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フォーブル平井202号室

アパートの玄関ポストに手を突っ込んで、内側にテープで貼りつけられたカギを慎重に剥がし取り(もしも落とせば部屋へ入れない)、カギ穴へ差し込む。

カチャリ

自分の部屋へ帰るのに、なんだか侵入者みたいな緊張感だけれど、昨夜のバカみたいな楽しさの名残りなだけに可笑しかった。

薄暗い部屋の電気をつけると、
「来た時よりも美しく」
どこかの研修施設の張り紙にあったみたいに、きれいに片付いていた。

ドサッ

コンビニのビニル袋を置いて、制服を脱いで手洗いを済ませ、小さな1人用の冷蔵庫を開ける。

ガランとした庫内には、6Pチーズとキムチ、そして1番手前の缶ビールには、小さなメモが貼ってあった。

しゅーへ
おつかれちゃーん
昨日めちゃたのしかったーありがとねん♡
また飲もー!!
愛をこ・め・て ♡
          あなたのミサ  マー ナツ  より💋ぶちゅ

昨夜は幼なじみたちと近くに飲みに行って、そのままみんなこの部屋に泊まっていった。
夜中まで、まるで中学の昼休みみたいなテンションのまま、ふざけて笑い転げて。
「しぃー! 近所迷惑、近所迷惑!」
と度々言い合っては、コソコソ笑った。

缶チューハイとお菓子とタバコ。
点いているだけの深夜番組。

順番にシャワーを浴びたんだったか、シングルサイズの布団二組を敷いた和室で4人、いつしかくっついて寝ていた。


朝、みんなが寝ているうちに

おはよー
帰るとき、カギ郵便受けの内側に貼っといて
いってきまーす 
                                                   柊

と、キーホルダーから外した部屋のカギを添えた置き手紙をして一人、仕事に出かけた。


ピーッピーッ ピーッピーッ

しんと静かな部屋で、電子レンジが鳴って、チキン南蛮弁当のラップを
「あっち」と言いながら剥がす。

小さなブラウン管のテレビは点いているだけで、丸い折りたたみテーブルに一人、
「いただきます」
と言って、缶ビールをプシュッと開ける。

一つ一つの音が部屋に響く。


                     𓂃◌𓈒𓐍◌𓈒 𓈒◌𓐍𓈒◌𓂃


引越しが決まったのは急なことで。
三月の中ごろ、ハローワークへ職探しにいった帰り、車へ乗り込むまでのほんの50歩ほどの間に、一人の男性に声をかけられた。

ツイードのスーツに口ひげの、60代くらいにも見える落ち着いた笑顔のやわらかな男性。

「こんにちは。仕事見つかったかね?」

見知らぬ人でも挨拶くらいはするものだと、田舎育ちの私には染み付いた習慣だから、

「こんにちは。いえ、なかなか…」

と曖昧にこたえ、笑顔を返す。

「そうかね、どんな仕事を探しているの?」

自然な立ち話のように、男性はそのままにこやかに話を続けていき、胸ポケットから一枚の名刺を差し出した。

人材派遣サービス
有限会社 ヨシマサ
                            吉田        政崇

名刺

「私は人材派遣会社をしていてね。
    よければ少し話をしませんか」

にこやかで品の良さそうな見た目からなのか、落ち着いた話し方からなのか、(知らない人にはついて行かないこと、と一応教育は受けているけれど) 私はそのまま男性についていき、近くのコーヒーチェーンのお店で話を聞いていた。

ここから20分くらいのところにある工業団地内の○○電機の仕事のご紹介。残業にも対応できるよう、あちらのご要望としては、できれば近くに住んで(実家から会社までは車で1時間強かかるため近くへ引越して)の通勤。
その場合、借りるアパート等の部屋の費用は「社員寮」として「有限会社ヨシマサ」が持ちます、と。最低限の家電(洗濯機、冷蔵庫、ガスレンジ台、電子レンジ、炊飯器)の費用、毎月の家賃、最低限の光熱費も、こちらで負担します、という。

「いかがでしょう?」

仕事も探していたけれど、それより何より、早く実家を出ていきたかった私には、願ったり叶ったりなお話に聞こえた。

しかし、待遇が良すぎやしないだろうか。
このおじさん…もとい、吉田さんは手当り次第、あそこで人を捕まえてはこういう話をしているのだろうか。

まるでその不安や疑念を読み取ったかのように、おじさん…もとい、吉田さんは話す。

「私はこの仕事柄、人を見る目はあるんですよ。あなたは見ず知らずの私にも、自然に笑顔で挨拶をしてくれた。とても感じの良い挨拶でした。きっとこの子はいい仕事をすると感じたんですよ。私も、誰にでもこういった話をしているわけではありません。」

そう言って求人の資料に、手書きで家賃と生活費の旨を書き加え、私へ差し出した。

とはいえ、この場で決めるということは難しいと思いますので、三日後にまたご連絡いたします、お返事はその時に─ということで、確か家に戻ったのだったと思うけれど。

私にはすでに「念願の一人暮らし」が脳内を占め、どうやってこの話を家族に伝えようかと、思いめぐらせはじめており、帰りの記憶はあまりない。

結局、「○○電機」は大手企業で、派遣社員という働き方も流行っていたこともあり、おまけに言い出したら聞かない私のことだから(単身で三ヶ月英国への語学留学から帰ってきたばかり)というのも大いに手伝って、あまり口をはさまれることもなく、引越しも、派遣社員として働くことも叶うことになったのだ。

翌週には家賃5万円以内のアパートを探し、家電量販店で最低限の家電を購入し、吉田さんは終始、父親のような親戚のおじさんのようなにこやかさで、 
「このくらいあればいいんじゃないかな」
と、手際よく手配していった。

「社員寮」扱いの部屋にも、その時に訪れたのが最後で、
「いい部屋じゃないですか」
と、ベランダへ続く窓を開け閉めしながら満足げに微笑んでいた。

「最低限の光熱費は三万円でいいですね」

「○○電機」の面接も、吉田さんの隣で軽く受け答えをする程度で、あとは所長と吉田さんの世間話に終わり、その日のうちに制服を渡され、翌週から働くことになった。

初めて吉田さんに出会ってから、2週間ほどの間に、あっという間に引越し、制服を来て出勤する日々がはじまったのだった。             

                         
                        𓂃◌𓈒𓐍◌𓈒 𓈒◌𓐍𓈒◌𓂃


窓を少し開けて、タバコに火をつける。
ふーーっと細く白く吐いて、窓辺のベンジャミンの葉っぱを見つめる。ツヤツヤと元気。

気に入って買ったものは雑多で、アメリカンテイストな小物や、ナチュラルな棚、リサイクルショップで見つけたオープンカーの模型や、雑誌の切り抜きの深海の写真。

統一感のない小物ばかりが増えていく部屋。

ゴトン

顔も知らない下の階の人が帰ってきた音がする。もうそんな時間か。

風呂場のお湯を溜めながら、流しでお弁当箱を洗い、2合のお米を炊く。

チャラチャラと金属が揺れる音と、足音が目の前の磨りガラスを通っていく。

きっと顔も知らないお隣さんが、あるいはお隣さんの彼氏かが帰ってきたのだ。

小さな湯船に一人分のお湯。

申し分ないお給料と住居手当て、職場のみなさんはフレンドリーでとてもいい人たちばかりで、この部屋だって目立ったトラブルもなく平和だ。友達とすごす賑やかな夜も、一人静かで少し寂しいくらいの夜も、何もかもがちょうど良く、すべてが上手く行きすぎて怖くなるくらい、順調に日々は過ぎていた。

チャプン

けど、この生活は、契約満了の一年だけにしておこう。

ジャブジャブ顔を洗う。

昼休み、一緒にお弁当を食べていた事務の大塚さんとの会話がどうにも頭にのこって。


「ねね、やっぱりさお給料は手渡しなの?」
「え?振込みですよ?」
「え?そうなの?吉田社長家に来ないの?」
「え?来ませんよ?来たことないです。」
「…そうなの。〝ヨシマサ〟の人ってみんな吉田社長の借りた部屋に住んで、その…愛人契約みたいな…。パトロンっていうの?あれ、ただの噂なのね、じゃあ。よかった。」

確かに吉田さんは品がよく、素敵なおじさんだけれど…。

あの引越しから一年後、私は結局、順調すぎて快適なことへの怖さに耐えきれず、契約更新をせず仕事を辞め、部屋を出たのだった。

                      

                      

                         𓂃◌𓈒𓐍◌𓈒 𓈒◌𓐍𓈒◌𓂃


最近、テレビで「おいハンサム!! 2」のCMが流れている。主演の吉田鋼太郎さんを見るたび、あの「フォーブル平井202号室」で過ごした1年だけの一人暮らしの日々を思い出す。

#なんのはなしですか

 
あの吉田社長が誰かに似ていると思っていたけれど、そうだ!吉田鋼太郎さんだ!と勝手に一人で答えが出せたものだから。

だから、なんのはなしですか?



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