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冷めきった珈琲を啜る
このところ、バタバタしていて、それは見方によればとても充実していると言えるのだけれど。
やるべきタスクをこなしながら、人に助けてもらいながら、人に会い楽しくおしゃべりもしながら、なかなかに賑やかな週だった。
そういう時間も楽しい。
刺激もたくさん受けて、笑って、あっという間に時が過ぎて、脳みそがホカホカしているのがわかる。色で言えば、オレンジや黄色や赤のような。
賑やかで暖かで、気忙しく、クルクルと。
そんな時間を過ごしたあと、私は、まるで対角にあるような、静かで冷温な、時が止まったような時間を求めるのだ。
とにかく一人になりたいと思う。
いや、独りになりたいと。
音もいらない。
ただ、ページをめくる音だけがあり、人の気配すらいらず、幸い外は雪が降りつもりはじめ、それはつまり、本を読む時間なのだと告げられたようなもの。
スノードームの中で舞う雪が、ゆっくりゆっくりと沈んで、やがて屋根やもみの木に降り積もり、雪化粧に留まるように、ゆっくりゆっくりと精神は鎮まっていく。
六十進法ではなく、百進法ほどの律儀さで。
コーヒーカップからのぼる湯気のような速さで。
いつの間に私は、「孤独」を愛せるようになったのだろう。もうずっと前から私の中にあったから、ずっと抱えて生きてきたからだろうか。
気がつけば「孤独」は、もう私を構成する大切な一部となり、そして今や、自らその一部を意識的に取り戻す時間を持とうするようになっている。
文字を追い、心を書き留め、内へ内へと潜る。
温度を持たず、色を持たず、細く、長く、遅く。
ニュートラルよりは、やや下。
フラット。あるいは、休符。タセット。
半紙に擦れる鉛筆の音、綴り、それらに導かれる心情は同じ色の言葉を選び、同じ濃度の文字を探す。よく観て感じて、在るを観る。
冷めきった珈琲と、私の孤独は、
気がつけば当たり前にいつも在る。
寧ろ私は、
珈琲が冷めきるほどの時間をもはや
求めているのかもしれない。