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夫と泣ける本。


「図書館いかないと」

もうすぐ陶芸工房の登り窯に火が入る。ロクロ教室で作った器たちに、下絵付けをしたり釉薬をかけるために、図書館で「下絵付けの紋様」だとか「染付〜青に憧れて〜」みたいな本を借りて、図案や構想を練っておきたかったのだ。

休日だった夫も「おれも借りたい本がある」とかで、一緒にいつもの図書館へ、分厚いトートバックをさげて向かった。

「借りたい本ってなに?」

「100万回生きたねこ」

「あぁ。え、なんで?」
(あれって…絵本じゃなかったっけ…)

「めっちゃ泣けるらしい。」

「泣きたいの?」

「泣きたい。」

彼はたまにそうやって言って、【号泣した!泣ける映画10選!】だとか【読者が選んだ!一番泣いた本!】だとかに手を出している。

年々涙もろくはなっているのだけど、それでもなお、泣きたいらしい。「24時間テレビ」とか、「はじめてのおつかい」とかを観ながら、ズズッと鼻をすすったりするタイミングは、私と同じくらいになってきている。ちなみに私は、母になってからというもの、とみに涙もろくなっており、うっかり動物ものなんか見ようものなら、ズビズビしてしまって、娘たちに呆れられたりするのだ。ほら、と箱ティッシュを渡されながら。

「え、泣いてんの?」
だっで…こんだのみだら、泣くでじょだって こんなの みたら なくでしょ

私はそうやって簡単に泣いてしまうから避けて通りたいくらいなのだけれど、彼は敢えて泣きに行きたいらしい。泣くのはストレス発散にいいとかいうから、きっと管理職でストレスが溜まっているんだろうね。決して私のせいじゃない。#なんのはなしですか。

私が、「陶芸」の本棚で、あれやこれやと参考にしたい本を探している間に、彼は、図書館の端末で検索して「貸出できます」にホッとして、Eサの本棚ということは分かっていながら探し出せず、結局、図書館員さんに聞いて、その絵本をようやく手にしていた。

カウンターで貸出受付をしているところへ、「100万回生きたねこ」を持つ50代男性が近づいてきた。

「あった。これも借りて。」

子どもか。

家に帰って、さっそく私はスケッチブックに図案をカリカリ模写をはじめ、彼は一人きりになって二階のソファーで絵本を読みはじめた。


夕方、

大相撲がはじまるからと降りてきた彼に聞いてみた。

「100万回生きたねこ、どうだった?」

「読めたよ。」

「泣けた?」

「全然。」

おい。

でもあれだよね、本ってさ、読むタイミングとか自分のコンディションとかもあるものね。
「泣ける」のはみんながみんなそうとも限らないものね。「泣くぞ」って先にハードルあげちゃってたりしてたからあれかもね。不意打ちとかのが泣けたりすることあるもんね。


ってことが、とある休日にあったのだけれど。

洗濯物を干し終わって、ソファーに置きっぱなしになっていたこの絵本を、どんな話だったっけ…とさっき何となく読んでみた。


じーーん…。

ズビッ。




え、待って。
             
これ読んで、泣けないの?





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