを残し、SNSのアカウントを全部消去した。
初めての田舎暮らしは、びっくりするぐらいやることがなかった。
買い物する店もない。遊ぶところもない。おまけに私には車もないし、友達もいない。
私は仕方なく家にいることにした。
常に予定をぎゅうぎゅう詰めにして走り回っていた私が、初めて「暇」という時間を手に入れてしまった。どうやって過ごしていいのかわからなかった。
家事を丁寧にやってみたり、断捨離をしてみたりしたが、すぐに家中はピカピカになり、捨てるものもなくなって、またやることがなくなった。
真っ黒だったスケジュール帳は真っ白になった。
何か書こうとしたけれど、書くことがないので処分した。
家にいてもやることがないので、毎朝散歩にいくことにした。
近所の公園を歩いていると、色んな発見があった。夏の間は緑だった葉が、秋になると赤く染まり、冬になると散っていった。
都会にいた頃の私は手元のスケジュール帳に必死で、木を見上げたことなんてなかった。季節はこうやって移ろっていくんだと、初めて感じた。
自己啓発本以外は読む意味がないと思っていたけれど、図書館で小説を借りて読み耽った。存在は知っていたけれど見たことがなかったアニメや、少し前に流行っていたドラマを全部見た。
常にジェルネイルを装備していた爪は自爪になって、服は毎日同じようなものを着るようになった。
ほしいものもやりたいこともたくさんありすぎて、お金のない自分が嫌で嫌で仕方なかったけれど、物欲も一切なくなった。
夫と晩ごはんを食べることが一番の幸せになった。
お腹の中にいる子が腹を蹴るようになり、違う意味で相変わらず夜は眠れなかったけれど、子どもの成長を見届けるために長生きしたいと思うようになった。
そして子どもが生まれた。
育児優先の生活は何も予定通りにいかなくて、予定を立てることすらなくなってしまった。
そして今は、少し大きくなった息子と、植物や昆虫の「図鑑」を眺める日々を過ごしている。
「あの頃は真っ黒に塗りつぶされた『図鑑』だったけれど、今は色とりどりで綺麗な『図鑑』になったよ」
昔の私に教えてあげたい。