ひぐらしと母の面影。
チリンと、風鈴の音がして。
チーチチチチーと、遠くにヒグラシの鳴く夕方。
目が覚めると、和室のい草のいい香りがして、お腹にはタオルケットがかけてあって、僕と八の字になるようにして、お父さんも寝ていた。足元には、福ちゃんも丸まって。
天井の木目模様をぼんやりと見ながら、初めて来た家なのに、強烈な懐かしさが込み上げてきて、それは幼い頃の夏休み、おばあちゃん家で母とお昼寝をして起きた夕方のこと。目覚めると隣には誰もいなくて、心細くなって起きていくと、
「かおる、起きたの?スイカ食べる?」
と台所で振り返って微笑む母の姿があった。
オレンジ色の光の中、こんなふうにヒグラシが鳴いていた。
タオルケットを畳んで、のそのそ起きていくと、お母さんはテレビで甲子園を見ながら洗濯物を畳んでいて、りょうこさんとあーちゃんの姿は見当たらなかった。
「すみません、お母さん、寝ちゃって。」
「あら、起きたの?ごめんなさいね、お父さん、だいぶ飲ませちゃって。お水のむ?」
「あ、ありがとうございます。いただきます。」
カランとグラスに氷を入れたお水が美味しくて、ゴクゴクと飲む様子に、お母さんは
「ふふっ。」
と笑いながら見ていて、その笑い方が少しりょうこさんみたいで、改めて、りょうこさんはお母さん似なのかも、と思ったりした。
「ただぁいま。」
と二人分の声がして、りょうこさんとあーちゃんが買い物から帰ってきた。
「あ、かおるくん、起きた?」
「ははっ。かおるさん、寝ぐせついてる。」
「え。」
だからさっきお母さん笑ってたのか…と今さら気がついて、あわてて手で撫で付けておく。
ドサドサと置いた買い物袋は、夕飯の材料と、僕の“お泊まりセット”とアイスと花火。
「かおるくん、今日は泊まっていこうね。」
僕の寝ている間に、女性陣で決めたことらしく、りょうこさんもあーちゃんも何だか楽しそうで、
「すみません…じゃあお言葉に甘えて…。」
と言うと、
「どうぞどうぞ、ゆっくりしていって。そのままここで一緒に暮らしてもいいのよ?」
と、お母さんは朗らかに笑っていた。りょうこさんがたまに、本気なのか冗談なのかわからないことを言うのも、お母さん譲りだったみたいだ。
🍨🎇
「綺麗ー。」
庭先に青いバケツを用意して、あーちゃんと三人で花火をしながら、普段は人見知りのかおるくんだけれど(朝は明らかに顔もこわばるくらい緊張していたけれど)お酒の力もあってか家族ともすっかり打ち解けて、楽しそうに笑っている。
「火くださぁーい。」
「はい、どぉぞ。」
シューッと銀色の光が噴射して、パチパチッと赤や緑がはじけて。子どものころの夏休みは、よくこうしてあーちゃんと花火をしていたのを思い出して、胸がキュッとした。煙がしみる。
最後の線香花火は、かおるくんがとても上手で、落ちずに残ったホウセンカの種みたいな灰を初めて見た。
順番にお風呂に入って、湯上りのアイスを食べていると、母がDVDを出してきて、まさかとは思ったけれど、それは私がまだ小学校にあがる前、(あーちゃんはオムツがはずれたばかりくらい)家族で海水浴に行ったときの映像だった。
父も母も、今よりも若くてよく日に焼けていて、水玉模様のビキニ姿の小さな私が、打ち寄せる波にキャーキャーいってはしゃぎながら砂浜を走っていた。
チューリップハットをかぶったあーちゃんは、手についた砂がイヤで、海の水で洗おうとするけれど、ザバーンと迫ってくる波におっかなびっくりで、いつまでも手を洗えずにいて。
「かわいー!あーちゃん、ちっちゃ!」
「あ、なんか覚えてるかも、この海。」
「ザブーンって、こわがってる、可愛い〜!」
かおるくんは、ずっとニコニコ画面を見ていたかと思ったら、ギューッとクッションを抱きしめて
「…かおるくん?」
クッションで顔を隠して、うぅーーっ!と、悶えたかと思ったら、
「小さいりょうこさんっ、かわいすぎるぅー!」
と、壊れていた…。
🎐🎐
和室の電気を消して、二組並んだ布団に入る。
りょうこさんの使っていた部屋は、物置部屋になっているからと、和室に布団を敷いてもらった。
「かおるくん、疲れた?」
「いや、すごい楽しかったです。」
「ならよかった。」
「なんか、りょうこさんが、りょうこさんなのが分かった気がする。」
「なにそれ。私は私だよ。」
「うん。」
少し空いた窓から、夜風が入って、風鈴がチリンと鳴る。
「かおるくん、こっちきて。」
と、りょうこさんは掛布布団をあけて、僕はそこへ忍び込む。いつもと違うシャンプーの香りの、柔らかなりょうこさんに包まれると、やっぱり何気に緊張していたのか、一気に身体じゅうの力が抜けていくようだった。
「いい家族ですね。」
「かおるくんも、もう家族だよ。」
「うん。」
「海、行こうね。」
「うん、ビキニ着てくださいね。」
「え。ヤダよ。」
「え〜…。」
何も怖いものなどない夜なのに、あんまり幸せすぎて、急に心細いような怖いような気持ちになって、ギュッとりょうこさんにしがみつく。
やがてスースーとりょうこさんの寝息が聞こえ、僕もいつの間にか、眠りについていた。
🏖🫧
波打ち際ではしゃぐ僕とりょうこさん。
パラソルの下で、楽しそうにビールを飲むお父さんとお母さん。
大きなドーナツ柄の浮き輪を抱えたあーちゃんが、こっちへ向かって走ってくる。
すると、花柄のノースリーブのワンピースの母が、色違いのワンピースのすみれさんと、砂浜に足をとられながら、笑い合いながら歩いていた。僕は、手を振りながら大声で呼ぶ。
「おかあさーんっ!すみちゃーんっ!」
ビクッとして目が覚めるとまだ暗い和室で、りょうこさんは「んん…」と一つ大きく息をして、眠っていた。
夢か。
母だけが、
相変わらず、歳をとらない。